Tomotubby’s Travel Blog

Tomotubby と Pet の奇妙な旅 Blog。
でもホントに旅 Blog なんだろうか?

平井堅「CANDY」PVのホテルを特定した

2010-01-23 | 映画・ロケ地訪問


平井堅や彼の歌が特に好きなわけではないんですが、「CANDY」という歌のプロモーション・ビデオがどこか寺山修司っぽくて気に入っています。平井堅がおばさん(BUBUKA編集の人の twitter によると朝岡実嶺という「往年の美人AV女優」で有名な方らしい)のいるフロントを素通りしてエレベータで上ると、そこには船のような丸窓の並ぶ廊下が続き、廊下に沿っていくつもの客室を巡るのですが、部屋の中はいずれも個性がある内装で、そこではまるで「上海異人娼館」のようなことが行われているのです。平井堅がキャンディを女たちの口に入れてあげるのですが、そのへんが特にエロティックです。

ビデオをはじめて見たとき、この撮影場所はどこかの古いラブホテルなのだろうとすぐに察しました。天井が低いのが気になりますが、一昔前の建物の内装はなんとも趣があり、以来このホテルがどこにあるのか?と気になっていました。

まず、PVに関するニュースの中では「9月某日、関東近郊のラブホテルを貸し切って撮影が行なわれたとか(この撮影で、平井堅自身、人生で初めてラブホテルに行くことに)。」「撮影所要時間は24時間、朝の11時から翌朝11時までとハードなスケジュールにも関わらず、終始撮影は陽気なムードで行なわれたとのこと!」と言及されているのを見つけました。次に J-WAVE WEBSITE : TOKIO HOT100 のサイトに、以下のようなクリス・ペプラーと平井の対談が見つかりました。

クリス:一方、「CANDY」はラブホテルでしたけど、どこにあるラブホテルですか?
平 井:あれはどこでしたっけ?船橋?昭和な感じの古いところを一日借り切って撮影したんですけど、オモシロかったですね。(後略)

どうやら船橋のホテルのようです。ところが船橋市民、千葉県民は旺盛というか、船橋にはたくさんのホテルがありましてとても特定は難しく、ここで甲斐なく捜索は暗礁に乗り上げてしまいました。そこで頭に浮かんだのが廊下に並んだ「船のような丸い窓」。成田か佐倉に行く途中で船のようなホテルを見たことがあるのを思い出しました。

それで行き着いたのが「デイリーポータルZ」。千葉近郊にあった船の形をした建物についての問い合わせなんですが、2008年段階の回答で、以前ラブホテルだった建物は「5年ほど前に潰れて葬儀場」になったとあります。平井堅は昨年9月にビデオ撮影しているので、ここではないのは明白で、わが捜索船はまたもや座礁。ん。ちょっと待って。この回答の下に貴重な情報がありました。「千葉の船型ラブホテルはなくなって」しまいましたが、船橋の「クイーン・エリザベス石庭」は「今も健在」で「京葉道路下り車線の船橋料金所手前」に存在するとのことです。これこれ。これに違いないです。

調べてみると、正式には「クィーンエリザベス石庭西船橋店」で、部屋情報として写真の載ったウェブサイトが見つかりました。これを見ると「2009年11月改装」とあり、ちといやな予感。しかしホテルの改装前にビデオ撮影に貸したと考えれば辻褄も合います。ビデオを初めから各部屋の写真と見比べたのですが、なかなか共通点が見出せません。あぁ、撮影場所捜索は徒労に終わったかな。と思ったとき、見つけました。ビデオの最後のシーンで使われている「450号室」の内装、特にベッドのコーナーを囲む白い柱の様式が、ウェブサイトの「VIP1号室」とまるっきり同じではないですか。ヤター。







よって「CANDY」のPVの撮影場所は「クィーンエリザベス石庭西船橋店」と特定。但し改装が入っているようなので、今はビデオの雰囲気が損なわれているかもしれません。千葉県在住でご興味をお持ちで旺盛な方は、是非確認に訪れてルポして頂きたいですね。

邪悪なジャガイモ

2010-01-23 | 映画・ロケ地訪問
(この記事は Twitter から Blog に格上げしました) 何日か前にNHKのお子様向け番組に「じゃがいも男爵」という実写キャラクターが出てきて、そのダジャレのような名前とは裏腹に、顔と指がトラウマになるくらいに怖かった。あまりに怖いので、写真に撮っておいた。顔だけだが。昔、デヴィッド・リンチの「イレーザーヘッド」を観て、暫く鶏の丸焼きが食べられなくなったように、これを観たお子様の中にはジャガイモが食べられなくなる子が出るに違いない。きっと。



で、改めて恐る恐る「イレーザーヘッド」を YouTube で探して観てみると、鶏のディナーのシーンよりむしろ、お多福顔の女が「In Heaven...」と歌う姿の方が空恐ろしい。この女のシーンを自分はよく覚えていないのは、あまりにも厭だったので、鶏のグロなシーンを観たことで代償させていたのかもしれない。くれぐれも「イレーザーヘッド」は年端もいかないお子様には観せないように。



タコの怪獣

2010-01-05 | 映画・ロケ地訪問
ロジェ・カイヨワは、著書「蛸 ~想像の世界を支配する論理をさぐる~」で、かなりの分量を割いて日本におけるタコのイメージについて書いている。彼の好奇心は各方面に向かい、中には日本人であっても知り得ないような指摘も多く舌を巻く。

カイヨワに親しみをおぼえたのは、彼が児童向けに出版された「怪獣事典」を手に入れて、そこに載せられたタコの怪獣の詳細にまで言及して「日本における蛸の神話の、最新の発展の一段階をしるしづけるもの」として紹介していることである。さらに、この言及に詳細なる注釈をつけている訳者、塚崎幹夫氏にも好感を感じる。

塚崎氏によるとこの「怪獣事典」は勁文社(後にケイブン社と改名)の「原色怪獣怪人大百科」といって、調べると、美品はオークションでも高値のつく希少価値ある本らしい。本といっても、ページが綴じられたものではなく、怪獣怪人一体を一枚に特集したシートを折り畳んでたくさん箱に入れたものである。

カイヨワは「原色怪獣怪人大百科」から次のように四種のタコの怪獣を紹介している。
①「大ダコ」: 単に「大ダコ」とのみ名づけられている。全長100m、重さ5000tで、太平洋の海底に住んでいる。その体はこの上なくぬめぬめしている。70mもある八本の腕を使って、マッコウクジラをしめ殺したり、船を沈没させたりする。陸上にあがって活動することもできる。しかしこの怪物を描いた挿絵のほうは、本物の蛸の写真といっこうに変わらないように見える。(塚崎氏注では、昭和37年8月上映「キングコング対ゴジラ」ほか[東宝])

②「スダール」: (本物の蛸とは)ほとんど重さが違っているだけである。これは3万tある。この怪物もまた太平洋の産で、クジラや船を簡単に破壊し、地上にもあがることができる。この超巨大な体は、放射能をあびて生じたものである。恐るべき食欲をもっている。(塚崎氏注では、昭和41年6月5日放映「南海の怒り」ほか[ウルトラQ])

③「スパーキー」: (上記2例に比べて)現実からよりいっそう遠ざかることになる。形は蛸のようだが、スペインで罪を告白した人がかぶる、目と口のところにだけ穴のあいた頭巾のような頭をしている。出身地はサッカー競技場。長さ50m、重さ250tで、雷をおびた黒い雲のなかから現われた。この怪物は5万ボルトの電流を放射する。船はそれに当たると蒸発してしまう。(塚崎氏注では、昭和42年11月29日放映「電流怪獣スパーキー」[ジャイアントロボ])

④「ドゴラ」:その体の大きさはゼロから無限大まで変化する。重さは不定。宇宙をただよい、宇宙の全体から生まれる。石炭と石油を常食としている。繁殖は細胞の分裂による。吸う力がきわめて強く、船でも摩天楼でも吸い上げてしまう。巨大なクラゲだという説明になっている。実際、挿絵にははっきり透明に描かれている。しかし吸盤や全体の形はあくまでもたこであって、クラゲではない。(塚崎氏注では、昭和39年8月上映「宇宙大怪獣ドゴラ」[東宝])

調べていると、①の「キングコング対ゴジラ」の大ダコは、実物のタコと作り物のタコを使っており、この映画の撮影シーンは、円谷プロによって②の「ウルトラQ 南海の怒り」のスダールの登場シーンに流用されたらしい。また、スダールの作り物部分はもともと、昭和40年東宝上映の「フランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン」(昔テレビでこの映画を観てからトラウマ)の大ダコを転用したらしく、同じものが続編「フランケンシュタインの怪獣サンダ対ガイラ」にも使われたらしい。どちらも低予算化が目的。面白いのは、タコ怪獣の登場したこれらの映画がいずれも人気があることで、昨年末に刊行された別冊映画秘宝「東宝特撮総進撃」の人気アンケートでは、「サンダ対ガイラ」が一位、「キン・ゴジ」が三位、「フラ・バラ」が四位となっている。

「東宝特撮総進撃」で④「宇宙大怪獣ドゴラ」の写真を見ると、これをタコと考えたカイヨワの解釈には疑問大で、やはりクラゲかアメーバのような単純な生物のように見える。この映画はドゴラが主役の怪獣映画というより、「若林映子属する宝石強盗団vs夏木陽介のGメン」なる構図のアクション映画という内容で、怪獣映画としては人気薄のよう。

深夜の「夜行列車」

2009-12-16 | 映画・ロケ地訪問
「Pociąg」。



深夜TVで観たモノクロ字幕映画。つけてあったTVから流れるモダンジャズにのせた気だるいスキャットに惹かれて、まったく前知識なしに乗車シーンくらいから観始めたが、そのまま釘付けになって最後まで観てしまった。素晴らしかった。余韻に浸った。まだ浸り続けている。

それで、観なかった冒頭部分を観たくて YouTube で探してみた。始まって4分くらい、ちょうどタイトルロールが終わった後くらいから自分は観始めたらしく、結果的には欠けたシーンを観ていなくても映画を観るうえで影響は少なかったことが判った。


いわくありげなサングラスの男が乗り込んだコンパートメントには、予期せぬ先客がいた...



列車には二人の他にも様々な乗客が乗り彼らの人生模様が描かれる。実は最初にイタリア映画と思い込んで観ていたが、どうも言葉が違う。それでも、夜が白み始めた時分に列車が停車して、乗客が総出で列車から逃げ出した殺人犯を追いかけ追い詰めるシーンなど、フェリーニが撮っていてもおかしくないように思えた。


ルチーナ・ヴィニエツカとレオン・ニェムチック

実際はポーランド映画だった。調べてみると、監督は「尼僧ヨアンナ」を撮ったイェジー・カワレロウィッチ。マルタを演じた主演女優は監督の妻で、そのヨアンナを演じたルチーナ・ヴィニエツカ、主演男優はポランスキーの「水の中のナイフ」に主演で出ていたレオン・ニェムチックなのだった。(勿論、彼らの名前を覚えてなんていないが)二人とも凄く存在感があったのもうなづける。列車が出発する駅には「PERON 5」と書かれていたが、これは駅名ではなく「5番乗場」という意味らしく、そこは恐らく首都ワルシャワの駅で、終点の行楽地の海は夏のバルト海なのだろう。


「潮騒」の舞台 神島

2009-11-07 | 映画・ロケ地訪問
個人的な話になるが、私は旅先で島を訪れるのが好きだ。もともと水辺が好きなのもあるが、島は周囲が海に囲まれていて、城塞都市などと同様に独立した小世界のようなところがいい。片っ端から歩き回って地図を描きたくなる。さて最初に訪れた島はどこだったろう。と記憶を辿っていくと、小学五年生の夏に海水浴に志摩の離島、答志島に二泊していた。恐らく島に宿泊したのは、これが最初だろう。水平線に小さな島影が見え、定期連絡線がどんどん近づいていくと、やがて港と集落が見えて...という光景を今もよく覚えている。答志島は子供が踏破できるような小さな島ではなかったが、やはり帰宅してから絵地図のようなものを描いていたと思う。



三島由紀夫の「潮騒」は中学生になってから読んだ。その際、小説の舞台である「歌島」が実際は答志島のさらに東の沖にある、つまり志摩の離島四島の中では陸から一番遠くにある「神島」であることを知り、訪れたことのない神島を、答志島の思い出を重ねながらイメージして小説を読んだ。

今回 YouTube で「潮騒」映画化第二作、つまり吉永小百合と浜田光夫のヴァージョンの冒頭部分を見つけ、改めて神島の姿を確認できた。映画は上空から映した島の全景から始まり、ナレーションが小説「潮騒」の冒頭部分を読み上げる形で重なる。神島は思い描いていたより小さい、答志島より遥かに小さい、まるでエイのような形をした小島で、おそらく数日滞在すれば、子供の足でも踏破できる規模であった。



歌島は人口千四百、周囲一里に充たない小島である。歌島に眺めのもっとも美しい場所が二つある。一つは島の頂きちかく、北西にむかって建てられた八代神社である。ここからは、島がその湾口に位している伊勢湾海の周辺が隈なく見える。北には知多半島が迫り、東から北へ渥美半島が延びている。西には宇治山田から津の四日市にいたる海岸線が隠見している。二百段の石段を上って、一双の石の唐獅子に戌られた鳥居のところで見返ると、こういう遠景にかこまれた古代さながらの伊勢の海が眺められた。...(三島由紀夫「潮騒」から)

地図を描く代わりに、映画から空撮部分をキャプチャーして、眺めのもっとも美しい場所「八代神社」①と「灯台」②、そして映画のクライマックスになる旧陸軍施設「監的哨跡」③をプロットしてみた。③は嵐の夜に新治と初江が裸で焚き火を挟んで向き合った「その火を飛び越して来い」のシーンの廃墟。



(「島旅日記」という、志摩の離島への旅を提供する旅行社スタッフのブログが面白かった)

海女映画 空白の十年

2009-11-06 | 映画・ロケ地訪問
1957年「島の女」と時を同じくして作られた新東宝「海女の戦慄」以降、題名に「海女」を冠したキワモノ的な「海女」映画が、1960年代半ばから1970年代半ばにかけては全く作られず、1970年代後半に今度はポルノに変質した「海女」映画が量産されたことを指摘したが、この空白の十年間にはいったい何があったのだろうか。70年代半ばになって海女に対して何らかのネガティブ・キャンペーンが行われたようにも邪推してしまう。まさか今さら古事記の「海彦山彦」よろしく、海洋民族の末裔に圧力がかかったとも思えないが。

ここで忘れてならないのは、題名に「海女」を冠してはいない、重要な「海女」映画のシリーズが存在していたことだ。それは三島由紀夫の代表作「潮騒」の映画化作品である。「潮騒」は、三島がギリシャの「ダフニスとクロエ」から着想を得て三重県鳥羽市神島で取材のうえ執筆した、漁師・久保新治と海女・宮田初江の恋愛を描いた青春小説で、1954年に発表されて第一回新潮社文学賞を受賞、同年早くも映画化されている。以降、川端康成「伊豆の踊り子」(計6作品)と並ぶ文芸映画として計5作品が製作されている。時系列に並べると以下となる。

1954/10 「潮騒」東宝 監督・谷口千吉 キャスト・久保明,青山京子
1964/04 「潮騒」日活 監督・森永健次郎 キャスト・浜田光夫,吉永小百合
1971/09 「潮騒」東宝 監督・森谷司郎 キャスト・朝比奈逸人,小野里みどり
1975/04 「潮騒」東宝 監督・西河克己 キャスト・三浦友和,山口百恵
1985/10 「潮騒」東宝 監督・小谷承靖 キャスト・鶴見辰吾,堀ちえみ

これらを前出の「海女」映画とともに並べ直してみると興味深い結果となる。

1954/10 「潮騒」東宝 監督・谷口千吉 キャスト・久保明,青山京子
1957/07 「海女の戦慄」新東宝
1958/07 「人喰海女」新東宝
1958/08 「海女の岩礁」日活
1959/07 「海女の化物屋敷」新東宝
1960/07 「怪談海女幽霊」新東宝
1963/01 「海女の怪真珠」大蔵
1964/04 「潮騒」日活 監督・森永健次郎 キャスト・浜田光夫,吉永小百合
1965/06 「ちんころ海女っこ」松竹
1971/09 「潮騒」東宝 監督・森谷司郎 キャスト・朝比奈逸人,小野里みどり
1974/08 「性艶みだら海女」関東ムービー
1975/04 「潮騒」東宝 監督・西河克己 キャスト・三浦友和,山口百恵
1975/09 「(秘)海女レポート 淫絶」日活
1976/07 「色情海女 乱れ壺」日活
1977/07 「夜這い海女」日活
1978/07 「淫絶海女 うずく」日活
1979/07 「潮吹き海女」にっかつ
1980/07 「若後家海女 うずく」にっかつ
1981/06 「色情海女 ふんどし祭り」にっかつ
1982/07 「くいこみ海女 乱れ貝」にっかつ
1985/07 「絶倫海女 しまり貝」にっかつ
1985/10 「潮騒」東宝 監督・小谷承靖 キャスト・鶴見辰吾,堀ちえみ

これをみると、吉永小百合・主演の「潮騒」が新東宝・大蔵のキワモノ路線を終息させ、その後の空白の十年を生み、山口百恵・主演の「潮騒」が火をつけて日活ポルノ路線が始まり、堀ちえみ・主演の今のところ最後の「潮騒」がマンネリ化したポルノ路線を打ち止めている。吉永小百合が「新東宝」の海女のイメージを払拭し、山口百恵が(自身、映画二作目にして)再び妄想を植えつけ、堀ちえみがしらけさせてしまった?という構図になろうか。堀ちえみのせいなのか、第5作から20年以上を経ても第6作が作られていないが、来年の11月25日は三島由紀夫没後40年に当たるので期待できそうな気配。


「潮騒」第四作 「その火を飛び越して来い」のシーンの山口百恵

あと1984年に宮谷一彦の劇画を原作として白都真理が海女を演じた「人魚伝説」という映画があるらしい。

歪曲された海女のイメージ

2009-11-05 | 映画・ロケ地訪問
ソフィア・ローレン主演の「島の女」が公開された1957年、この海女の映画に影響を受けたのかどうかは知らないが、日本でも「海女の戦慄」という映画が製作・公開されている。配給元が低予算エログロ路線で知られる新東宝映画なので内容は推して知るべしで、悪漢が沈没した旧日本海軍の駆潜艇に残る財宝を海女を誘拐して引き上げようと企てる...という筋立てに、どこか「島の女」を換骨奪胎したような印象を感じる。


「海女の戦慄」 海女と言われないと判らない派手な水着

東宝から独立した初期の新東宝映画は地味な文芸映画の配給が多く客を呼べず経営状況が悪化したが、弁士出身の大蔵貢社長が招聘され、1956年から新路線の映画が作られ始めた。中でも女優を看板にしたお色気路線が好評で、アナタハン島事件を題材にしたスリラー「女真珠王の復讐」にも主演して日本映画で初めて吹替えなしの全裸シーン(後姿)を見せた「グラマー女優」前田通子が、「海女の戦慄」にも海女役で主演している。肉体派女優ソフィア・ローレンの海女に対抗したのか、タイトルバックで全裸で胸を隠して登場するシーンが話題を呼んだらしい。今ならCMにでもありそうなものだけど、当時はセンセーショナルだったのだろう。映画自体は評判が良かったとはとても思えない内容だが、この映画をきっかけとして題名に「海女」を冠したキワモノ映画が続々と作られることになる。以下に「海女」映画を時系列に並べてみた。ロケ地が海になるせいか、やはり公開は夏期に集中している。

1957/07 「海女の戦慄」新東宝 監督・志村敏夫 キャスト・前田通子,三ツ矢歌子,太田博之
1958/07 「人喰海女」新東宝 監督・小野田嘉幹 キャスト・三原葉子,三ツ矢歌子,宇津井健
1958/08 「海女の岩礁」日活 監督・森永健次郎 キャスト・筑波久子,香月美奈子,二谷英明 
1959/07 「海女の化物屋敷」新東宝 監督・曲谷守平 キャスト・三原葉子,菅原文太 
1960/07 「怪談海女幽霊」新東宝 監督・加戸野五郎 キャスト・明智十三郎,万里昌代
1963/01 「海女の怪真珠」大蔵 監督・小林悟 キャスト・梅若正二,泉京子,扇町京子
1965/06 「ちんころ海女っこ」松竹 監督・前田陽一 キャスト・中村晃子,ホキ徳田,加藤正



60年代半ばまでの「海女」映画は、意外にも出演俳優に有名どころが多い。新東宝お得意の「怪談」モノとの合体などにも妙に興味を惹かれる。

1974/08 「性艶みだら海女」関東ムービー 監督・関孝二 キャスト・泉ユリ,小島麻里
1975/09 「(秘)海女レポート 淫絶」日活 監督・近藤幸彦 キャスト・立花りえ,樋口マキ
1976/07 「色情海女 乱れ壺」日活 監督・遠藤三郎 キャスト・八城夏子,堂下かづき
1977/07 「夜這い海女」日活 監督・藤浦敦 キャスト・梓ようこ,中島葵
1978/07 「淫絶海女 うずく」日活 監督・林功 キャスト・八城夏子,青木奈美
1979/07 「潮吹き海女」にっかつ 監督・白鳥信一 キャスト・日向明子,飛鳥裕子
1980/07 「若後家海女 うずく」にっかつ 監督・藤浦敦 キャスト・佐々木美子,麻吹淳子
1981/06 「色情海女 ふんどし祭り」にっかつ 監督・藤浦敦 キャスト・安西エリ,江崎和代
1982/07 「くいこみ海女 乱れ貝」にっかつ 監督・藤浦敦 キャスト・渡辺良子,藤ひろ子
1985/07 「絶倫海女 しまり貝」にっかつ 監督・藤浦敦 キャスト・清里めぐみ,長野真大

その後十年という間を空けて甦った「海女」映画は、題名からして日活のポルノ路線の映画であろう。これらの映画とともに日本における海女のイメージは、より刺激的で淫靡なものへと歪曲されていったと思われる。最近までテレビで、海女のなり手が少ないと関係者の嘆くシーンをよく目にしたが、理由がわかるような気がする。

イルカにのった少年

2009-11-03 | 映画・ロケ地訪問
1957年公開、ソフィア・ローレンがイドラ島で海綿を獲る海女を演じて、彼女のアメリカ映画初演作で出世作となった「島の女」。その原題は「Boy on a Dolphin」つまり「イルカにのった少年」であった。たまに懐メロ特番や旅番組に顔を出す元アイドル?の城みちるのデビュー曲も同じ題名であるが、もちろんこの映画のサントラではない。どうでもいいが、この人はつくづく「海豚顔」だと思う。

映画の内容がどんなかというと、ソフィア・ローレン演じる海女フェードラが海中で、原題の「イルカにのった少年」の黄金像を見つけ、弟の学費など生活の糧にしようとアテネ考古学博物館に売り込みに行く。博物館で彼女に応対するのが、アラン・ラッド演じるアメリカ人考古学者コールダー博士。この話を盗み聞きしたクリフトン・ウェッブ演じるイギリス人美術蒐集家パーマリーが、像を横取りしようとする...というもので、海綿獲りの漁師が像を見つけて博物館に売り込もうとする設定は、半世紀前のアンティキティラ島での実話を基にしていると思われる。実はアンティキティラ島の時にも、沈没船を見つけたシミ島出身の漁師たちは、博物館に知らせる前に漁船に引き上げた遺物を密かに海外のコレクター市場に横流しして一儲けしたという黒い噂がある。

映画ロケ地としてイドラ島が選ばれたのは、この島に海女がいたかどうかは別にして、海綿獲りの産業が存在していたこと、首都であり観光地であるアテネの近郊という地の利、さらにモデルとなったアンティキティラ島にも比較的近かったことが挙げられるのではなかろうか。

エーゲ海の海綿

2009-10-29 | 映画・ロケ地訪問


ギリシャを旅した際、クレタ島やサントリーニ島の土産物を売る店の店先には、不恰好ではあるが見たことがないほど大きな海綿がぶら下げられていた。地中海、とりわけエーゲ海では古来「海綿獲り」が盛んという。

ソフィア・ローレンがギリシャの海綿獲りの海女の役を演じる映画「島の女」が有名で、その舞台は首都アテネにも近いイドラ島だった。この島は、エギナ島、ポロス島とともにアテネからの日帰りクルーズの訪問先として知られているが、これを「エーゲ海クルーズ」と呼ぶのは誤解を招く。この地域はエーゲ海よりさらに西に位置するサロニコス湾で、正しくは「サロニコス湾クルーズ」と呼ぶべきだろう。実際、エーゲ海で大きな海綿が獲れるのは、アテネから遠く離れた南東部の、ロードス島に近い海という。この地域の海は水温が高いそうである。なお「海綿獲り」の仕事は、ギリシャでは専ら男の漁師が行うものらしい。

イドラ島が舞台として選ばれた背景については改めて述べることとして、ギリシャにおいて海綿獲りが始まったのは、いつのことだろう。

紀元前8世紀のホメーロスの叙事詩「オデュッセイア」には既に「海綿」が生活用品として現れている。第22歌、漂泊の末に故国に戻ったオデュッセウスが、留守中に妻ペネロペに言い寄った求婚者たちを殲滅した後、女中たちに命じて、死骸を運び出させて海綿で血に汚れた高椅子と食卓を洗い清めさせる場面である。実際「海綿獲り」の歴史はずっと古く、ギリシアで考古学的に農業や漁業が行われた形跡のある紀元前6千年頃から行われてきたらしい。つまり「海綿獲り」はギリシャ最古、いや人類最古の産業のひとつと言ってもよいのだろう。

「カジノ・ロワイヤル」の「人体の不思議展」

2009-03-09 | 映画・ロケ地訪問
川崎で開催されていた「人体の不思議展」。怖いもの見たさに行ってみたいな。と思って、花粉症でぐずぐずしていたら、既に3/1日で終了しており、またまた見逃してしまいました。

ラスベガスのトロピカーナで「人体の不思議展」が開催されていたことは前に書きましたが、最近はトロピカーナから通りを隔てた向こうのルクソールに場を移したみたいです。その代わりにルクソールで観た「ツタンカーメン博物館」の展示は終了したみたいです。



そういえば、ラスベガスにはカジノ・ロワイヤルなるカジノ・ホテルがあることも紹介しましたが、只今上映中の新作「007/慰めの報酬」を観ようと思って、前作「007 カジノ・ロワイヤル」のDVDを見直していたら、マイアミのシーンで脈絡なく「人体の不思議展」が写っているのに気づきました。こんなのが出てきたとは、私、居眠りしていたのか不覚にも全く気づいていなかったです。



想像するに、解剖図鑑のように骨と筋だけになってもギャンブルに興ずる人体模型のシーン↓を、単に「カジノ・ロワイヤル」に登場させたかっただけだろうと思います。