萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第35話 予警act.4―side story「陽はまた昇る」

2012-02-25 23:43:41 | 陽はまた昇るside story
生、死 ひとつの弾丸と鍵  



第35話 予警act.4―side story「陽はまた昇る」

優勝候補筆頭の周太に国村は並んだ。
同じ満点での同点1位で予選通過、会場中が意外な予選結果への驚きと勝利の行方に沸いている。
11月の全国大会で満点優勝した周太のスコアは誰もが予想していただろう、けれど国村は初出場でノーマークだった。
しかも国村の射撃法は、標的確認から狙撃までのスピードがずば抜けて速い。その速射と精密能力は群を抜いている。
文字通りダークホースとして現れた国村への注目は射撃能力に於いても今大会随一になった。
そうして開会式で視線を統べた「度胸」に「能力」を加えて国村は、この警視庁術科大会で「視線」の支配権を掴んだ。

このスコアと国村が作り出す状況は、聡明な周太なら当然予想していただろう。
第4方面のブースを見ると周太は微笑んでいた。
緊張や肩肘の気配もない様子で、やわらかな空気は素直な賞賛と憧憬があかるい。
ライバルと想いの相手、対照的なふたつの対象であっても自然と国村を受け入れられたのだろう。
良かったな、ほっと心に安堵の吐息をついて微笑んだ英二の、こめかみを横から白い指が小突いた。

「こら、またかよ?ま、可愛いのは見たいからさ、気持ち解るけどね」
「また、だよ?国村だって見ているから、俺の視線に気がつくんだろ」

突いてくる指の主に英二は笑いかけた。
そんな英二に底抜けに明るい目が愉しげに笑んだ。

「射撃のときはやっぱイイよな、可愛い子がストイックなのはさ、色っぽいよね。それよりさ?」

唇の端がすうっとあげられる。
かすかに細い目の底へ冷ややかな気配を見せながら愉快気に国村は英二に訊いた。

「あいつ、がっかり?」

この「あいつ」は闘志型体型の男のことだろう。
きっと彼はこの警察組織では重要なポジションにいる、けれどその「立場」こそが国村も英二も気に入らない。
それでも「あいつ」呼ばわりされている男にすこし同情しながら英二は正直に答えた。

「複雑な顔だったよ。嬉しいとのハーフ&ハーフってとこだったかな?やっぱり良い射撃を見れば嬉しいみたいだよ、」
「ふうん、じゃあアレだ?嬉しい分だけ悔しい、そういう感じ?」

見つけた魚の大きさに喜んで釣り逃せばショックは大きい。
まさにそう言う感じだったな?英二は微笑んだ。

「うん、当たり」

聴いて秀麗な口元がすうっと上がっていく。
純粋無垢なままの酷薄さを滲ませた悪戯な目で、うれしげに国村は笑った。

「ざまあみろ、」

ただ一言だけれど、あんまり的確に想いを表現されて英二は笑ってしまった。
けれど笑った視線の先に映りこんだ姿に、心裡での笑いは治まって目はさり気なく記憶を始めた。
その英二の目に気がついて国村がかすかに笑って訊いた。

「ふうん?『あいつ』見に来たんだ?」
「いま第10方面の辺りにいる。気になって仕方ないって顔かな」

英二と国村がいる第9方面の観覧場所から隣になる第10方面、そこの射撃指導員と話しながら闘志型体型の男が見てくる。
さっきも国村の背中を見ていた物欲しげな視線が、ひそやかに投げかけられ煩い。
どこか貪欲で押しつけがましい視線は好きになれそうにない、そんな感想に英二はついため息がこぼれた。
そんな英二の目を覗きこんで底抜けに明るい目が笑ってくれた。

「おまえさ?『あいつ嫌い』って想ってるだろ、」
「うん、おまえには解っちゃうよな。そうだよ、苦手だな。値踏みする視線が傲慢だ」

穏やかに微笑みながら英二はキツい言葉を口にした。
どんなに男が求めようとも国村は、大きな体格とトップクライマーに嘱望される立場が男の手を払いのけていく。
けれど周太は違う。そんな実感が今この場に立ち迫って重たく哀しい、その哀しみがついキツイ言葉になって顕れてしまう。
自分もまだ未熟だな?ちいさな反省と哀切を治めて微笑んだ英二に国村が言ってくれた。

「俺のアンザイレンパートナーからも嫌われたんだね、あいつはさ?
よし、これで俺は遠慮なくやらせてもらえるね。せめて今日この場だけでもさ、プライドごと粉々にしてやる」

からり底抜けに明るい目が誇らかな自由に笑った。
その顔に遭難救助現場での「国村の一言」を思い出して、すこし英二は心配になった。

「ありがとう、気持ちは嬉しいよ?でもさ、『一言』言うにしても気をつけろよ。
今日の青梅署の責任者は後藤副隊長だ、何かあると迷惑と責任が掛ってしまうだろ?それはちょっと申し訳ないよ」

「うん?なに言ってんのさ、宮田」

英二の言葉に国村は目を細めてみせた。
そして唇の端をあげると細めた目に悪戯を笑みながら、低くテノールの声が宣言した。

「こういう俺だって、後藤副隊長は解っていて出場させたんだ。
俺が何やっちゃうかなんてね、当たり前に解って覚悟しているに決まってるね。だからさ、宮田?
パートナーのおまえさえ構わないなら俺はね、この大会を好き放題に愉しませてもらうよ。ほら、早く俺に許可をよこしな?」

悪戯な細い目が「いまも一緒に愉しもう?」と半ば強引に誘ってくれる。
この誘いに乗ったらきっと楽しいだろう、けれど大会運営の心配を真面目な英二はついしてしまう。
どうしようかな?そう考え込みかけたとき、闘志型体型の男が視界に映りこんで急激に英二の心が決った。

「国村、存分にやってこい。俺も愉しませてもらうよ?」

言って英二は自分で驚いた。なんだか大胆な言葉が飛び出したな?言ってから首傾げつつ、けれど愉しくて微笑んだ。
あの男が周太を見ている視線、あの無遠慮に狙い定めるような目が穏やかな英二の神経を苛立たせた。
苛立った神経のまま大胆な言葉も出る、いつも鎮まっているだけに目覚めてしまえば怒りは急に起き上がっていく。
ちいさく嗤って英二はきれいな低い声のまま国村に言った。

「俺もね、たまには好き放題ってヤツをしてみたくなるな?
まあ、俺の性分だとさ。副隊長にも誰にも、バレないように迷惑かけない様に、って方法になるけどね」

きっと今の自分は冷酷な目になっているだろう。
こういう気持ちになるのは13年前の殉職事件の真相を問質しに安本を訪れた、あのときが初めだろう。
あのときは安本の無神経な善意に怒りが起きた、今は周太を利用しようとする無機質な欲望に明快な憎悪がある。
きっと3カ月前の時よりもっと冷たい仮面の顔になってしまっている、そんな自嘲をしながら英二は微笑んだ。
そんな英二の様子に国村も視界の端で第4方面観覧場と「あいつ」を捉えながら軽く頷いて唇の端をあげた。

「ふうん?真面目宮田を怒らせたね、あいつ。
ほんとにさ、バカな男だね?真面目人間こそ怒らせたら怖いのにさ。
で、もちろん俺はね、とっくに怒りっぱなしだよ?もちろん宮田はさ、ずっと俺が怒ってるって解ってるんだろ?」

愉しげで悪戯に充ちた細い目が、底抜けに明るく大らかな怒りを表明してみせる。
もう自分も止める気にはなれないな?英二は微笑んで頷いた。

「周太のお父さんのこと、周太のこと。そして『山』の掟に背いた『人間の尊厳』への冒涜。これで合ってるかな?」

「そ、全問正解。俺はね、ちょっと本気で怒ってるんだよ?きっと宮田は解ってるだろうけどね。
さあ、これからが見モノだ。なにか気がついたらフォローよろしくな、これからちょっと『ライバル』やってくるからさ」

これからセンター・ファイア・ピストル第2回戦が始まる。
第1回戦の予選グループリーグ上位者が出場して得点を競い、それで個人優勝者が決定される。
この2回戦に出場した場合、1回戦と比較して高得点の方が団体戦の加点に採用されて団体優勝もそれで決められる。
特に高い技術を要求されるセンター・ファイア・ピストルは射撃競技でも花形で、この優勝者は射撃で頂点に立つこととなる。
その頂点を国村は周太とこれから競いに行く。この運命的な場に英二はきれいに微笑んだ。

「想い合って、ライバルで。おまえにとっても『Femme fatal』だな?」

冬富士の夜に国村が言ってくれた「Femme fatal」フランスの言葉で「運命のひと」
こんなふうに英二にとっての周太を表現して国村は、幸せを心から喜んで一緒に笑ってくれた。
さっきも、さらりと言って英二の周太への想いを認めて肯定をしてくれている、こんなふうに国村は恋愛も大らかだった。
いま国村にこそ周太は「運命のひと」だろう、素直な祝福に微笑んだ英二に国村はすこし照れた眼差しでからり笑った。

「お、宮田もフランス語を使い始めちゃったね?
こんな最高の別嬪に、フランス語のロマンが加わっちゃったらね。ちょっとモテ過ぎてヤバいんじゃないの?青梅署に苦情来るよ」

これから唯ひとり愛する相手と頂点を競い、誇りを懸けて「この場」の支配を掴みに行く。
そんな勝負へ向かう今も国村は軽やかに笑っている。
こういう身軽さと大らかさが、実直すぎる英二にとって呼吸を思い出させて楽にしてくれる。
ふたりの大切な存在、国村と周太。どちらも自分の目的を見つめて戦ってほしいな?そんな想いに英二は微笑んだ。

「苦情が来たらさ、国村にフォローお願いしよっかな?」
「うん?いいけどさ、おまえが困るくらいモテさせて楽しませて貰うけど?」

からりと「楽しみだねえ」と笑って国村は集合場所へと歩いて行った。
あざやかなオレンジとカーキの背中は普段通りに端正で、すっきりと頼もしい。
きっと国村は頂点を掴むだろう、そして並ぶように周太もそこへ立つことになる。
愉しみな結果と、危険なメビウスリンクへの哀切に英二はただ微笑んだ。

周太の父はここで頂点に立ちオリンピック選手にも選ばれた。
けれどこの晴れがましい面の裏には「秘密」のメビウスリンクが冷たく棲んでいる。
この重たい哀しみと「秘密」の前にはきっと何の栄誉も無意味だったろう、あの紺青色の日記帳の主にとっては。
今朝も読んだばかりの輝かしい彼の学生時代と終結した哀しい結末、この落差の哀切を抱いて英二はシャツ越しの合鍵にふれた。

いま、ご覧になっていますか?
どうか俺で良かったら、この俺の目を通して「今」を見守ってください。

穏やかな覚悟と強い意志に微笑んで英二は射場を見た。
濃紺の制服や活動服に白いゼッケンをまとった背中が射場へと一斉に入って行く。
そのなかに姿勢よく進んでいく小柄な活動服の背中を見つめて英二は微笑んだ。
きっと周太の父もいま一緒に見ている、ワイシャツの下で温まる合鍵の想いを受けとめ英二は見ていた。
そしてオレンジとカーキのあざやかな背中にも英二は笑った。
いまあの背中の主は大らかな怒りのために立って、きっと底抜けに明るい目は誇らかに笑っている。

国村は警察組織に怒りを抱いている。
周太の父は「あいつ」が所属する場所へ惹きこまれ、その涯に殉職に追い込まれた。
この「殉職」で周太と国村は引き離された、そして周太は13年間の孤独に生きて危険な道に立ってしまった。
この親子に見た人間の尊厳を踏みつける組織的傲慢、それは山岳警察への侮辱にも現れた。

自分が何より大切にする「山」への侮辱は許さない。
山で人間の尊厳を守ることに誇りを懸ける男たちへの侮辱を許さない。
山で結ばれた唯ひとつの想い、唯ひとり大切な存在を、組織の都合で苦しませる傲慢と横暴は許せない。
その許せないまま宣言通りに国村は「あの扉」も闘志型体型の男もプライドを粉々に打ち砕くだろう。

真直ぐな「許せない」を抱いた国村は、明るく誇らかに笑って与えられたブースに入った。
その2つ挟んだ隣のブースに周太が入っていく。
区切られたブースに入ってしまえば表情は見えない。
けれど周太は微笑んでいる、それが小柄な活動服の背中から英二には解る。
いま周太はきっと父の姿を見つめているだろう、この場に立っていた父の想いを真直ぐ見つめて微笑んでいる。

誇りを守るために警視庁へ戦いを挑む国村の背中。
父の想いを抱きとめるために佇む周太の背中。
あざやかな山岳救助隊服をまとう長身で広やかな後姿と、濃紺の活動服に真直ぐ立つ小柄な後姿。
ふたりの大切な存在が見せる対照的な後姿、このどちらも本当に自分にとっては大切で守りたい。
やさしい祈りを想う美しい微笑の奥底、冷たく冴える脳裏の片隅で「あいつ」を標的に捉えながら英二は射場を見守っていた。

ふたりの後姿がホルスターから拳銃を抜いた。
リボルバー式拳銃のシリンダーをそっと開き、装弾の傷などチェックして閉じる。
居並ぶ選手たちのシリンダーチェックが終わると規定の試射が始まった。

周太は教本のような美しい姿勢で片手撃ちノンサイト射撃に構える。
国村はすこし頭を傾けて片手撃ちノンサイト射撃に構える。
ふたり真直ぐな瞳に的を捕らえ、視線の直線上に拳銃のサイトを突き出し構えた。
視線25m先に標的が向かい合い、ふたりの視線は引き絞られていく。
そうして向き合わされる盤上へコンピュータ制御の標的が明示され、引き金は絞られる。

試射の標的が点灯した、瞬時、国村の的は的確に撃ち抜かれていた。
すこし遅れて周太の的が的確に撃ち抜かれる。
国村の標的反応スピードに会場がざわめき、他の選手にかすかな焦りの空気が生まれていく。
けれど唯ひとり小柄な背中だけは静謐に佇んで、与えられた標的に真直ぐ向き合っていた。

クマ撃ちの家系に生まれ幼少から跡取りとして特殊な射撃法を身に備えた国村。
そんな国村にとり射撃は「緊急措置」動物と命懸けた生存の手段であり、競技射撃は「お遊び」で冒涜とすら考えている。
それに対して周太は父を拳銃の為に失った。
大切な父を殺した拳銃と射撃は、周太自身の哀しみと苦しみの原因であり「死」の手段でしかない。
けれど父の想いを辿るため周太は、恐怖も悲哀も生来の聡明さで抑え込み、父と同じ「射撃の名手の警察官」に立った。

生存の手段として備えた射撃と、死を見つめ受けとめる為の射撃。
この対照的な「射撃」に国村と周太は立っている。

ふたりは14年前に出逢いながら一発の銃弾で引き裂かれ、14年後に一発の威嚇発砲で再び想いを通わせた。
そして今この警視庁射撃競技大会で、警視庁随一の射撃名手として頂点をめぐり並び立っている。
国村と周太、「銃と射撃」を廻るふたりの不思議な運命を真直ぐに英二は見つめ佇んだ。

もし周太の父が銃に命を奪われなければ。
きっと国村と周太は幼い想いを通わせながら「山」で時おり逢い、幸せに一緒に大人になったろう。
そうして穏やかな日々に育ったなら周太が警察官の道に立つことは無かった。
そして英二と周太が出逢うことも無かった。
もし英二と周太が出逢えなければ、英二は山ヤの警察官とならず国村とも出会えなかった。
そして国村はアンザイレンパートナーと出会わずに単独行のクライマーになっただろう。

いまふれるシャツの布を透かした周太の父の合鍵。
この鍵の持ち主が一発の銃弾に斃れ命を奪われた、その瞬間が国村と周太と英二の「はじまり」になった。
ただ一発の銃弾だった、けれどその弾丸がもたらした波紋に運命と人生の数々が洗われ浸されていく。

― おまえは俺の大切な時を動かす『鍵』になっている。だから宮田、おまえの居場所はここだ

数日前の早暁いつものように新雪の山に登ったとき、国村に告げられた想い。
英二が周太に廻り逢ったことが、国村と周太の時が甦るための道筋となった、国村の最高峰への夢を動かした。
そして国村の「予告」通りなら、今日このあと英二自身が「最高峰踏破の夢」を正式に警視庁と警視庁山岳会から認められる。
いま周太の進路が定まる場で英二自身の運命まで動いていく。そして自分の運命の変化がまた国村と周太の運命も動かす。

「…鍵、」

こぼれた一言の単語に英二は静かに微笑んだ。
自分達の運命を動かした銃に斃れた男「周太の父」の合鍵を持つ自分、国村の「鍵」である自分。
鍵と銃を廻る自分たちの運命の不思議、こうした自分たちの出逢いの意味はなんだろう?
この運命を真直ぐ見つめる英二の先で、センター・ファイア・ピストル2回戦が開始された。

精密射撃の標的が的に現れる、その瞬間に国村は間髪入れず狙撃した。
第1回戦より速い反応速度と「10点」的中、スピードと精密度に呑まれた他の選手たちに動揺が広がり狙撃がずれる。
精密射撃「遅撃ち」は1発につき15秒の時間がある、けれど国村は標的出現の瞬間に狙撃し腕を下げていく。
さっきのように「ほら、さっさと撃てよ?」と挑発に嗤いあげる狙撃に、他選手は揺すられて精度を欠き始めた。

けれど落ち着いて「10点」的中していく的がひとつだけある。
国村のような速射ではない、けれど的確で姿勢を崩さない狙撃に的中が淡々と積まれていく。
嵐のように国村の狙撃が場を占拠していく渦のなか、周太だけが真直ぐ立って端正な射撃を守りぬいている。

会場中に向けて嗤う山岳救助隊服の背中。
ただ父の姿を見つめて静謐のなか佇む活動服の小柄な背中。

ふたりの対照的な狙撃の姿勢を英二は真直ぐ見つめていた。
いまふたりの想いは、それぞれの目的を見つめて佇んでいる。その目的も想いも自分が守ってやりたい。
射場を見る切長い目の端で英二は「監視」も同時に行いながら静かに微笑んでいた。
予想の通り「あいつ」は周太と国村の背中を見つめている、英二を苛立たせる視線のままで。

どこか物欲しげで値踏みする視線が不躾だった。
ひろやかな長身の背中へ向ける賞賛と嫉妬と歯噛みするようなもどかしさ。
そして小柄な背中へ向ける満足げな、標的圏内へ獲物を収めたような傲慢な目つき。
まるで組織の囚人のような価値観が透ける姿は、どこか滑稽で、そして漂う憔悴の空気が哀れに思えてしまう。
たしかに憔悴するほど任務に懸けている姿勢は認めるべきだ、けれど自分の大切な存在へ向けてくる視線は許さない。
切長い目の端に自分の標的を捉えながら、射撃の発砲音が響きあう会場で英二はかすかに嘲笑った。

「…調子づくんじゃないよ、」

発砲音に融けこむ呟きは横にいる後藤副隊長にも聞こえない。
きれいに微笑みながら英二は射場を見つめていた。

精密射撃が終了して後半の速射が始まる。
ここまでのスコアは周太と国村の2人だけが200点満点で同点1位。
この後半戦で優勝者が決る、そんな緊張感と注目が会場を占拠していた。

グリップの握り方と構えを速射用に選手達が変えるなか、国村だけは相変わらず心もち首傾げた姿勢で立っている。
そんな国村の背中を「あいつ」は尚更に物惜しげに見つめているのが滑稽で英二は内心苦笑いした。
どうせまた「背が15cm低ければ」など考えているのだろうね?声無き声に呆れながら英二は大切なふたりの背中に微笑んだ。

後半の速射が始まった。
すべての選手に向き合う的へ標的が現れ、標的出現の瞬間すぐ国村は狙撃した。
国村の的は的中し、すこし遅れて周太の的が「10点」的中をする。

速射「速撃ち」は7秒ごとに標的は3秒間だけ現われる、この3秒間に標的を撃ち抜かなくてはならない。
7秒に3秒間現われる標的を1発ずつ5回、これを4回行うから140秒、2分20秒が競技時間となる。
片手で1.4kgの拳銃を構え続け姿勢を保ち、発射の衝撃に片手で2分20秒間を耐え続ける必要がある。

けれど国村は標的点灯の瞬間に狙撃しては次の標的出現まで6秒を残し、首を傾げたまま4秒間を腕を下げて佇む。
残り2秒間になると腕をあげて構え、瞬時、標的捕捉し狙撃しては「的中」を外さない。
クマ撃ちの出猟時に重量4kgからある大口径狩猟ライフルを担いで山野を走り、時には片手撃ちする国村。
そんな国村にとって1.4kgの拳銃を3分ほど保持するのは簡単で、わざわざ腕を下げる必要はない。
けれど第1回戦と同じように国村は、腕を下げることで時間の余裕を表明しては他選手と会場を挑発し嗤っている。

余裕を見せつけ「速射にしては随分と遅いよね?」と嗤って国村は術科センターを睥睨していた。
自分の標的捕捉スピードと的中精度の高さには、警視庁の他選手誰にも追随できないことを誇らかに見せつけ嗤っている。
こうして国村は山岳で育ち培った「山」射撃が、設備が整う競技場で鍛えた警察組織の射撃に勝ることを誇示してみせた。

選手の間はブースで区切られて互いの様子は見えない。
それでも国村の的が標的出現の瞬間に狙撃され「10点」的中することは見えてしまう。
誰より速く響かせる発砲音と空気の振動、的中の表示に選手間の空気がどこか浮ついていた。
きっと今日の出場選手には、警察学校入校すぐ国村が遭遇した本部特練の不用意な発言者もいるだろう。
該当者は開会式から揺すられただろう、そして始まった競技では本部特練で国村が「腹いせ」に行った狙撃の記憶も蘇る。

どこか揺れていく競技の空気のなかで、唯ひとり周太だけが平静に狙撃を進めていた。
この自分が揺さぶる空気を愉しみ嗤っている国村と、淡々と真直ぐ標的を見つめる周太。
ふたりの的だけが「10点」を刻み続ける。
優勝はどちらだろうか?新宿署所属の実力ある新人巡査と青梅署所属のダークホースの勝負に視線が集まっていく。
そして最後の1弾を残したとき、ふっと国村の構えが微妙に変化したのを英二は見た。

最後の標的が出現する。
即時に国村は狙撃し「10点」的中した、けれど的中を撃ったあと弾丸が跳ねた。
跳ね返った弾丸は的からの反動に弾道を変化させ、真直ぐ斜めに空気を切って術科センター奥へ飛ぶ。

その軌跡の涯、国村の弾丸は「あの扉」を撃った。

固い装甲と弾丸の衝突音が術科センターに反響し谺する。
鋭利な空気振動は発砲音達を制圧して響き裂いて視線が集まった、その統べられた視線の先で扉には1弾が喰い込んでいた。
術科センター奥「あの扉」は国村により狙撃の傷が刻まれた。

そして「あの扉」が被弾した瞬間その同時に、周太の的も「10点」的中していた。

会場を喧騒がゆらいでいく。
周太と国村の満点での同点首位、そして「奥の扉」を弾丸が撃ったこと。
この2つの異例な事態にどこか慌ただしい空気が術科センターを覆っていく。
ゆれうごく空気に佇んで英二は、さっき国村が言っていた言葉に微笑んだ。

― 俺はね、あの扉を嗤ってさ、粉々にしてやりたいんだ

術科センター奥にある「あの扉」はSAT訓練場への扉。
冷たく重たい「秘密」を孤独と共に背負わされる警察組織の暗部への扉。
そんなの大嫌いだと宣言した国村は「あの扉」を満点勝利を決めた最後の弾丸で狙撃した。

歴然たる高身長、トップクライマーを嘱望される立場と能力。
そんな国村は狙撃手の潜在能力が高くてもSAT任官には条件外すぎて「あいつ」は国村を惹きこめない。
彼が欲しがる警視庁随一の射撃能力を見せつけながら「俺には無関係の世界だね?」と国村は嗤って虚仮にする。
その嗤いで警視庁射撃で頂点に立った弾丸を「あの扉」に喰い込ませ「狙撃」の傷を刻みつけたのは痛烈な皮肉だろう。
そんなふうに国村は、この競技会で「あの扉」へ惹きこむ人間を探す眼前で「あの扉」に傷つけてプライドを傷つけた。

宣言どおりに嗤って粉々にしたんだな。
愉しく可笑しい想いを心に収めて微笑んだ英二に、横で観覧していた後藤副隊長がふり向いた。

「なあ、宮田?国村の最後の1弾、すごい跳ね返り方だったなあ?」
「はい、ちゃんと標的は撃ち抜きましたけどね」
「うん、ほんとになあ…あいつ、満点優勝しちゃったなあ?」

驚きながらも誇らしげに後藤が笑っている。
きっとこの結果は後藤にも解っていたことだろうな?微笑んで頷くと英二は訊いてみた。

「副隊長、閉会式まで少し間がありますよね?ちょっとコーヒーでも飲んできていいですか、喉が渇いてしまって」
「お、そりゃ行って来い。のどを乾燥させてな、おまえさんが風邪でも引いたら困るよ。もう北岳もすぐなのに」

快く後藤は頷いてくれて、ありがたく英二は自販機コーナーへと向かった。
並ぶ商品を見ていくと、焦茶色の缶が目に映って思わず英二は微笑んだ。
そして長い指でそのボタンを押すと、温かいココアの缶を受取口から取り出した。
熱い缶を長い指に下げて、すこし外へ出ようと歩きかけた視界に「あの扉」が映りこんだ。

きっと周太の父が日々ずっと危険に身を晒していた場所。
その場所を見つめる想いに自然と足が扉へと向けられて、英二は歩きだした。
閉会式前の喧騒が行き交うフロアーを、ゆるく躱すように長身をさばいて歩いていく。
そして見つめる先の「あの扉」の前に英二は立った。

いつも管理者が監視するこの場所にいまは誰もいない。
いま閉会式の準備など慌ただしい、誰も気付かない静謐に英二は扉の1か所を見つめた。
国村が撃った弾痕はあざやかに弾丸を埋め込ませている。これを摘出するのはきっと難しいだろう。
きっとこの弾丸はずっとここにあるだろう、そしてこの扉を通る者は見つめることになる。

この扉に弾丸の痕跡を国村が残した、その理由と意志はおそらく2つの意味がある。
アンザイレンパートナーの意志を想いながら英二は片膝をつき、ココアの缶をそっと扉の前に供えた。
ここを通っていた周太の父の想い、扉に弾丸を撃ち込んだ国村の意志、そして自分の想いと周太の運命。
ココアの缶と1発の弾丸を前に英二はしずかに瞑目し、周太の父へと祈りを捧げた。

どうか自分が正しく、あなたの想いを見つめられますように。
どうか自分は無事に、あなたの息子と大切な相手を守りぬけますように。
そんな2つの優しい祈りをこの扉へと手向けて、ふっと英二は瞳を披いた。

自分の背中を見つめる視線がひとつある。
この視線の持ち主を自分は知っている、それは不愉快な部類に入る視線だった。

クリスマスの朝に新宿署でも似たような視線を向けられた、そしてまた違う人間から同じ視線が向けられる。
周太の父に関わる場所へ佇むとき、こんな視線があることは予想通りとも言えるだろうな?
すこし可笑しくて微笑みながら、長い指の右掌に温かなココアの缶を持つと静かに見つめた。
そんな英二の手元へと向けられた視線にどこか動揺が感じられてくる、英二はかすかに嘲笑った。
きっと話しかけたいと思われているな?端正な口許かすかに笑みを浮かべて英二はゆっくり立ち上がった。

フロアーにおちる自分の長い影にすこし微笑んで踵を返す。
切長い目にかかる長めになった前髪の翳から闘志型体型のシルエットが見える。
いつものように、すこしだけ俯き加減に歩き始めるとシルエットが揺れるように動いた。
頭を動かさず英二は前髪を透かして瞳だけでシルエットの主を見、その顔に微笑んだ。

なぜ、あの場所に、その缶を持って膝まづいていた?

そんな問いかけが憔悴した顔の鋭い目から聞こえてしまう。
けれど自分はいま、閉会式を見たいからこの男に関わっている暇はない。
近づいてくるシルエットの間合いを見つめながら英二はブナの木を想い呼吸を整えた。
東京最高峰の雲取山、その麓に佇むブナの巨樹。あの木の呼吸を想いだし微笑んで英二は自分の気配の変化を見つめた。
そうして自分の気配とブナの呼吸が重なったとき、不意に英二は顔をあげ「あいつ」を真直ぐに見た。

「おつかれさまです、」

さらり綺麗な低い声であいさつして、端正な会釈と憂いの微笑を英二は送った。
前髪透かす向こうでは「あいつ」は機先を英二に制された驚きと、亡霊でも見たような動揺に揺れている。
そして、おだやかな微笑のまま行き過ぎようとする英二を、かすかに慌てた気配の男は呼び止めた。

「待ちなさい、誰の許可であの扉の前にいた?」

上からものを言う独特のトーンが神経を逆撫でる。
それでも英二は振り向かないまま、右掌だけを肩の高さにまで上げてココアの缶を示した。

― これだけで、きっと意味は解りますよね?

彼の「問い」にココアの缶と背中だけで笑いかけ、英二はそのまま術科センターの外へ出た。
戸外の空は青く冬晴れがまぶしい、陽ざしに英二は微笑んだ。

左手のクライマーウォッチを見ると閉会式まで10分程時間がある。
英二は朝にも行った静かな場所で壁に背もたれ、ほっと息を吐いて微笑んだ。
プルリングを引いた音が乾いた空気に軽やかに響いて、あまい香りが冬の空気にとけていく。
おだやかな香に微笑んで英二は缶に唇をつけた、すこしだけ冷めた温かいココアがゆるくのどをおちていく。
やさしい甘さが懐かしい。年明けに川崎の家で飲んだ周太の作ったココアを想いながら、静かに甘い温もりを啜りこんだ。


(to be continued)

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