ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

柳腰 私の腰は ウナギ腰(アブラのってんだわこれが・・)

2006-02-28 21:36:56 | 着物・古布

電気ウナギのような、ぶっとい腰のとんぼです。
なので、せめて本日も「ホンモノ柳腰びじん図」で。

私の腰痛に皆様暖かいお言葉、ありがとうございました。
まとめてお礼で申し訳ないのですが・・。おかげさまで、大丈夫です。
昨日は「腰紐と健康」なんぞについて考えてみましたが、
今日は「着物と体型」そのものについて考えてみたいと思います。

日本人は1000年以上も、この「着物」を着て暮らしてきました。
実はつい100年ほど前まで、です。そしてある日突然なくなったわけではなく、
つい50年前までは、まだまだ着ている人がたくさんいました。
その後急速に、本当に急速に「普段の着物」が姿を消し、
そして今、着物は「特別な日」に着るか、シゴトがら必要で着るか、
好きだから着るか・・だけで、みんなが着物で暮らすのが当たり前、
ではなくなりました。着物の長~~い歴史の最先端の、これが現状です。

人は、生まれ育った環境で体が作られるということもあると思います。
生まれたときから高山地帯で暮らす人は「高山病」にはならないし、
首長族の女性は、小さい頃から首に「輪」をはめるので、だんだん首が伸びます。
何を言いたいかと申しますとずっと「着物」だけを着て暮らしてきた
日本人の体は、ずっと着物に合う体だった・・と思うのです。
また、何回か書いておりますが、着物は元々ゆるゆるとしたものでした。
着物は丈が短く身幅が広い、袖は短く袖口はせまい。
これが少しずつ変わっていきました。変わっていった理由については、
とんぼ得意の「まとめちゃっておおざっぱ」に言いますと、
小袖というものが着物の原型になり、その後安土桃山あたりから、
女性が髪を結うようになったり、外国文化の影響などで、
帯の巾がかわったり、結び方がかわったり・・。
そんなこんなで、着物の形もあれこれかわって、最終的に、
江戸中期位になるのでしょうか、今とあまりかわらない形になったわけですが、
それでも今と比べれば身幅は広いです。
今の着物は畳んで下に置いたとき、袖付けの線は脇縫いの線からまっすぐではなく
少しななめにあがります。昔の着物はここがほとんど一直線です。
それだけ今の着物は身幅がせまくなっているということですね。
これで見えてくること、昔は着物は余裕のあるもので、
それをゆるりと着ていた、ということです。
身にぴったりそうようにきゅうきゅうと締め付けてきたり、
腰をくびれさせる着方をしたりはなかったんですね。
女も対丈の着物で帯も細かった時代からです。
となると・・みんなズンドウで当たり前だったわけです。
美人の基準なんて、変わるもの・・というのは皆さんもご存知と思います。
平安時代は、引き目鉤鼻下膨れ・・ですね。髪が縮れてないとか黒いとか・・。
江戸時代は「お歯黒の女性」が男性にはたまらないミリョク・・で、
「メリハリ」のない「ずんどう・ぼでー」が柳腰で、美人の条件だったわけです。
浮世絵を見ると「スラリと細身、胸はなく、思い切り上から下まで同じ太さ」、
そして帯も着物もでれっだらっとしています。
もちろん、シゴトにもよりけりですが、基本的に長~~~い間、
四角い布をまといつけて「衣服」としてきたということは、
洋服のように身体にピッタリではなかった・・ということです。
だからウエストも太い・・。洋装がはいってきて、毎日身体に合わせて
ぴったりとしたものを着るようになり、腰はいつもパンツだスカートだと
ゴムやらベルトやらで締め付ける。これで日本人の体型がかわったわけですね。
もちろん、栄養とか生活習慣などの変化もありますが。
腰巻だの、腰骨で締める細帯だの、ゆるゆるの着物だのを
生まれたときからずっと着ていた昔の日本人はみんなズンドウだったと思います。

実は着物と洋服は、いろいろなことが「逆」です。
たとえば、着る前のホディ・メイク、
洋装なら先ずは「ボン・キュッ・ボン」が理想!
それに近づけるべく、胸は「よせてあげて」(よせるほどない場合はアンコ!)
ウエストは締めて締めて! で、コルセットとかガードルとか・・。
そしてヒップはアップアップ、で、キュッとしまったお尻・・。
ところが、着物の場合は全く逆で、まずは胸は大きすぎないこと、
昔は胸の豊かな人はサラシなどまいて押さえました。
要するに平らに「ならしてしまう」わけです。
そしてウエストはあくまでズンドウがベスト。
最近の着物をキレイにきている写真(雑誌など)を見るとシルエットは
着物用の補正をたっぷり使って、上から下まで「筒」のようです。
以前、古いモデル立ちの写真、というのをアップしましたが、
少しでも洋服っぽく見せようと帯をきつくしめ、
足を前に出して腰から下をすぼめて見せていましたね。
あれは、たぶん洋風っぽくして肩を並べようとしていたんでしょうね。
ムリだってば・・。
そしてお尻も昔はキュンと出ているようなお尻は「でっちり」といわれて
いやがられました。どちらかといえば帯の下にデーンと
出っ張ってないほうがよかったのです。
柳腰・・という言葉、あれはただなよなよしている、という意味だけではなく、
体のラインに「メリハリ」がめだたないことをいいます。

さて次に、洋服というのは体の形に合わせて布を断ち切り縫い合わせます。
従って、いろいろな形(デザイン)が無限的に可能で、サイズも細かくかえられ、
一人ひとりの身体にぴったりと合わせることができます。
一方和服は、四角い布のつなぎ合わせです。「基本的」な形は大人も子供も、
男も女もほぼ同じ、サイズはいたっておおざっぱ、
ウエストが10センチ変わっても若い頃の着物が着られちゃったりします。
ガバガバのものを、身体に合わせてはしょったり、折りこんだりします。

もうひとつ、着物と洋服は、決定的に違うところがあります。
洋服は「着装」します。着物は「まとう」のです。
文学的な表現はともかくとして、通常ブラウスもセーターも「着る」と
いいますが、まとうとは言いません。スカートも、ズボンも「着る・履く」です。
体の形にそってできているものを「身に着ける」わけですね。
着物は「着る」ともいいますが、本来は「着物を体にまといつける」のです。
凹凸のある身体に、平らで四角なものをまとい、あちこち手繰り寄せたり
折りたたんだりして、身体に「あわせる」わけです。

今の人はこんな風に違うものを、着分けているわけですが、元が違うものを
ひとつの身体につけるのです。当然着方も、動きも違ってきますね。
ところが体の方は、昔「和風」今「洋風」、つまり今のメリハリ・ホディの
現代人が、昔の人のように着ようとしてもムリなわけで、
それでいろいろ道具などが考えだされり、着方作り方も変わったと思います。

またまた長くなりました。
次は、どんな風に着ていったらいいのか、着物を着てきたものが
今から着ようとする人に伝えられることはなんだろう・・
なんて、ちょっとカッコのいいこといっちゃいましたが、
そんなおしゃべりしてみたいと思います。

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8 コメント

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Unknown (陽花)
2006-03-01 13:25:03
とんぼ様



私は昔太っていた割には腰が細く

でっ尻だったんですよ。

着物を着ても腰のあたりがブカッとなって

タオルを入れてお太鼓で隠す・・・

文庫結びなんて当然似合いませんでした。

今になってお尻が小さくなりましたが

昔は気にしてました。あのお肉どこへ行った

のやら・・・
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うっうらやましい・・ (とんぼ)
2006-03-01 13:58:35
陽花様

私は若い頃ガリガリで、胸にも補正が要りました。

思うようにはいかないものですね。

で、今は補正のいらないおなかなんですが、

お肉ありすぎで、おなかの上に帯がのってる・・。

このお肉、どっかへやらねば・・・。

返信する
柳腰って… (りさこ)
2006-03-01 21:12:03
とんぼさま♪

ちょっと前に、江戸時代のファッションリーダーは女形役者だったというお話がありましたけど、江戸初期流行の若衆歌舞伎の女形が柳腰だったから、浮世絵も柳腰に描かれたのではないか…という説がありました。(批評社「江戸男色考」柴山肇著書)美少年なら、女性のふくよかさはありませんからね
返信する
まだいますよー (とんぼ)
2006-03-01 21:43:32
りさこ様

花魁や芸者さんもファッョン・リーダーでした。

考えてみると「美少年」の柳腰に近づくべく、

花魁も芸者さんも「ずんどう」めざしたのかも!

結局美少年は短期でしたが、

後々「野郎歌舞伎」になってからも、

女形は「しなしな」という形を普段から心がけた、

というのも、最初の「柳腰」をめざした?!

いつの時代も「じゃに系」ってなぁ、

影響がおおきいんですねぇ。

ヒガシ好きでしたぁ・・ってもーおじさんだわ・・。
返信する
時代が時代ならばと (蜆子)
2006-03-01 21:59:07
美人の標準は時代で随分違う、生まれる時を間違えたのね・・・と自分を慰めて

食べ物、生活様式、着るもので、随分体型も違ってきました。今度のオリンピックのフイギュアスケートの選手の体型みててもそう、今では日本の選手の美しさもひけはとりません、大分前の選手、技より以前に姿の美しさでは見劣りしましたもん、

着物着て畳の生活では、寸胴、足みじか、のっぺり、着物着なくなって、椅子の生活中心になったからか、足は長く、曲がらず、これでは以前の生活に戻るということはないでしょうね。

民族衣装としての着物、どんな国でも経済が進展して世界標準になっていくと、民族衣装は衰退していくようですね。

チマチョゴリ、アオザイ、チャイニーズドレス、着物、残念ですが世界の趨勢と思われます。

民族衣装まだまだ盛んな国って、じつはまだ経済が発展していず、世界標準においついていないだけの国のような気がしています。

どこの国でも日本の着物のような事情をかかえているのではないでしょうか、つくずく残念だと思います。
返信する
少し古い話ですが、 (萬屋千兵衛)
2006-03-01 22:40:24
中世から近世初期の女性の着物を調べてみますと、

いわゆる小袖の始まりの頃ですが、身幅が広く、

袖幅は狭い、衽幅は広く、衿丈は長いなどでして、

身幅は前幅と後ろ幅がほとんど同じ寸法で、

衿肩あきは狭く、袖口も狭いなどの特徴が見られます。

この時代の庶民の女性は立て膝で座っている姿が

絵画や浮世絵にも見られまして、この頃の一般的な

女性は、立て膝かあぐらが普通の座り方であった

ようです。



現在でも韓国のチマチョゴリを着た女性は立て膝で

座っている姿を目にする事ができますよね?

私が思いますに、この立て膝の習慣は、それまでの

文化が中国や朝鮮から入ってきたように、やはり

朝鮮半島経由の影響からだと思います。



とんぼさんのおっしゃるように、身幅が広く、ゆるゆるの

小袖長着ですから、立て膝で座っても、前もはだけず、

すぐに立ち働きもできたでしょうし、現在のように

着物を着ているからといって、静に振る舞ったりしては

いなかったのでしょうね!(笑)

何しろ毎日が着物を着ての重労働でしたでしょうから

実用本位であったでしょうし、それ以前の、少し身分の

低い女性は腰の周り全体に短い腰布を付けている姿が

絵巻物などに描かれています。

後年、前だけになり、前掛けとして定着します。

とりとめのない話になってしまいましたが、要するに

女性の着物の歴史は、実用本位の部分が先行しており、

美術的に優れたものは、一部高貴な階層だけのものであり、

庶民的には江戸時代まで、あるいは明治時代の樋口一葉

さんらの集合写真でも見られるように、現在に比べますと、

ずうっと、ラフに着こなしているようですよね!



という事からも、なにも、中身のバディだけを、

ボンキュッボン!にする必然性は全く無く、とんぼさんが、

大手を振って歩ける時代であったのでしょう!(笑)



電気ウナギのように、脂の乗ったとんぼさん!

見た目はともかく、、、美味しそう!(笑)
返信する
早いですよね (とんぼ)
2006-03-01 23:47:38
蜆子様

4年前、8年前、と思い出してみると、

ほんとにスタイルよくなってますよね。

私はなんとか正座もしていられますが、

それでもイスがらくーって思っちゃいます。

洋風に、もうどっぷり浸かっちゃってますものね。

1000年後の地球上に、どれだけ昔のものが

どんな形でのこるのでしょうね。
返信する
次のブログで・・ (とんぼ)
2006-03-01 23:54:01
千兵衛様

書いたのですが、着物の中の自由というものを

自分たちで作っていく・・というのが、

着物文化の流れだと思うのです。

着物を着ない日本人ばかりになってしまったから、

単純に「こうやって着るもの」だけで

とまっちゃったら、つまらないものになってしまう、

とそんな風に思います。



それにしても・・電気ウナギですからね、

シビレさせてやる~~~!!

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