4月8日(火) 晴れ
高校時代にクラス新聞を作ろうという話が持ち上がり、3・4人で作った。
新聞名は「友光」・・・友はクラスのみんなを表し、光は担任の先生が禿げていたことから。
A4 1枚で片面印刷。
文章のうまいやつがいて記事を書いてもらったり、マンガのうまいのがいてマンガを載せたり。
印刷は職員室の謄写版(とうしゃばん)を借りて刷ったと思う。
4号くらいまで出したのかな?
会社へ入ってからは、組合の機関紙を数名で作った。
名前は「しぶき」・・・組合の支部から取った。
組合の固い活動を柔らかく組合員に伝えたり、組合行事に興味を持てるように橋渡し役をやった。
この時はまだガリ版に手書きだと思う。
やがてトンサンは厚木市の「マルチメディアボランティア」に加わり、『情報誌を発行しましょう』という女性に協力して、数名で編集作業に加わった。
A3用紙二つ折り、全部でA4 4ページ。
1号目の編集後記はトンサンが書いた。
プラザニュースは53号までマルボラが発行し、以降は厚木市の指定業者が担当して発行を続けた。
この頃トンサンはMac使いだったので、町内会向けの情報誌は「クラリスワークス」で書いた。
クラリスワークスは6種のソフトが一つにまとめられた統合ソフトで、ソフト間の垣根が無くとても使いやすいソフトだった。
DTP(デスクトップ パブリッシング)機能もあり、6段組みにして、図を配置し、あとで別に書いた記事を流し込むと勝手に図をよけて文字が入った。
クラリスワークスという90年代の完璧なオフィスソフト
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