もともと六和塔のある場所には六和寺という寺がありました。「水滸伝」の終盤、方臘の反乱軍の征伐を終え、首領の宋江以下36人に減った梁山泊の英雄たちが、開封に凱旋するため、入城を許す勅旨を待つ間、ここに滞在することになりました。この36人の中には、戦闘で左腕を失った行者武松と、彼と共に歩兵軍を率いた花和尚魯智深が残っていました。
魯智深は、旧暦八月十五日の深夜、潮の逆流する音を聞いて目が醒め、これを敵の戦鼓の音と勘違いします。六和寺の僧から、それが潮の逆流する音「潮信」であることを教わった魯智深は、師・智真から聞いた「夏に逢って擒り臘に遇って執る。潮を聴いて円し信を見て寂す」という言葉をはたと思い出します。それが、夏侯成と方臘を続けて生け捕りにして、銭塘江の潮の音を聞きながら円寂するという予言であることを悟った魯智深は「潮信」を聞きながら、座禅を組んで大往生を遂げるのでした。
魯智深が息を引き取った後、武松は宋江らと都に凱旋することを拒み六和寺に残りました。ちょうど豹子頭林冲が痛風にかかり寝たきりとなり、武松が寺で看病するのですが、その甲斐なく半年後に亡くなってしまいます。貰った褒賞全てを六和寺に喜捨した武松は出家して、八十歳の生涯を閉じるまで寺に留まったといいます。六和塔の背後の月輪山には、中国全土にある塔のミニチュアが並べられた質素なテーマパークがあるのですが、その片隅に行者の格好をした片腕の武松と、花和尚魯智深の像がありました。
行者武松
花和尚魯智深
魯智深は、旧暦八月十五日の深夜、潮の逆流する音を聞いて目が醒め、これを敵の戦鼓の音と勘違いします。六和寺の僧から、それが潮の逆流する音「潮信」であることを教わった魯智深は、師・智真から聞いた「夏に逢って擒り臘に遇って執る。潮を聴いて円し信を見て寂す」という言葉をはたと思い出します。それが、夏侯成と方臘を続けて生け捕りにして、銭塘江の潮の音を聞きながら円寂するという予言であることを悟った魯智深は「潮信」を聞きながら、座禅を組んで大往生を遂げるのでした。
魯智深が息を引き取った後、武松は宋江らと都に凱旋することを拒み六和寺に残りました。ちょうど豹子頭林冲が痛風にかかり寝たきりとなり、武松が寺で看病するのですが、その甲斐なく半年後に亡くなってしまいます。貰った褒賞全てを六和寺に喜捨した武松は出家して、八十歳の生涯を閉じるまで寺に留まったといいます。六和塔の背後の月輪山には、中国全土にある塔のミニチュアが並べられた質素なテーマパークがあるのですが、その片隅に行者の格好をした片腕の武松と、花和尚魯智深の像がありました。
行者武松
花和尚魯智深