
いやぁすぐバレますが…いかにもスケッチしたように画像加工しました。
実はこんな感じの飾り物です。
大きさはこんなもん。高さ17~18センチくらいでしょうか。
よーく見ると、ちょっと上下のバランスが…ですが、なかなかよくできてます。
私が昨日のミシンの前に使っていたのは、国内メーカーのものでしたが、
なんだかハズレたんでしょうねぇ、しょっちゅう故障があって…。
それで昨日のものに変えたのですが、ほかに、後年購入した「小型」のもの、母から来たもの、
ロックミシン…と、そんなに使いもしないのに、ミシンばっかりあります。
写真のミニ・ミシンを見つけたとき、母の使っていた足踏みミシンを思い出しまして…。
懐かしくてついポチッと…ほんとにこんな感じでした。
実際のデキは、けっこう粗くて、おもちゃみたいなんですけど…
でもイメージはよくつかんでいます。子供のころ、この形が動物のアタマのように見えてました。
母のはJANOMEで、右の胴部分に金色の飾りが描いてありましたっけ。
なによりこの足の形、ウラのまぁるい胴、ここにミシン本体をひっくり返すようにして収納するんですよね。
穴もそう、こんな具合にちゃんとあいてました。
狭い家の廊下の端に置いてあって、安い生地で作った黄色に確かマーガレットかなにかの柄の
手作りカバーがかけてありました。このミニチュアでは、左右の引き出し3段もありますが、
母のミシンは両方に深い引き出しが一個ずつ。
お手入れ用のミシン油や、ドライバー、交換用ベルトなどが入っていました。
いつも「さわらんとき!あけたらアカン!」といわれていましたっけ。
母がこれを使っていたのは、たぶん私が高1くらいまで…だったような。
私ももちろん使わせてもらっていましたが、それほど長く使った記憶がありません。
母が電動に変えたんですよね。あのころ、元々の台に、上だけ電動ミシンに交換する…というのが
よくあったと思うのですが、母はそれをしませんでした。お膳の上でも縫えるのがいい…と。
あの古いミシン、しばらくあったと思うのですが… 「なんでもとっとく実家」ですが、
さすがに場所ふさぎだったので、たぶん処分したと思います。あ~今ならりっぱな「あんちーく」…。
母の遺品整理のときに、古い伝票や書付が出てきて、このミシンを私が4歳くらいのときに
毎月500円の分割で買った記録がありました。当時の500円は、いまなら5000円くらいでしょうか。
たいへんな出費だったと思いますが、私の服も父のワイシャツも、祖父の足袋まで、
母はそれで縫いましたから、しっかり元はとってます…ねぇ。
母がミシンの上ブタを開けて、やっこらしょとミシンを起こすと、私は自分の服が縫ってもらえるものだと思って、
「今度はどんなの?すかーと?なにいろ?」と、うるさくまとわりついたものです。
台所ののれんだったり、新しい炊飯器のホコリよけカバーだったりすると、がっかりしていましたっけ。
そういえば、高校でも被服室にあったミシンの何台かは、まだ足踏みでした。
実習になると、みんな電動をねらう…でしたね。
今でも足踏みミシンがあれば使えると思います。評判の「少年H」、水谷豊さん扮する父親は、
足踏みミシンで服を縫っています。あの予告編も、懐かしく見ました。
道具がどんどん進化していくのは、人間にとって暮らしやすくなることだとは思いますが、
機械がフクザツになるほど、故障内容もかわり、面倒なら新しいものに買い換えてしまう…。
なんだかなぁと思うこともあります。
昨日のミシン、この30年に一度だけ修理していますが、それにしても「丈夫」です。
そして、昨日もしかして…と、ネットで調べたら、ミシン修理専門店で、
まだ扱ってくれることがわかりました。おんなじミシンが何台も写っていて、ちとカンゲキ。
部品を買えて、オーバーホールして、いつまでも使えたらありがたいです。
こういうの、何台も何十台も、外国に行っているみたいですね。発展途上国の女性の自立支援なんかで。ガリ版の道具なんかもですが、電気が使えるところばかりではないですから。
私も震災の時に、普段いかに電気に頼っていたかに思い当たり、愕然としました。便利な物というと、まず電化製品ばかりですもの。
理想は人力で電気がなくても使える、足踏み式のミシンとオルガンを使うことですが、それにはまず引っ越しばかりの転勤族からリタイアしなければ┐('~`;)┌
いるはずです。
シンガーミシンだったと記憶していますが、母が
雨降り仕事に、よくカタカタと踏んでいました。
足踏みミシン、実家には叔母のと母のと二台ありました。
実家を立て直す時、散々考えた末に処分しました。
今になって、惜しい事をしたと思います。
小学校のころ、私もカタカタと踏んでいました。
学校にも10台ぐらいあって、先生からミシンの調子を見るからと手伝わされた思い出があります。
近所の方が足踏みミシンを処分すると言うので、引き取りました。
でも、母や叔母が持っていた黒いミシンではなくってがっかり。
母達のミシン、どこかで活躍していてくれたらと、せめてもの希望です。
そうなんです。電気とまったらなにもかもが、タダの箱。
日本でも、手で動く足で動くは、大事ですよー。
せめてソーラー電池のものだとか、ゼンマイ式とか…。
なにかあると見ています。
わぁぁ現役ですか。すごいですねぇ。
大事にしてください。
昔の女性は、とにかく毎日、コマコマとよく動いてましたね。
私が小さいころの記憶には、じっと座ってお茶飲んでる母は、
思い出せません。なにかしら、やってましたね。
HNかわっていらっしゃらないと思うのですが…。
足踏みも、後年なんだかボックスのようになっていませんでしたか?
あの鋳物の重たい黒いのが、いいですよね。
なんとか手に入れたいものだと思っています。
さてさて、足踏みミシンです。
私は40代ですが、中高時代の被服授業は足踏みミシンでした。ボックス型でもない、まさにこのタイプの。
「少年H」で、大空襲のあとの焼け野原でミシンを掘り起こすシーンがあって、のちに仮設住宅で「ミシンベルトの代用品がみつかった」とミシンを動かすシーンにつながるんです。
これは、足踏みミシンならではだなぁ、と思いましたよ。電動ミシンじゃ無理。
家庭科のテスト問題で、(電動)ミシンの各部分の名前を答えさせるものがあるのですが、右手側の回転させる部分の名前が「はずみ車」って言うんですよね。
あれ、電動ミシンになれていると、名前が思い浮かばないと思います。「はずみ」をつける必要がないわけですから。
足踏みミシンを使っていたら、まさに「はずみ車」だって分かるんですけどね-。
私、足踏みミシンは得意でしたわ~。懐かしく思い出しました。ありがとうございます。
こちらこそ!
私もいつもおジャマしてますよー。
あの足踏みミシンの音は独特で、今でも耳の奥に
残っています。母の背中を思い出します。
そうそう「はずみ車」って言いましたね。
ベルトが緩んだりすると、母は自分で直してましたっけ。
初めて電動を使った母が「こわいわ、これ」って、
いってました。今みたいにスロースターターなんてなくて、
いきなりジャーッと縫い始めましたから。
足踏みの方が、調整がきく…と言いましたが、
つまりはそれも「経験」なんですよね。
どれもこれも、懐かしい思い出です。