子供の頃の夢は、何回かの変遷は有りますが、
幼稚園の頃は、電車の運転手さん。(車掌でも駅員でも良かった)
小学校に上がり、自分の意思で父親のレーシングチームのレースに観戦してた時は、
(父親も若い頃レーサーだったので)レーサー(自動車屋)に成りたい。
と、卒業文集に書いた覚えが有ります。
そして現在ですが、その夢が現実に成りました。
が、正確には実現させた。と言う感じでは無く、
流れに流されたら今の状況に成った。と言う感じなので、
達成感は正直有りませんね。
小学校の頃は、同級生の間に、レースとかに羨望の眼差しも有り、
必要以上にレースと言うものが格好良く見えて、そう言ってた様に今は思います。
実際、車の運転は好きですが、車を改造して速くする。
(速い車に乗る)と言う事に、欲求を感じないので、
車を弄る事に喜びを得無いので、今の仕事が自分の夢を達成したとは思えません。
逆に、もっと青春時代以降に、趣味趣向が変わってしまったので、
それ以降の趣味趣向を反映させた仕事が出来ていたなら、
その方が夢の実現。と言う意味では有っているかも知れませんね。
幼稚園の頃は、電車の運転手さん。(車掌でも駅員でも良かった)
小学校に上がり、自分の意思で父親のレーシングチームのレースに観戦してた時は、
(父親も若い頃レーサーだったので)レーサー(自動車屋)に成りたい。
と、卒業文集に書いた覚えが有ります。
そして現在ですが、その夢が現実に成りました。
が、正確には実現させた。と言う感じでは無く、
流れに流されたら今の状況に成った。と言う感じなので、
達成感は正直有りませんね。
小学校の頃は、同級生の間に、レースとかに羨望の眼差しも有り、
必要以上にレースと言うものが格好良く見えて、そう言ってた様に今は思います。
実際、車の運転は好きですが、車を改造して速くする。
(速い車に乗る)と言う事に、欲求を感じないので、
車を弄る事に喜びを得無いので、今の仕事が自分の夢を達成したとは思えません。
逆に、もっと青春時代以降に、趣味趣向が変わってしまったので、
それ以降の趣味趣向を反映させた仕事が出来ていたなら、
その方が夢の実現。と言う意味では有っているかも知れませんね。