シャルル・デュトワとN響のコンビもまた、盤石と思えるすばらしい出来映えの、サントリーホール定期演奏会だった。12月14日、討ち入りの日ではあったが、この日の溜池山王は、クリスマスムード満点。ドゥトワとN響の独壇場ともいうべき、すばらしいハーモニーに、私も聴衆たちも酔いしれた。
ハイドンの交響曲「女王」は端正に。そして、圧巻はやはり、2013年に発表されたという、細川俊夫作曲「嘆き」であろう。日本の現代音楽が演奏されるとどうしても難解な印象をあたえてしまいがちだが、細川のこの作品は、東日本大震災の死者へのかぎりない哀悼の念と、自然への畏怖と警句に満ちたものとなっている。特にすばらしかったのはパーカッションで、日本的な原風景_竹藪や風のささやきなども緻密に表現していた。適切かどうかわからないが、勅使河原宏監督や、篠田正浩監督、市川崑監督などの映画のような、哲学的な要素を思わせる曲である。弦楽器、管楽器も非常に巧みな技術を駆使していた。またソプラノのアンナ・プロハスカの厭世的な雰囲気も、不可思議な霊魂の世界を現出しており、大変な成功をおさめた。細川俊夫というひとの才能にも、非常に舌を巻く思いであった。
また、つづくメンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」も、非常に華麗ななかに哀感あふれる名演となった。はじめは哀愁ただよう曲調で始まり、やがて豪奢な旋律が現れる。ドゥトワは、繊細かつ豪快な指揮で、女王メアリー・スチュアートの在りし日の威容をたたえる「スコットランド」の大地と幻影を描きつくした。やがて訪れるスコットランドの悲劇も思わせて、秀逸な出来栄えであった。
事実上、N響元年ともいうべき体験をした私だったが、パーヴォ・ヤルヴィの指揮に魅せられて、N響の今日の充実と実力を知り、また、昨日のシャルル・デュトワ、あるいは、トゥガン・ソヒエフ、クリストフ・エッシェンバッハなどのすぐれた才能に出会えたのは、誠に僥倖ともいうべき一年だった。来年もどんな奇跡をN響が生み出すのかはかりしれず、その可能性に、私もめいっぱい賭けてみたいと思う。
年の瀬の風が、ここちよい、溜池山王の夜であった。