愛、麗しくみちる夢

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10代の恋愛を描くということ

2024-01-24 21:36:54 | 拍手のお礼
二次創作は、割と自由に創作をしてもかまわないので、
公式で学生だった少女たちが大人になってからの話などを支部に上げている人はおおく、熟した大人の恋愛ものを読みたがる人も多い。

私は、ほとんど大人になってからの小説を書かない。記憶でも発表しているもので成人(20歳以降)している小説を書いていないと思う。

単純に私はピュアな恋愛ものが好きだから。
読む小説(きちんとした本)では、むしろ大人のドロドロとした損得感情とかに絡まる世界が好きだけど

好きなキャラクターが大人になって惰性や恋愛ではない感情の部分に振り回される世界が嫌いだし
二次創作もアニメキャラが成長したものは基本的には読みたいと思わない。

10代の、惰性や損得や、周囲の人の影響を受けずにただひたすらに、真っ白に相手に対して「愛」だと信じて疑わない感情が好きだ

それを「愛」と呼んで軽率に「愛してる」と言える10代の少女たちの心の透明さが好きだ

それを持ちえない年齢になればなるほど、その無色でいられる刹那的な思春期を思い出すし思い出したくない感情もある

若い頃の、20年前に小説を書いていた頃は軽率に「愛している」をキャラに言わせることができた
それはたぶん、私が比較的、単色の美しさを持ち合わせていた年齢だったせいだろう
「愛している」感情があれば、困難に立ち向かえると信じていたし、それが赦される年齢でもあった
傷つくことを知らない、何にでもなれるし何でもできるだろうという感情が、キャラクターに「愛している」と言わせることができた

20年経って、キャラクターに「愛している」を言わせることがほとんどなくなった
愛しているという世界の壮大な感情を、軽率にキャラに使わせたいと思えなくなった

年齢を重ねることで得た知識のおかげで「キャラクター性」を考察するようになった
親がいないキャラクターが何を求め、何を信じ、何を支えに生きてきたのだろうか。この子は幼い頃誰と、どんなことを語り合ったのだろうか。
そういうことを考えることは、それは20年という年月のおかげであり、透明がくすんだわけでも色あせたわけでもない

愛しているという10代の世界だけで、この世界は成り立たないということを
諦めではないと思うし、人はいつまでも成長していき、1人では生きられないと、愛しているだけでは生きてはいけないのだと知る

でも、だからと言って10代の少女の「愛している」という早熟を意図して書かないようにしていたのは
ちょっともったいないような気もする

セラエタの火野レイと海王みちるは「愛している」を一つのテーマに書いているふしはある


大人の使う「愛している」も10代の少女が語り合う「愛してる」も同じ言葉だけど

大人同士が語る「愛している」は「いろんな人と、それなりに経験を積んで学んで、やっとあなたにたどり着いた」
10代の少女が語る「愛している」は「世界中にあなただけでいい、あなた以外何もいらない」

という違いのように思う。

どちらも正しいし、その時感じた愛はその時だけが本物で、「愛している」は常にせつな的な感情なのかもしれない。

今を生きている生身の人間は、成長を止められないから、思春期に「愛している」を謳歌して、それなりの年齢になって、その「愛している」過去を懐かしんで笑えるのよね

「愛している」の透明感をまた、書けるようになれたらいいな。















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