八犬士が活躍する滝沢馬琴作「南総里見八犬伝」は、ご存知のように百八人の豪傑を描いた「水滸伝」から翻案された部分が随所に存在します。「武松打店」に続く「武十回」最後のヤマ場「鴛鴦楼」(そういえば「八仙過海」のジオラマの下にあった人工のグロッタの名が「鴛鴦洞」でした)のシーンが、「八犬伝」では智の珠を持つ八犬士、犬坂毛野の回想として語られる「對牛楼」での父の敵討ちに焼き直されています。
「鴛鴦楼」では、酔った武松が、自分を罠にかけて暗殺しようとした張蒙方や蒋門神らの宴会に乗り込み、復讐を果たします。宴席で歌舞を披露した美女玉蘭を含めて、その場にいるもの全てを殺戮して「殺人者打虎武松也」と壁に書くというもので、その残虐性を存分に発揮しています。
潘金蓮・西門慶殺しのときは、潘金蓮に公衆の前で罪を自白させて調書まで取り、西門慶を殺してからすぐ役所に自首した、ある意味緻密な武松が、いくら酒を呑むと人が変わるとはいえ、罪のない玉蘭までを殺してしまうのは、別の人格が発現したかのようで、不可解です。まるで黒旋風李逵の性格が乗り移ったようなのです。
一方、犬坂毛野は女装して旦開野(あさけの)と名乗り、女田楽の一座に潜り込んで、仇の馬加大記常武の屋敷、石浜城「對牛楼」で行われた大記の息子の誕生祝で歌舞を披露します。水滸伝の玉蘭の役回りを演じているわけです。馬加大記が酔ったところで、毛野は名乗りをあげ、悲願の仇討ちを果たします。さらに楼内にいた一族郎党残らず皆殺しにして、仇の血を用いて、自分の名を壁書しています。
毛野の殺戮シーンは、女装した女田楽の姿で太刀を振るい、それらは全て回想シーンとして描かれています。また毛野は、(結果的に死んではいますが)馬加大記の妻と娘には直接手をかけておらず、「智」の一面としての冷徹性は見られても、武松ほどには残虐性が見られません。
「鴛鴦楼」では、酔った武松が、自分を罠にかけて暗殺しようとした張蒙方や蒋門神らの宴会に乗り込み、復讐を果たします。宴席で歌舞を披露した美女玉蘭を含めて、その場にいるもの全てを殺戮して「殺人者打虎武松也」と壁に書くというもので、その残虐性を存分に発揮しています。
潘金蓮・西門慶殺しのときは、潘金蓮に公衆の前で罪を自白させて調書まで取り、西門慶を殺してからすぐ役所に自首した、ある意味緻密な武松が、いくら酒を呑むと人が変わるとはいえ、罪のない玉蘭までを殺してしまうのは、別の人格が発現したかのようで、不可解です。まるで黒旋風李逵の性格が乗り移ったようなのです。
一方、犬坂毛野は女装して旦開野(あさけの)と名乗り、女田楽の一座に潜り込んで、仇の馬加大記常武の屋敷、石浜城「對牛楼」で行われた大記の息子の誕生祝で歌舞を披露します。水滸伝の玉蘭の役回りを演じているわけです。馬加大記が酔ったところで、毛野は名乗りをあげ、悲願の仇討ちを果たします。さらに楼内にいた一族郎党残らず皆殺しにして、仇の血を用いて、自分の名を壁書しています。
毛野の殺戮シーンは、女装した女田楽の姿で太刀を振るい、それらは全て回想シーンとして描かれています。また毛野は、(結果的に死んではいますが)馬加大記の妻と娘には直接手をかけておらず、「智」の一面としての冷徹性は見られても、武松ほどには残虐性が見られません。