Twitterを再録する形になりますが、そろそろ今年もあと10日となりましたので、今年の私、そして今年の文化各界、日本の在り方などをかんがえてみたいと思います。
歌舞伎の未来については、やはり海老蔵さんの今後がどうなるのか、みな結構悩んでいるのだなと思います。彼の舞台は大入り満員なのはよろこばしいことです。しかし、いずれ訪れる團十郎襲名にむけての、芸の充実がとみに望まれますね。市川宗家として、来年は台詞の言い回しも含めて、奮起を期待したいところです。
海老蔵さんと同世代、あるいはその前後の世代の役者たちが、充実してきて、歌舞伎の人気の裾野を広げるのに一助となっていますね。菊之助、松緑、染五郎、愛之助、猿之助、中車、勘九郎、彦三郎、七之助などなど。来年も彼らの動きから目が離せません。また、若手台頭の一年でもありました。ワンピースの成功で一躍スターダムにかけのぼった、尾上右近、隼人、巳之助、そして若女形として、梅枝、児太郎、米吉、壱太郎、その充実ぶりが見逃せない 松也、坂東亀蔵 なども、めきめきと力を付けてきており、若年層など幅広い年代層への歌舞伎の遡求の一助となっていると思います。
また、襲名披露でなかなか私は地方まで見に行けなかったのですが、芝翫、あるいはその上の雀右衛門といった人たちの活躍も忘れてはならないでしょう。芝翫については、立役としての本道を究めてもらい、吉右衛門、仁左衛門らにつづく歌舞伎の立役として、りっぱにつとめを果たし成長してもらいたいと願っています。
私自身は、今年は吉右衛門論を歌舞伎学会で発表した後、いろいろ劇評について悩むことが多かった一年でした。歌舞伎評論の表現は独特ですが、その域にとどまることのない表現方法が求められるのではないか、もっと普遍性を求めるべきではないかと痛感するからです。
また、SNS時代の評論については様々な意見があり、存在意義を改めて考えました。現在、私のブログは、常時500~最高で1000アクセス(一日あたり)来訪していただいているので、このブログの影響の大きさも痛感し、責任も芽生えた一年でした。新作歌舞伎の台頭も含め、これらをどう受容するか問われます。
また、歌舞伎のみならず、現代演劇についても、さらに来年は考察をふかめ見聞をひろげていきたいと考えています。いま、佐藤誓さんにすごく注目していますが、今後どんな才能が飛び出してくるのか、しっかり見守りたいと思っています。
一方感謝したいのがクラシック音楽との出会い。クラシック音楽を聴くことで、歌舞伎という「古典の現代的な意義をどう考えるか」というテーマを、より深く照射し、客観的に考えることができたように思います。パーヴォ・ヤルヴィさんやNHK交響楽団、国内外の様々なコンサートを仄聞する事で、心がより豊かになれ、日本の文化の成熟ぶりを実感できました。演劇、映画、音楽、美術と日本の芸術は爛熟を迎えていると思います。このブログを通じて、もっとたくさんの方に広げたいと思います。
クラシック音楽はまだまだ勉強中で、みなさんの教えを賜りながら書いていきたいと思いますが、終生のひとつの私の精神的支柱になったことはまちがいなく、6月25日、30日のパーヴォ・ヤルヴィさんとの出会いに感謝したいと思っています。
日本の社会情勢についても考えさせられ、批評家としての立ち位置を改めて問われた一年でした。憲法問題がクローズアップされることは今後否めませんが、日本の安全保障、外交が転換点を迎えつつあります。しかしながら、世界に平和国家としての信頼を取り戻すのは急務だと思います。また、真の裕福さとは、貧困とはという現実も突きつけられました。
批評家としての活動をどうこれから展開させていくか考える一方、就職活動を通じ、日本の経済成長の現実も見ることができました。求人は確実に増えています。が、求められる人材は「働き方改革」を標榜しながら、実際は企業に滅私奉公できる人材が求められていて、個の確立には道半ばの感があります。
日本の教育という問題についても、考察をする機会に恵まれました。森友・加計学園問題を通じて浮かび上がったのは、政治の「忖度」という問題もさることながら、日本人の精神的な支柱である「教育」を公権力がどこまでコントロールすべきなのか、あるいは、教育現場の自主性がどれだけ不可欠かというテーマだと思います。教育は国家100年の大計であることはいうまでもなく、政治権力はその行使にあたって、真摯かつ慎重にすべきと考えます。
子供たちの未来だけでなく、人生100年時代の生涯教育をどう考えるか、私なりに来年も考察を深めたいと思います。がんばります。どうぞよろしくお願いいたします。