萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第35話 予警act3―side story「陽はまた昇る」

2012-02-24 23:15:58 | 陽はまた昇るside story
光、視線、支配 もうひとつの意味




第35話 予警act3―side story「陽はまた昇る」

濃紺の制服とダークスーツの群集に一点の温かい光彩。
暗色の群れの中で一か所だけ、あざやかに明るい色彩が誇らかな微笑みで佇んでいる。
警視庁術科センターを埋める昏い群衆のなか、オレンジとカーキの山岳救助隊服姿の国村だけが光彩を帯びていた。
まわりの選手たちが呆気にとられて国村を見つめている、その気配はじわりと会場を浸していく。
そして英二の隣で後藤副隊長がその異様な空気に気がついた。

「おい、宮田?あいつ、なんで隊服で選手の列に立っているんだい?」

いつにない呆気にとられたトーンの声に英二は笑いを飲みこんだ。
横を見るといつも穏やかで大らかな目が「驚いたなあ」と言いながら真直ぐに国村を見つめている。
そんな視線に気がついたのか、濃紺の制服姿の列から山岳救助隊服姿の国村が、片目をつぶってみせた。

「あっ、光一?あいつ、なんか悪戯を企んでいるな?いや、もう悪戯が始まっているんだな?」

やられた、と声に滲ませながらも後藤の目は笑いだしている。
他の青梅署のふたりも驚いて国村を眺めて、すぐ可笑しそうに笑い始めた。

「国村、いつも通りですね。今日はどうするんだろ?」
「ですね?あいつ、いつもこうですよね、」

刑事課の加納と交通課の木村も青梅署独身寮にいるから、国村のことはよく知っている。
警察組織でこんな規定外のことをして「いつも通り」なんて言われるなんて?けれど国村らしくて可笑しい。
どうなるかなと微笑んでいる英二に、後藤副隊長が訊いてきた。

「なあ、宮田?おまえさんなら、あいつの考えが解っているんだろう?なんで光一は、活動服から隊服に着替えたんだ?」

いつも後藤は警察官として公式の場にいるときは上司の立場で「国村」と呼んでいる。
けれど思わず「光一」と呼んでいる後藤は、驚いて素の立場「亡親の友人」に戻ったままでいるのだろう。
こういう後藤の温かで正直なところが英二は好きだ、なんだか色々愉しく想いながら口を開いた。

「副隊長、国村は知っているんです。今回の『青梅署の意地』について、」
「あっ、あいつ知っちゃっていたのか?まあ、でも気づくかな、あいつなら」

仕方ないなあと後藤は苦笑いしている。
でも本当は気づくだろうと後藤も解ってはいただろう、微笑んで頷きながら英二は話した。

「国村、今日は山岳地域の警察官として出場するんです。
山ヤの警察官の誇りと意地を懸けて『警視庁』に勝ちに行っています。
だから山岳救助隊服で出場したんです、これが山ヤの警察官の正式な制服だから一番相応しい格好だろう、って」

こう考えて国村は救助隊服で立っている、それが英二にはよく解る。そして英二が理解していると国村も解っている。
英二の答えに後藤は愉快気に笑った、けれどもう1つ英二に尋ねてくれた。

「そうか、あいつらしいよ、うん。でもな?
あいつ、さっきまで活動服姿で俺たちと居たんだよ。どうして開会式の直前になってから、隊服に着替えたんだ?」

この疑問も当然だろうなと英二は微笑んだ。
いつもの国村の考えなら青梅署から隊服姿で来れば「楽ちんで良いよね、」だろうから。

「それはきっと、青梅署に迷惑をなるべくかけない為だと思います」
「迷惑?どういうわけだい、」

大らかな目が首傾げながら謎解きの続きを促してくれる。
穏やかに笑いながら英二は謎解きをした。

「開会式直前に着替えれば、誰も止めることが出来ないでしょう?
他の誰も、青梅署の人間であっても、国村があの格好で出場すると解らない。
そうやってね、国村は自分の独断でやったことだ、ってしたいんです。そうすれば青梅署にかかる迷惑が少しでも減りますから」

この大会に国村は山ヤの警察官として男として戦いに行っている。
この戦いを国村は誰にも止められたくない、そして独断で行うことで青梅署への迷惑を減らしたい。
そういう怜悧な優しさと男気を国村は豊かに持っている、そんな国村だから同じ男で同じ山ヤの警察官たちに愛されている。
ほっとため息をついた後藤は心から嬉しそうに笑った。

「そうか、光一。俺たち山ヤの警察官の怒りと誇りをな、ひとり背負って勝ちに行ったんだな?
まったく困ったもんだ、敵わんよ。あいつはな、最高の山ヤで男だよ。本当に国村にはあれが正装だよ、なあ?」

ほんとうに国村は最高だ、こういうアンザイレンパートナーが嬉しくて英二も笑った。
加納と木村も愉しそうに笑っている、きっと澤野と山井も笑っているだろう。青梅署の皆が山岳警察の誇りを国村に見つめている。
でも警視庁の人間達は黙って見過ごすことはしないだろうな?思いながら見守る先で幹部達が壇上へと上がり始めた。
それでも会場はまだざわめいている、それを見ながら司会者がマイクの前に立ち、怪訝そうに会場を見渡しながら指示をした。

「静粛に、これから開会式を…っ、?」

司会者の視線が一点に止められ、声が止まった。
その視線を会場中の人間が怪訝そうに追い、そして皆が気がついて息を呑んだ。
ダークカラーの制服とスーツ姿から総べられる視線の真中で、オレンジとカーキの山岳救助隊服姿は端然と佇んでいる。
佇む秀麗な横顔は誇らかで静謐が美しかった、こういう国村の顔を英二は見たことがある。
それは遭難救助の現場の中で、遭難死した遺体を危険地帯から無事に救い出したときの顔だった。

これから国村は警視庁に、警察組織に対して宣戦布告をする。
そしてある意味の「終焉」を叩きつける気でいる、既に始まっている「謹厳な悪戯」で場を支配し目的を遂げようとしている。
そんな今の国村には、この警視庁のざわめきは終焉していく者の声に聞こえるのかもしれない。
これを理解できる人間は今この会場にどれ位いるだろう?
そうした想いに微笑んで見上げる壇上では慌ただしく司会者が実行委員と話している。
短く話し終え、またマイクの前に立つと司会者が呼びかけた。

「開会前に注意があります、制服とスーツ以外の服装での出場は許されません。違う衣服の者、至急着替えて出場しなさい」

呼びかけながら司会者が国村を見た。
その視線を追って会場中が国村を見つめ、しん、と会場中が静まった。
事が起きる前の地雷をふくんだ静謐、それはどこか冬富士の雪崩が起きる一瞬前に全山を覆った静謐と似ていた。
その静謐を、透明なテノールの声が真直ぐに響き渡った。

「発言を失礼いたします、青梅警察署山岳救助隊所属、警部補国村光一が申し上げます」

いつもどおりの底抜けに明るい目で壇上を真直ぐ見、朗々と国村は名乗りを上げた。
見つめられた司会者が怯んだのが見てとれる、きっと国村の瞳の底の怒りが届くのだろう。
それでも落ち着いて明るいテノールの声は、いつものように真直ぐ透って会場を響いた。

「仰るところの『違う衣服の者』がもし私であるというのなら、私は異議を申し上げなくてはいけません。
なぜなら、青梅署山岳救助隊員の私には、この山岳救助隊服こそが正式な制服であるからです。
それを『違う』と仰ることは、警視庁警察官として託された任務への侮辱に繋がります。何卒、ご発言の撤回をお願い致します」

会場中が透明なテノールの声が述べた言葉に呑みこまれた。
呑みこまれた静謐の中から、まず五日市署のメンバーが微笑んで、高尾署の警察官達が笑った。
それから第七機動隊山岳救助レンジャーの隊員達も愉しそうに国村を見た。
そして壇上にいる幹部でも一人の初老の男が小さく頷いて微笑んだ。
そんな空気のなか国村に気を呑まれながらも司会者は指示を出そうとした。

「だが活動服か制服での出場が当然だ、それを君も解っているはずです。即刻着替えなさい、」
「お言葉ですが、着替える必要はありません」

全く動じる気配もなく、透るテノールの声は朗々と発言した。
その声に衆目がまた統べられていく、視線と好奇心の中心で国村は所信を透明な声に乗せた。

「山岳救助隊員にとって隊服こそ制服であり『活動服』だからです。
この隊服は仰るところの『活動のための制服』すなわち『活動服』の規定から外れていません。
そして出場規定には『制服』とあるだけです。この山岳救助隊服での出場は規定に適っています。それとも、」

一瞬だけテノールの声が止まった。
その停止に衆目がオレンジとカーキの山岳救助隊服姿に集まっていく。
警視庁の射撃名手と幹部の視線を統べた頂点で、誇らかな底抜けに明るい目が真直ぐに壇上を見つめた。

「それとも、山岳救助隊服は正式な『制服』として認められないのでしょうか?
それは山岳地域の警察官と山岳警察の任務を、警視庁では『正式』と認めていない。これが本意なのですか?
そうした『非公式』とされる被差別的存在が、私の所属する山岳救助隊であり山岳地域の警察官だ、そういう事ですか?」

静謐のままに会場中の人間が、透明なテノールに呑まれている。
そんな静謐の中で英二は微笑んで、大切なアンザイレンパートナーの山岳救助隊服姿を見ていた。
いま国村の救助隊服姿に込められた意志がもう1つある、きっと国村は周太に一番伝えたいだろう。
たぶんそれも国村は「宣言」するだろうな?そう見つめる横顔が誇らかに言葉を続けた。

「山岳救助隊は山の安全を守っています。そして人命救助と遺体収容が主務となります。
いかなる危険地帯であっても、生命の危機を救い、遺体を捜索して死者への礼を尽くし、人間の尊厳を守る。
これが私の任務です。山と人間の生命と尊厳を守る、そのために自分も命を懸け、毎日任務に就いています。
これは山岳警察に所属する警察官全てが同じです。そして警察官として当然の姿勢です。
人間の尊厳を守るため命を懸け任務に就く、これは全ての警察官に同じ誇りです。その誇りに私も任務に就いています」

透明なテノールの声は「人間の尊厳を守るために自分は山ヤの警察官である」と誇りを謳いあげ意志を宣言した。
この宣言は警察組織への宣戦布告、そして国村が誰より周太に伝えたい誇りと想いの真直ぐな宣言だろう。
この警察組織に周太の父は「人間の尊厳」を踏み躙られた、そして周太の苦しみが始まり今も終わっていない。
国村は峻厳な掟「山」の規範に則り「人間の尊厳」を尊重している、これを遵守出来ない無法な世界として警察組織を見た。
だからこそ国村はこの場で宣言した。
この競技会が射撃の名手を選び周太の父と同じ道に進ませる底意の愚かさを嗤ってみせた。
そうやって警察組織に「人間の尊厳」を警告し、周太に「人間の尊厳も懸けて君を守る」と告白し誇らかな自由に微笑んだ。

国村が謳いあげた「人間の尊厳を守る警察官としての誇り」の宣言に静謐は息を呑んでいる。
きっと同じ警察官なら誰もが想念を惹きとめられてしまう宣言だろう。

人間の尊厳を守る誇り、「山」を守る誇り、そして愛するひとを守る誇り。
警察官として山ヤとして男として、誇らかな自由に立って国村は宣言をし、この場を統べて従え支配した。
こんな自分のパートナーが本当に大好きで誇らしく、大切だ。大切な横顔を見つめて穏やかに英二は微笑んだ。
きっと周太にも国村の想いと意志は届いて、微笑んでいる。

いま会場を支配する静謐の底かすかに、賞賛と微笑が生まれ育っていく。
青梅署はもちろん、五日市署と高尾署、そして第七機動隊へと国村の宣言は飛び火している。
その飛び火と国村を点に「賛同」が山ヤの警察官から一般警察官を浸すのを、ゆるやかな風紋のようだと英二は見つめていた。
いま場を支配する雪山にも似た静謐のなか、真直ぐに国村は透明な声を響かせ「問い」をこの場の全てへ投げかけた。

「司会者の方を始め、ご列席の皆さまにお伺いします。
人間の尊厳を守る任務に山で着用する、この山岳救助隊服は正式な『活動服』とは認められないのでしょうか?
私が誇りをもって命を懸ける山岳警察の任務は、警察官として正式に認められない、差別されるべき存在でしょうか?」

ホールに朗々と響くテノールの声は、警視庁けん銃射撃大会の開会式を制圧した。
制圧された静謐のそこから賞賛と微笑が湧きあがる温度が英二の頬を撫でていく。
きっと、今なのだろうな?素直に感じる想いのままに英二は、長い指の掌を、ふたつともに胸の前に挙げた。

パンっ、

大きな拍手がひとつ、術科センターの静謐に響き渡った。
続けて英二は両掌に大らかな拍手を起こし静謐に大きく響かせ「賛同」の意志を明確に表明した。
その拍手に続いて五日市署、高尾署から拍手が湧きあがっていく、それは第七機動隊へとすぐに広がった。
それから各部門、各警察署の、山ヤらしい雰囲気の警察官達へと漣のように広がっていく。
温かな拍手の波紋が広がっていく波に、司会者が焦ったようにマイクへ叫んだ。

「静粛に…!」

ぱんっ!

司会者が叫んだと同時に、司会者の背後から大きな拍手がひとつ起きあがった。
壇上の拍手は朗らかに響いていく、その響きに会場中の視線が壇上の1点に向けられてく。
その視線の先には、愉しげに微笑んだ初老の幹部が大きな拍手を響かせていた。
初老の男は先ほども頷いて微笑んだ幹部だった。

「はい、わかりました」

微笑んで立ち上がると、彼は警視総監を振り返った。
視線を受けて途惑った顔のまま警視総監が見返すと、彼は穏やかに口を開いた。

「警視総監に提案いたします、どうか、任務に命を懸ける警察官の1人としてお聴き頂けるでしょうか?」
「うむ、聴こう、」

渋々と言う雰囲気で警視総監は頷いた。
そんな彼を英二はすこしだけ同情しながら、初老の男の穏やかな微笑みを見つめた。

「命懸けで任務に就く、これは我々警察官のあるべき姿です。
この姿は全ての警察官の当然の姿です。本部勤務でも都心でも、山岳地域でも同じです。
そして都心の警察官が活動服で任務に就くように、山岳警察官が着用する山岳救助隊服は立派な『活動服』と言えます。
ならば命懸けで任務に就く同じ警察官として、私たちは国村警部補の意見を尊重すべきだと思います。いかがでしょうか?」

穏やかで落ち着いた声は静かに会場を浸していく。
その声が告げる言葉と想いへと波のように賛同が打ち寄せていくのに英二は微笑んだ。
きっとこれで決まりかな?そんな想いで見つめる先で、警視総監が頷いた。

「うむ、認めよう。山岳救助隊服での出場を許可する」

会場の空気が花開くように静謐のまま沸いた。
警視総監へ頷きながら初老の男は微笑んで、口を開いて告げた。

「お聞き及びの通りです、青梅署山岳救助隊所属の国村警部補、山岳救助隊服で出場してください」

会場から拍手が大らかに賞賛と賛同の意志の表白に湧きあがった。
一部には苦々しい顔の空気もある、それでも山ヤの警察官達の誇らかな笑顔は温かで明るさに充ちている。
そんな二色の視線の真中で国村は、いつもどおり底抜けに明るい目で真直ぐに見つめて、誇らかな自由のまま佇んでいた。

「司会の方、お待たせいたしました。どうぞ開会式を始めてください。よろしくお願い致します」

幹部らしい初老の男は穏やかに司会者へ促すと壇上の自席へと座り微笑んだ。
司会者は途惑いながらも安堵の顔でマイクの前に向き直った。

「では、これより。警視庁けん銃射撃競技大会の開会式を始めます」

予定より幾分か遅れ、警視庁けん銃射撃競技大会の開会が告げられた。
進んでいく式次第を眺めながら英二は、壇上の初老の男を真直ぐ見つめていた。
あの幹部は誰だろう?顔を記憶する英二の横から、そっと後藤が教えてくれた。

「蒔田警視長だよ、山ヤなんだ」
「じゃあ、警視庁山岳会のメンバーですか?」

訊くと後藤の目は少し悪戯っ子に笑っている。
そして愉しげに低い声で教えてくれた。

「ああ、副会長でな、山岳会では俺の部下だよ。
蒔田は大卒のノンキャリから出世してな、今は地域部長を務めているがね。元は山ヤの警察官でな、俺の後輩なんだ」

警視長は警察法第62条に警視総監、警視監に次ぐ第3位の階級として規定され、ノンキャリアの最高階級となっている。
そして「地域部」は本部セクションとして警視庁をはじめ道・府および主要県警察本部に設置されている。
この地域部は市民生活に身近な交番や駐在所、110番受付など事件対応配備を担当する通信指令室の運用管理を統括していく。
ようするに英二たち駐在員のトップにあたるのが蒔田が就任している地域部長だった。
そういう人でも警視庁山岳会では会長の後藤にとって部下で後輩になる。山ヤらしい横の繋がりが楽しくて英二は笑った。
そんな英二に笑いかけてくれながら、さりげなく後藤は目許を拭って微笑んだ。

「しかしなあ、光一のヤツ…あいつは男だよ、そして立派な山ヤの警察官だなあ。うん、うれしいな」

トップクライマーとして育てるため後藤は、自分の警視庁山岳会に入れようと国村に警察官への任官を勧めた。
そうして後見を務めて友人の遺児を最高のクライマーに育てることが、亡くなった友人に対するはなむけだと見守っている。
そんな国村がクライマーとしてだけではなく、親代わりともなる後藤が生涯を懸ける「山ヤの警察官」に対しても誇りを表明した。
きっといま後藤は温かな喜びに充ちて誇らしい、そういう後藤と国村がうれしくて英二はきれいに笑った。

「はい。国村は最高の山ヤの警察官です」
「うん、…ありがとうよ、宮田。ああ、今日はなあ、思わぬプレゼントをもらえたな?」

温かい想いに笑いあいながら2人、ダークカラーの群集に唯一あざやかな光彩で佇む横顔を見た。
この競技会に懸ける国村の戦いは「開会式」にまず勝利した、その横顔は静かで底抜けに明るい目は真直ぐ揺るがない。
この開会式を制圧し国村は台風の目になった、競技でもその座に立ち続けるだろう。
そんな確信と友人への信頼に微笑んで英二は開会式に佇んだ。


警視庁けん銃射撃競技大会の競技が始まった。
その競技種目は、センター・ファイア・ピストルの部、制服警察官の部、私服警察官の部の3種。
1人400点満点で正選手3人の合計点を団体戦では競い、各種目ごと出場選手全員で競う個人競技成績も出される。
警視庁は102の警察署を有し、第1方面から第10方面に分けられている。
これに加えて各機動隊、本部からの選手が出場するため、各部ごと出場選手は100人を超えていた。

英二と国村が所属する青梅署は第9方面、周太の新宿警察署は第4方面となる。
全く違う方面同士で周太とは観覧場所も離れている。それでも遠目に様子が見えて英二は微笑んだ。
先輩の言葉に素直に頷いて微笑んでいる周太の様子には、緊張は少なく疲れも見えない。
もう周太は1回目の射撃を終えている、予想通りの満点でそのグループを1位で通過した。
大丈夫そうかな?そう眺めている英二の額を白い指が小突いた。

「こら、ぼけっとしてんじゃないよ?まあ、気持ちは解るけどさ、」
「あ、国村。そろそろ時間?」
「だよ。で、さ?おまえ以外にね、もうひとつ視線が同じとこ見てるんだけど?」

言いながら救助隊服姿で腕組だ国村は、組んだ腕に乗せた手から白い指先で一点を刺し示す。
すこし体をずらし英二は国村の顔の向こうへと、白い指先が刺す一点を視界へと入れた。

身長170cm程、闘志型体型、憔悴の翳と鋭利な目をした40代の男。

11月の全国警察けん銃射撃大会で見た顔の記憶が素早く引き出された。
その記憶の顔といま遠目に見る顔の照合が脳裏でかちり合さっていく。
穏やかな微笑みのまま英二は国村に頷いた。

「うん、11月も見たな、」
「ふうん、やっぱりそうなんだね?ま、見るからにって感じだよな」

からり笑って国村はぐるり首をひとつ回して英二を見た。
そして組んでいた腕をほどくとポンと英二の肩をひとつ叩いて悪戯っ子に細い目が笑んだ。

「さて、ちょっと俺はこれから『競技』ってヤツに付きあってくるよ。
で、宮田?この視線がさ、俺の射撃を見てどんな変化するのかも見ておいてよ?たぶん見モノだろうからさ、」

SATはテロリストと渡り合う際に狭い通路や屋根の低い室内で動くため、身長170cm程という採用条件がある。
そのため180cm級の長身では採用が出来ない、そして国村の身長は184cmで英二よりもわずかに高い。
この高身長では国村は、どんなに射撃の天才でもSAT狙撃手には絶対に指名できない。
採用条件外でありながら高能力を誇る国村の姿を見つけた「彼」がどんな表情をするのか?
それを面白がろうと国村は英二に持ちかけている。
きっとこれも国村の戦いのひとつ、ならそれを一緒に見届けたい。きれいに笑って英二は頷いた。

「おう、よく見ておくよ。だから安心して10点ちゃんと撃ち抜けよ?今日は練習じゃないからな」
「そのつもりだけど?ってね、宮田。そんなこと言わなくってもね、おまえは解っているんだろ?この場で俺が出すスコアは、さ」

それは充分にきっと解っているだろう。
けれどいつもの癖でつい念押ししてしまうな?そんな世話焼きの自分も可笑しくて英二は笑った。

「うん、解ってるよ。それも大切なポイントだもんな?」
「そうだよ、宮田?俺はね、あの扉を嗤ってさ、粉々にしてやりたいんだ」

可笑しそうに片目をつぶって国村が笑う。
その視線が見ている「あの扉」が何なのか英二には解る。穏やかに微笑んで英二も頷いた。

「ああ、あの扉は、…必要なんだろう、けれどね、全てを肯定することは俺には出来ない」
「だろ?だいたいさ、『あの扉』の全てを肯定が出来る人間なんてさ?いたら変態だよな、ねえ?」

『あの扉』

術科センター射撃場の奥の扉はSATの練習場と言われている。「射撃に秀でた小柄な警察官」はあの扉に惹きこまれていく。
もしSATに射撃で選ばれたら重たい秘密を背負わされ、警察官としての履歴も抹消されて存在を消されていく。
そうして負わされる秘密は家族にも口外できず、ひとり孤独に秘密を見つめることを強いられる。
その秘密に隠され負わされる重たすぎる荷は、一生涯ずっと死ぬまで背負わされてしまう。

「うん…もし肯定できるなら、それは傲慢だろうな?『秘密』の重さが理解できないほどに、」

そんな傲慢さは哀しい。
どんなに必要な「秘密」であったとしても、では誰がその「秘密」の贖罪をするのだろう?
かすかにため息を吐いた英二の肩越しに、「あの扉」を見ながら底抜けに明るい目が、すうっと細まった。

「俺はね、そんな肯定は大嫌いだよ。そういう『秘密』はつまらないね、」

細まった目の底から怒りが冷たく起きあがるのを英二は見つめていた。
この国村の怒りは雪崩と似ている、きっと容赦なく「この場」も呑みこむだろう。
さっきの開会式での拍手も雪崩のようだと英二は佇んでいた、この怒れる雪崩は今日を統べ呑みこみ尽くすつもりでいる。
その怒りに素直に英二は頷いた。

「そうだな、俺も苦手だな。きっと国村と同じくらいに、」
「そりゃそうだろね?」

ぱっと底抜けに明るい目が愉しげに笑った。
悪戯がひとつ成功して喜んでいる子供の顔になって、うれしそうに国村は英二の額を小突いた。

「さっきもさ?おまえ、絶妙の間合いで拍手を入れただろ?イイ合いの手だったよ、」
「あ、俺だって気づいてたんだ?」

あのとき国村は真直ぐ壇上を見つめたままだった。
よく気がついたな?目でも訊きながら微笑んだ英二に当然だと細い目が笑んだ。

「気づくよ、おまえの拍手ぐらい解るね。しかも俺の呼吸をよく読んでいた、おまえ位だろ?あんなこと出来るのはさ」
「そっか、解ってくれてなんか嬉しいよ。ありがとな、」

こんな信頼は嬉しい、うれしくて英二はきれいに笑った。
おや美人だねとまた英二を小突きながら国村は悪戯っ子の目で言った。

「こっちこそだよ?おかげでさ、蒔田さんを巧いこと引っ張り出せたね」
「あ、やっぱり知ってるんだな、国村は。じゃあさ、やっぱり蒔田部長も計算に入れていたんだろ?」

英二の拍手の後に湧き起った満場の拍手、それを司会者が止めようとした機先を制した壇上の拍手。
その機先の制し方が絶妙だった地域部長蒔田警視長、ノンキャリアから警視庁第3位のポジションに昇った男。
どんなひとなのだろう?考えながら見る先で国村が笑って教えてくれた。

「そりゃね?あの人は地域部長だ、当然観覧に来るだろ?で、もちろん俺の味方するに決まってる。
元が山ヤの警察官だ、しかも後藤副隊長とタッグ組んでさ、俺をトップクライマーに仕立てようとしてる人だからね。
だから多分ね、もう宮田のことも知ってるんじゃない?きっとさ、後藤のおじさん今日は会わせるつもりかもしれないよ」

この大会に英二は国村の付添として参列している。
けれど、ただの付添では終わらなそうだ。意外だけれど納得できる展開に英二は微笑んで首を傾げた。

「うん?そうなのか?」
「たぶんね。そしたらもう、おまえはクライマーとして任官することが決定だよ。
警視庁でも山岳会でも、公式的に俺のアンザイレンパートナーに認められていく事になるだろね。
そしたら堂々と登山の為に公休が取得出来るようになる。その為にも後藤副隊長はさ、宮田を俺の付添にしたんじゃない?」

このことを国村は後藤から聴いたわけではない。
生来の怜悧で冷静沈着な判断力から考え導き出した解答なのだろう、そしてきっと正鵠をまた射ぬいている。
こういう男と友達でパートナーとなっている今がちょっと不思議だ。
けれど、こうして並んでいるのは自然で楽しい。楽しい想いと「今日」の意外で納得できる真相に英二は微笑んで低く言った。

「そっか。今日、俺も進路が決まるんだな…周太と一緒、か」
「そういうこと。…お?なんかさ、ちょっと妬けちゃうね?ま、仕方ないかな。おまえもね、あのひとのFemme fatalだしさ」

さらり言って笑いながら大らかな想いのまま認めてくれている、こういう大らかさが好きだなと素直に英二は微笑んだ。
この大らかさのまま国村は開会式で誇らかな宣言をして、今この場を統べるポジションに立った。
いまこの会場中で、オレンジとカーキの青梅署山岳救助隊服姿を知らない人間は1人もいない。
この統べた視線を掴んだまま国村は競技に立ち、更に支配を強めていくのだろう。競技場を振向いて英二は微笑んだ。

「そろそろ前のグループが終わるよ、」
「お、急がないとね?じゃ、宮田。観覧と観察、両方よろしくな、」

からりと笑うと国村は、底抜けに明るい目を悪戯っ子に笑ませて集合場所へと歩いて行った。
オレンジとカーキがあざやかな青梅署山岳救助隊服の背中を見送って、ふっと英二は気がついた。
警察学校時代に見た写真の、警視庁青梅署山岳救助隊員の背中。
あれは隊服の上から「警視庁」と白く染め抜かれたスカイブルーのウィンドブレーカーを着ている背中だった。
誇らかな自由がまばゆい頼もしい背中から、この山岳レスキューの道に希望と夢を英二は見つめた。
いま国村は自分の誇りをかけた戦いに行く、その背中とあの写真に見つめた救助現場に戦う背中が重なっていく。

「…そうだったら、ちょっと納得、かな?」

ちいさく呟いて英二は微笑んだ。
もしそうだとしたら自分は出会う前から国村を見つめていたことになる。
これもまた運命的だな?そんな想いが可笑しくてちょっと笑っていると後藤副隊長が訊いてくれた。

「お、宮田。なんだか楽しそうだな?なにかあったのかい…て、まさか光一、また何かやる気なのかい?」
「いいえ、違います。たぶん競技中はなにもしないですよ、きちんと10点を狙撃すると思います」

自分が可笑しそうにしていると、国村がなにかする。
そんなふうに思われているんだな?それも可笑しくて英二は笑いを飲みこんだ。

「そうかい?なら良いんだが…うん?おまえさん、いま『競技中は』って言ったな?」
「あ、副隊長。始まりますよ?」

ちょうどよく競技が開始されて英二は微笑んだ。
言われて後藤はすぐに国村の姿を探すと、真剣に見つめ始めた。

センター・ファイア・ピストル、略してCP。
1.4Kgの拳銃を片手で持ち、立ったままの姿勢で25m先の標的を狙撃する。
真中に命中すると10点、真中から離れるほど点数は低くなっていく。
CPでは「速撃ち」で精密と速射の合計得点を競い「遅撃ち」では精密のみの得点を競う。

選手たちが射場へと入って行く、そのダークカラーの背中達でひときわ高身長の背中だけが明るい生彩に充ちて見える。
いつも通り姿勢よく歩く国村の明るい、広やかに端正な背中の向こうに扉が見える。その扉を英二は真直ぐ見つめた。
国村は「あの扉」を嗤って粉々にすると言っていた。そこにあの闘志型体型の男も含まれるだろう。
きっと国村は自分の能力を見せつけながら「あの扉」に入るには自分が「大きすぎる」ことを誇示する。
そのためのスコアを今日は真剣に作り上げていくのだろう。

そんな想いと見ている先で国村は、射場の与えられたブースに入った。
ホルスターから拳銃を抜く。シリンダーを開いて装填された弾の雷管に傷が無いか確認して閉じた。
そして規定の試射が始まり、いつものように国村はすこし頭を傾けノンサイト射撃に構えた。
きっとあの細い目は真直ぐに的を捕らえている、直線的な視線上に拳銃のサイトを突き出すように構えているだろう。
そして白い指は引き金を絞る、そう感じたとき国村の的は的確に撃ち抜かれていた。

ノンサイト射撃は普通10mまでの近距離で用い、25m先の標的を狙うCP競技では普通ノンサイト射撃は使わない。
けれど周太は距離に関係なくノンサイト射撃を使う、それは国村も同様だった。
それどころか国村はクマ撃ち用の猟銃ですら片手撃ちノンサイト射撃を行う。
クマ撃ちの家系に伝えられた特殊な射撃法があるらしい、その離れ業で数百m先のザイルですら国村は撃ち落とした。
そんな国村にとって競技射撃はまさに「お遊び」だろう、そう見ている先で国村の狙撃が始まった。

標的が的に現れる、その瞬間に国村は狙撃した。
そのスピードに他の選手誰もが息を呑んだのを英二は感じた、そして的は的中されている。
いま始まった遅撃ちは精密射撃ともいい、5分間の制限時間内に5発撃ちを4回。計20発
ようするに1発につき15秒ほど時間が与えられる計算になる、だから普通は確実に狙って撃っていく。
けれど国村はお構いなしに標的が現れた瞬間に狙撃する、そして残り14秒は腕を斜め45度に下げて待っていた。

その背中が「さっさと撃ちな、速くしろよ?」と嗤っている。
そんな山岳救助隊服の背中を会場中が驚いて見つめていた。
そしてあの闘志型体型の男は賞賛の目で見つめている、けれどその底には落胆が蟠っていく。
あの腕で背が低かったら―そんな心の呟きが漏れ聞こえるようで英二は軽く眉を寄せて微笑んだ。

遅撃ちが終わると後半の速撃ち競技が始まる。
遅撃ちと速撃ちではグリップの握り方と構えを変える、選手たちは軽くグリップを持ち直し少しオープンな姿勢に変えた。
けれど国村はさっきと同じ姿勢でノンサイト射撃に構え、軽く首を傾げるように頭を傾けた。

速撃ちは速射ともいう。
7秒ごとに3秒間現われる標的を1発ずつ5回撃つ、これを4回行い計20発。3秒の間に1発の計算になる。
そのため遅撃ちのように構え直す時間は無いく、良い姿勢を保ち的確に撃つため銃を持ち上げた姿勢を一定に保持する。
そのため発射の衝撃に片手で耐えられるだけの筋力とバランスが要求されるのが速撃ちになる。

速撃ちが始まり標的が現れる、また国村は標的出現の瞬間に狙撃した。
そして次の標的が現れるまで残り6秒間のうち4秒間、のんびり腕を下げて佇んだ。
すこし首を傾げて、残り2秒間になると徐に腕をあげまた構える。そして標的出現の瞬間に狙撃した。
瞬間に標的を捉えると同時に狙いを定め、放たれる銃弾は決して外さない。
クマ撃ち用の大口径ライフルを片手で軽々支える国村にとって、拳銃をずっと支える程度は容易い。
だから本当は腕を下げる必要はないだろう。それでもわざと下げ時間の余裕を見せつけ「ほら速く撃てよ?」と挑発している。

きっとこの調子で勝ち進むつもりだろうな?そんな想いで例の闘志型体型の男を見た。
彼は国村の射撃に喜びながら不本意といった、ごく複雑な顔で国村の背中を見守っている。
そういう複雑な視線、素直な賛嘆の視線、様々な視線を統べながら国村は「規定外」といった射撃で的中していく。
そのまま速撃ちも終えて、満点スコアの国村はグループ1位で通過した。



(to be continued)

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