萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第35話 予警act.1―side story「陽はまた昇る」

2012-02-22 22:42:04 | 陽はまた昇るside story
旋律、悪戯な支配者




第35話 予警act.1―side story「陽はまた昇る」

午前5時、窓の外は黎明時に星が降っていた。
カーテンを開け放した窓ガラスはあわい白に曇っている。
2月上旬の奥多摩は寒い、きっと今は零下1度くらいかな?水滴に曇る星空を見あげ英二は微笑んだ。
ライトは点けず星明りと山の稜線の雪灯のなか、ベッドに座り壁に凭れて英二はIpodに流れる旋律と心傾けていた。


微笑んだ瞳を失さない為なら
たとえ星の瞬きが見えない夜も
降り注ぐ木洩れ日のように君を包む
それは僕の強く変わらぬ誓い
夢なら夢のままでかまわない
愛する輝きにあふれ明日へ向かう喜びは 真実だから…

3週間ほど前に聴いた、透明なテノールとピアノが奏でていた旋律。
鑑識調査のテスト射手として青梅署を訪れた周太に、国村が御岳の自室で贈った想いをのせた旋律だった。
あの日は鑑識実験の翌日で英二は日勤だった、あの朝の御岳山巡回に周太と非番の国村も付きあってくれた。
下山して2人と別れてから御岳の町を1人で巡回して、そして偶然に耳にした国村のピアノと歌声。
やさしい低い歌い方なのに透明に響く声と旋律は、雪の戸外にいる英二にも届いて記憶に残された。

またあの旋律と声を聴きたい。
そう想ったけれど国村はピアノが弾けることを英二には言っていないし、誰も知らないでいる。
きっと男論理の強い国村のことだから「らしくないだろ?」という調子で内緒にしたいのだろう。
それならと原曲をwebで探して、見つけたCDアルバムを発注した。ちょうど昨日に届いてアルバムごとIpodに入れこんである。
今朝は時間よりだいぶ早く起きられたから、ちょっと視聴しようと英二は聴いてみていた。

いま穏やかな夜明け前の時間、けれど数時間後には警視庁けん銃射撃競技大会が始まる。
新木場にある警視庁術科センターに警視庁の全警察署から射撃の名手が集められ、射撃の能力を競い合う。
青梅署からはセンターファイアピストルの正選手に国村をエントリーした、その付き添いで英二も新木場へ行く。
なぜ英二が付添うことになったのかは、本当は拳銃嫌いの国村がエントリーを聴かされ不貞腐れたことが発端だった。

「俺の射撃はね、ライフル専門でクマ撃ちが本職だよ?嫌だね、拳銃なんかさ」

そんなふうに言い張った真意は、大会が2月だったことが一番の問題だった。
12月中旬から4月までは国村が最も愛する雪山シーズン、ことに1月2月の新雪が美しい時期は楽しみにしている。
まして国村は兼業農家の警察官だから冬の農閑期は大好きな「山」に専念できる。
だから国村にとって冬は山のベストシーズンだった、そんな楽しい時間を拳銃の競技会に奪われる事に国村は腹を立てた。

「なんだってさあ、こんな拳銃の競技会ごときにだよ?
俺の大切な雪山の時間をとられなきゃいけないんだ、雪山は今の時期限定だっつうのにさ。だいたい銃で競技会とか変だね。
俺の射撃はさあ、クマとの命を懸けた緊急措置用なんだよ。競技じゃない、真剣な命のやり取りだ。まじフザけんなよ、なあ?」

射撃練習場の武蔵野署へ行く時も時折、こんなふうにゴネて笑っていた。
たしかに国村のいう事は筋が通っている、けれど術科大会とはいえ警察組織では任務で命令になる、逆らうわけにもいかない。
そんな国村は本気で嫌なら辞職するだろう、本来が自由人で山と酒さえあれば満足だから「警察官」に執着など欠片も無い。
けれど国村は警視庁から世界ファイナリストを出すための大切なクライマーだから警視庁山岳会は辞職させたくない。
そういう事情も知っている国村は出場にあたって3つの条件を青梅署に提示した。

射撃訓練は業務時間内だけすること。
訓練も大会も1人はつまらないから宮田も同行すること。
射撃訓練の後は、登山とビバークの訓練もさせてくれること。

国村と英二は公私ともアンザイレンパートナーを組んでいる。
それを主張して国村は、自分が嫌なことをやるのだから当然パートナーの英二も一緒にやるべきと条件に入れてしまった。
この条件を青梅署は全部飲んでしまった、そんなわけで今日も英二は付添いで新木場の術科センターへ行く。

そして周太は新宿署のセンターファイアピストルの正選手にエントリーされている。
卒配直後11月に開催された全国警察けん銃射撃大会に、異例の選抜で周太は出場し満点優勝してしまった。
そんな周太は当然、今回の優勝候補筆頭に挙げられている。
そのことがきっと今日の早起きの原因だろう、仕方ないなと英二は自分に微笑んだ。

周太は「射撃の秀でた警察官」だった父親の人生をトレースしようとしている。
殉職した父の軌跡を辿ることで失われた父の想いと真実を知る、その目的を支えに周太は事件後13年間を生きてきた。
この目的が終わらなければ「時」の枷を周太は外せない、たとえ危険でも周太は目的を最後まで辿り終えるしか道がない。
だから自分は周太を支えようと決意した。この道が困難で危険なら自分が守り支えて行けばいい。
周太の望みのままに父の軌跡を見つめ終えさせてやりたい。
そして「いつか」穏やかな幸せに周太が生きられるように、この道の涯を一緒に見つめて行けばいい。

今日の大会によせる上層部と組織的な真意、それが周太を危険な道へと立たせることに繋がってしまう。
その危険な道へ立つことこそが周太の父の軌跡を辿る鍵になる、それこそ周太の望みだと知っている。
きっと周太は今まで通り今日の大会でも全弾的中するだろう。
そしてまた一歩、周太は父の軌跡が惹きこんでいく困難と危険へと近づいていく。

そんな予兆と確信が英二の意識を冴えさせて、軽い緊張を体と神経にもたらしている。
この精神の冴えと緊張が予定より早く目覚めさせた、けれど早暁の音楽を聴いて過ごす時間が英二は好きだ。
たとえ今日の目覚めが緊張によるものとしても、早起き出来たおかげで新しい曲の試聴きが出来ることは嬉しい。
こんな自分は結構ずぶといのだろうな、そんな自分が可笑しくて英二は微笑んだ。
窓の外はまだ星が明るい、夜明けまで暫くの間がある。まだゆっくり曲を聴いていられるだろう。
おだやかな時間のこういう余裕はうれしい、寛いだ気持ちに英二は窓の星ふる稜線を眺めて愉しんだ。

あざやかな君が僕を奪う
季節は色を変えて幾度廻ろうとも
この気持ちは枯れない花のように
夢なら夢のままでかまわない 
愛する輝きにあふれ胸を染める 
いつまでも君を想い…

いま聴いている原曲は想ったよりも激しい印象がある、やさしいトーンで国村は歌っていたから少し意外だった。
ピアノの透明でやわらかな旋律に合わせて国村は歌っていたのだろう。
それでも歌詞からは国村の14年間の想いが伺えて心に響いていく。
そして原曲のトーンにはどこか雄渾で繊細な雰囲気が感じられて「山」至上主義の国村には似合う。
どちらも国村に似合っているな?そんな想いも愉しみながら英二は早暁の音楽の時を楽しんでいた。

次の曲名を見ようとCDのジャケットを手にとったとき、ふっと携帯の着信ランプが灯った。
たぶんそうかな?素直に感じた名前の主を想いながら携帯をひらいて、予想通りに英二は微笑んだ。
Ipodのイヤホンを外しながら携帯の通話を繋ぐと、英二は電話の向こうへきれいに笑いかけた。

「おはよう、周太」

すこし遠慮がちで気恥ずかしげな、それでも笑ってくれるのが解る。
うれしそうな微笑をふくんだ声がそっと朝の挨拶を告げてくれた。

「ん、おはよう、英二…起きていたの?」
「うん、音楽聴いていた。周太、ちゃんと眠れた?」
「ん、…昨夜は電話のあと、すぐ寝たから…国村と、すこし電話したけれど」

周太と国村はメールや電話をするようになった。
そうして今、ふたりは抑えられた14年間の想いと記憶を紡ぎ合うように「時」を動かしていく。
きっと前の自分なら嫉妬に駆られたろう、けれど今は嫉妬を想えなくなってしまった。
この14年間の想いをよせた国村の歌を聴いてしまったから、そして周太の想いが解るから。

 …季節は色を変えて幾度廻ろうとも この気持ちは枯れない花のように  

ただ一度ひと時の出逢いだった。
そう周太は教えてくれた。その出逢いが幼い周太にとって大切で「再会」の約束をしたと話してくれた。
けれど出逢いのすぐ後に周太の父は殉職した、その衝撃で周太は父の記憶ごと国村との記憶と約束まで失ってしまった。
それでも国村はひとり、その瞬間のような出逢いをずっと見つめ続けていた。
ずっと見つめて再会の約束を信じて14年間を「時」を止めるように待ち続けていた。
そして再会したとき周太は記憶が無く隣に英二がいた、だから国村は見守るだけで満足していた。

 …微笑んだ瞳を失さない為なら たとえ星の瞬きが見えない夜も 
  降り注ぐ木洩れ日のように君を包む それは僕の強く変わらぬ誓い

あの歌によせた国村の想いのままに、再会して笑顔が見られるだけで国村は幸せだった。
けれどテスト射手を国村と務めたとき周太は記憶が戻った、そして国村は14年の時を超えて再び想いを告げた。
これだけを英二は繋いだ周太との電話で、すこしずつ教えてもらった。
そして、ふたりの恋と愛に心が響いてしまった。
国村の純粋無垢で一途な大らかな恋と愛がまばゆかった、この男をやっぱり好きだと想った。
それを電話で話してくれた周太の声も気配も清らかで、純真が薫るようで愛しかった。
ふたりの大切な想いを守ってやりたい、そう素直に英二は想えて嫉妬は軽く消え去ってしまった。
そんな自分が誇らしく嬉しい、いまの心に微笑んで英二は周太の声に耳を傾けていた。

「…でね、国村はね、『ちょっと驚くだろうけど、気にしないでね』って言うんだ…何かするのかな?って思うんだけど」
「そうだね、周太。あいつのことだからね?何もしないで終わったらさ、逆に心配したくなるかもな」
「ん、…青梅署の人たち困るよ?って言ったんだけど『それも込みで俺を出場させるんだろうしね、』って…そうなの?」

どうやら国村は今日の大会で「ちょっと驚くだろうけど、」を実行するつもりらしい。
ある意味で予想通りの展開だな?可笑しくて笑いながら英二は周太に答えた。

「そんな時の為にね、俺が付き添いで行くことになってるから。まあ、仕方ないのかな、」
「そう…頼られてるんだね、英二…俺もね、英二をすごく頼ってるから、青梅署の人たちの気持ち、分かるな」
「うれしいよ、周太。もっと甘えてよ?そのために俺はいるんだからさ、」
「ん、…今もね、甘えてるよ?…こんな朝早くに電話して、ごめんね?」

気恥ずかしげで可愛らしい溜息が、そっと英二の耳を電話越しにくすぐった。
ここから本題かな?穏やかに微笑んで英二は周太に言った。

「うれしいよ、俺を想い出して声を聴かせてくれてさ」
「ん、…俺、不安で…今日がどうなるのか、って…自分で選んだことなのに」

不安で当然、それが英二にはよく解る。
本来、やさしくて穏やかな繊細な性質の周太には、こんな状況が楽しいわけがない。
それでも生来の聡明さで無理に自分を抑えてこの危険な道に立っている、周太は危険を楽しむような性格ではない。
そこが最高峰に立つ危険すら喝破して楽しむような英二や国村とは大きく違う。
そういう穏やかな静謐やさしい周太の空気が自分はずっと好きだ、その空気を「安心」で包んで守りたくて英二は微笑んだ。

「大丈夫、周太。今日も俺は近くで見ているよ。国村も周太を守りたくて、その為にも今日は出場する。だから気楽にしてよ?」
「ん。ありがとう…我儘だけど、でも。お願い英二、隣にいて?俺を支えていて、」

いつもの声にかすかな揺れがある、その揺れすら愛しいと想えてしまう。
こんな我儘は大歓迎だよ?こんな願いも込めて英二は電話の向こうに約束と微笑んだ。

「今日の結果次第でこの先なにが起きても、俺は必ず周太の隣にいる。国村も同じこと言ってくれたろ?」

英二の言葉に頷いてくれる気配が届いた。
そして哀しそうでも落ち着いた声が想いを告げてくれた。

「ん、昨夜も言ってくれた。でも…俺の我儘で、ふたりを巻き込むのが怖いんだ。
それでも今更もう止められない…ふたりを巻き込むのに、それなのに…英二、ほんとうにごめんなさい…」

「謝る必要なんかないよ、周太。お父さんの想いを全部きちんと見つめよう?
それはね、俺自身が知りたいことでもあるよ。俺は周太のお父さんが好きなんだ、だから知りたいんだよ、真実の姿も想いも」

明るく大らかな想いに英二は笑って応えた。
どうか気にしないで?ほんとうに自分が望んでやることだから。
だから一緒に見つめさせてほしい、隣にいることを受入れていてほしい。
そんな想いたちを電話越しに告げていくうち、ほっと安堵が薫ってすこし周太は笑ってくれた。

「ん、ありがとう。俺ね、今日も真直ぐに的を見つめてくるね、」
「きっと大丈夫だよ、周太。会場ではあまり話せないかもしれないけど、ちゃんと見ているから」

今日は署対抗の競技大会になる、だから別の署だと話す機会も少ないだろう。
なにより今回は都心の警察署に対して、山岳地域警察の意地をかけて青梅署はエントリーしている。
青梅署はテスト射手を務めてもらった周太には感謝しているけれど「副都心警察」には対抗心があるだろう。
そんな事情で話す機会は限られるだろうけれど、近くで見守れるだけでも良かった。
こんなふうの感謝に微笑んでいる英二に周太は話してくれる。

「ん、見てて?たまにはね、俺の警察官らしいとこもね、見てほしいから」
「警察官の周太、いいね?可愛い子がストイックなのは色っぽいしね?」
「…それくにむらにもいわれたんだけどそういうこといわれると、ほんときょうへんにきんちょうするから…」
「仕方ないよ、周太?ふたりとも周太の色っぽいとこ大好きだからね、楽しみにしとくよ」
「ん、…喜んでもらうのは嬉しい…でも、あまり注目しすぎて、緊張させないで?…あぶないから、ね?」
「うん、気を付けるよ、」

笑いあいながら話していくうち周太の気配が落着いていく。
そうして声の不安が和らいでから周太は電話を切った。
携帯を閉じながら窓を見ると星はまだ明るい、たぶん5時40分位だろう。
そんな予想でクライマーウォッチを見ると、今日も当たりだった。

まだ20分は充分にゆっくりできるだろう、Ipodのイヤホンを繋いで壁に背もたれた。
スイッチを押すとガラスが砕ける音が鼓膜を打つ。
そしてテクノトーンがビートを刻んだ。
 …
 Calling the fallen angel Rolling on cold asphalt
 Calling the fallen angel Rolling on cold asphalt
 Calling the fallen angel Rolling on cold asphalt
 Warning No salvation Starting Now let’s play tag!…


きれいな英語が流れていく。
グラマラスな曲調がアップテンポなビートで疾走感を届ける。
ちょっと雪のなかを疾走する四駆みたいだな?そんな感想に微笑んだとき日本語の歌詞が入った。

 …
 降臨、近寄るな危険 道を空けてくれ
 悪戯な支配者 無法な世界で 
 選ばれし頂点 神への疾走 手の鳴る方へ…

なんだか誰かさんみたいだな?ちょっと可笑しくて英二は笑った。
さっき周太が教えてくれた「ちょっと驚くだろうけど、気にしないでね」と言った国村の真意が重なってしまう。
この大会のエントリーが決って武蔵野署へ練習に行き始めた頃。
武蔵野署へ向かうミニパトカーで国村は「つまらない大会を楽しむ方法」を英二に話したことがある。
それはまさに「近寄るな危険」な方法だった、しかもこの歌詞はどうだろう?笑って英二は口遊んだ。

「悪戯な支配者 無法な世界で 選ばれし頂点」

最高の山ヤの魂を持つ国村は峻厳な掟「山」のルールに生き、誇らかな自由に立って人間の範疇には捉われない。
そんな国村からしたら、人間的な出世や名誉に縛られる警察社会は山の規範から大きく逸れた「無法な世界」だろう。
けれど国村は自由で豪胆なうえ怜悧な冷静沈着を備えて、真直ぐ的確な視点から「警察組織の規範に乗った自由」も造りだす。
そういう賢明な自由に立って国村は、最高の山ヤの魂を持つと青梅署でも警視庁山岳会でも愛されている。
愛され最高のクライマーの素質を嘱望されて最高峰踏破の権利を認められた「選ばれた頂点」に国村は立っている。
そういう国村だからこそ、今回の大会における3つの条件すらも承諾された。
きっと今日も賢明な自由に立って「悪戯な支配者」として今回の大会を支配し優勝するつもりだろう。
そして「無法な世界」にキツイお灸を据えるつもりでいるに違いない、ふっと英二は微笑んだ。

「…国村?おまえはさ、ほんとうは怒っているんだろ?」

国村は警察組織に怒りを抱いている、それが英二には解る。
周太の父が殉職に追い込まれたこと。その遠因は警察組織の暗部に曳きこまれたからだった。
この「殉職」が周太と国村の初恋を引き離し、13年間の孤独に周太を閉じ込め危険な道へと立たせた。
誰よりも何よりも国村が大切にする周太に苦しい生き方を強いていく警察組織、これを国村は許せないだろう。
そのうえ都心部の警察署長は青梅署長に対して、国村が最も嫌うことを言ってしまった。

 『山と死人ばかり相手にして、警察官らしい能力は不要で楽ですね』

今日の国村は青梅署の意地を懸けて大会出場をする。
この「青梅署の意地」を青梅署の人間は国村には隠したまま出場させるつもりだった。
山の掟に生きる山ヤの警察官を、人間的範疇の虚栄心から侮辱した相手を国村がタダで済ませるわけがない。
それが解っているから皆は黙っていた、けれど賢明な国村は全てに気づき知っている。

自分がなによりも大切にする周太を苦しませている。
自分が尊ぶ「山」そして死者に見つめる「生命、想い」を侮辱し軽んじる発言をした。
こんな二重の過ちを犯した組織と人間たちを、どんなふうに国村が思い、考え、裁いてしまうのか。

 …
 悪戯な支配者 無法な世界で 
 選ばれし頂点 神への疾走
 捉えた標的 狙い定め
 逃れないloser 勝利を掴め 手の鳴る方へ 
 I’m chasing you get away 

疾走感あるグラマラスなビートが、冬富士が猛った雪崩の咆哮を想わさせる。
あの冬富士で遭った雪崩の平等に容赦ない威力と国村の怒りは似ていると英二は知っている。
あの雪崩の翌日に英二は周太に対し過ちを犯した、そのとき国村が英二に見せた怒りは純粋無垢な怒りだった。
純粋無垢なまま容赦なく真直ぐな怒りは、曇りなく美しいとすら英二は思った。
あんなふうに怒りを国村は今日はぶつけるつもりかもしれない。

あの悪戯な支配者は、この無法な世界への怒りをどう顕わすつもりだろう?
きっと国村は怒りの標的を的確に捉えるだろう、自分の勝利を掴んで満足げに笑ってみせるに違いない。
ほんとうは「付添い」の英二は悪戯による支配を止めるべきかもしれない。
けれどたぶん本当は?と、英二は思う。
本当は青梅署の誰もが今回の大会で、誇らかな自由のまま国村が裁可することを望んでいると思う。
そうでなければ拳銃にこうも気難しい国村を、わざわざ無理矢理エントリーさせないだろう。

「…どっちにしても、ちょっと俺には止められないよ、な?」

思わずこぼれた呟きに英二は微笑んだ。
きっと国村の想いを一番に理解できるのは自分、そんな自分が国村を止めたいとは想えない。
誇らかな自由のままに怜悧な判断力で国村は今日の大会も支配する、その姿を見たいと想ってしまう。
そういう誇り高い自分のアンザイレンパートナーは英二にとっても誇らしい。
それに国村が自分に寄せてくれる信頼と友情の真実も知っている、だからこそ余計に自分には止められない。

数日前に御岳小橋で発見された投身自殺、その遺体を英二だと思った国村は心と言葉を喪うほどに衝撃を受けた。
その遺体は年頃から背格好に着ている登山ウェアまで英二と似ていた、そして失恋が原因と書かれた遺書を握っていた。
あのとき国村は、英二を失った悲嘆と自分の初恋の為に大切な英二を死へ追い込んだと自責してしまった。
そして純粋無垢な山ヤの魂のままに心を壊してしまった。
国村の異変に気づいた岩崎が発見した時は、国村は無言のまま呼びかけにも反応しなくなっていた。
そして英二が呼ばれたときには、いつもの明るい瞳はただ真黒に一点を見つめ、蒼白の顔は人形のように固まっていた。
けれど英二の呼びかけに国村は戻った、また底抜けに明るい目で笑い透明なテノールの声で名前を呼んでくれた。

―…ほんとうに大切なんだよ、おまえのこと。
 おまえが死んだと思った時にね、すべてが終わったんだ、俺。
 なにも考えられなかった、世界の音も色も消えたんだ。おまえを失って絶望したんだ、俺は。
 それでもね…あのひとを愛することは後悔できない。でもね、きっと、あのひとも哀しむだろうって想った。
 その哀しみを想うとさ、ほんと苦しいよ?だから宮田、これは我儘だけどさ。あのひとと俺の為に、死なないでくれ

そんなふうに率直に想いを隠さず言ってくれた。
英二を心から大切に想うからこそ、周太への想いも隠さず真直ぐに言ってくれる。その信頼と真心が嬉しかった。
失ったら心を壊すほど大切に想われている、自分は独りじゃない。この喜びが心から幸せで温かい。
この喜びも英二が周太への愛情を見つめなおした、その姿勢に国村がより認めてくれたからだと知っている。
たしかに自分が周太に犯した罪は重い、けれどその罪を見つめたからこそ自分は気づけた、そして国村との信頼がより強くなった。

今日もこの信頼に立って国村は暗黙の裡に英二へと「秘匿」の協力を求めるだろう。
そして「ちょっと驚くだろうけど」を実行して誇らかに笑い、この不本意な大会を英二と一緒に愉しむつもりでいる。
まあ成るように成るだろう?そんな想いに立ちあがって部屋着のシャツを脱ぎ始めた。
シャツを脱ぎワイシャツを羽織ってボタンを留めながら、ふっと首から提げた合鍵に指がふれる。
そのまま合鍵を握りしめて軽く英二は瞑目した。

この合鍵は周太の父の合鍵だった。
あの春の夜に周太の父が殉職したとき、活動服の中に首から提げられていた。
この鍵がそのとき血に濡れたことを英二は、周太の父の同期だった武蔵野署射撃指導官の安本から聴かされた。
あの春の夜に安本は周太の父を看取り犯人を逮捕した、そして遺品の整理も行っている。
それでこの鍵が当時はどんな状態だったかを知っていて、武蔵野署での訓練の合間に教えてくれた。

―…湯原はあの日、周太くんに本を読む約束だって話してくれた
 庭の桜を家族3人で観ながら、ココアを飲むんだって楽しみにしていた…奥さんのココアが一番、美味しいって
 この鍵は大切にしていたよ。宮田くんと同じように首から提げていた、この鍵で必ず家に帰れるように、ってね
 あの日、この鍵は湯原の胸で血に染まっていた…あいつの帰りたい想いが血になって鍵にしみこんだ、そう思ったよ…

いま英二の掌に収められているこの鍵は、周太の父の想いと記憶がしみ込んだ鍵。
どうか、今日も周太を支えられますように。
握りしめる鍵に祈りを捧げると、しずかに見開いて微笑んだ。

英二は周太の父の想いを辿るために、周太の父親の視点に立って周太の隣で生きることを決めた。
そうやって周太の父を追体験することで周太の父の姿と真実を得られるだろう。
そうして得た姿と真実を周太に示していくことが、きっと周太の心を救っていく道になる。
だから今日も周太の父の視点で大会を見ていく。

どうか力を貸してください、あなたの息子を守るために。
願いを込めて英二は掌を開いた。掌から離れた鍵は温められ、また英二の胸元にそっと提げられた。


【歌詞引用:L’Arc~en~Ciel「叙情詩」「CHASE」】

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