すいーと雑記帳

とっこの独り言

宮森小ジェット機墜落から52年

2011-06-30 15:58:35 | 日録・雑感など
6月30日 THU  31℃

本土は各地で猛暑らしいですが、台風の過ぎた沖縄では気温も32℃までで、風がそよそよ吹いて、とても過ごし易いです。
いよいよ<避暑地沖縄>で売り出すことになるのでしょうか?

今日は、午前中母を車椅子に乗せて、かかりつけのKクリニックまで連れていって、いつものお薬を頂きました。


満開のアリアケカズラ(近所の医院玄関)

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52年前の今日、1959年6月30日、沖縄本島中部、石川市(現うるま市)にある宮森小学校に、嘉手納基地を飛び立った米軍戦闘ジェット機が墜落しました。

この墜落事故で、小学生11人、付近の住民6人の計17人が犠牲になって亡くなりました。
犠牲になられた小学生も、生きておられたらもう還暦を迎えられるような齢です。

一昨年、チョイさんの運転で、うるま市の宮森小学校へ行って、その後、石川民族資
料館へ行きました。


会場いっぱいに事故当時のなまなましい写真や、新聞記事が展示されていました。
(会場での写真はすべてチョイさん撮影)


米軍ジェット機墜落直後の現場
(操縦士はパラシュートで脱出して無事)







当時の新聞記事によると、事故に遭った児童の中には、あまりに遺体の損傷がひどくて、あちこちの病院や遺体安置所を探しまわった両親にさえ、すぐにはわからなくて確認までまる一日かかった人が2名もあったということでした。なんと酷いことでしょう。  

今から7年前の沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事故をみてもわかるように、この宮森小学校ジェット機墜落は決して52年昔、過去の事件ではないのだと痛感させられます。

今また、日米両政府が沖縄県民の猛反対に耳を貸そうともせず、、垂直離着陸機オスプレイ(ヘリと飛行機を合体したような危険な物。widow makerの異名をもつ)を沖縄に配備することを決めました。
普天間飛行場に配備され、現在東村に建設を強行しようとしている高江へリパッドにも離着陸すると予想されます。

北沢防衛大臣はじめ、日本政府は「オスプレイは安全」と繰り返すけれど、そんな言葉に何の保証もありません。(そんなに安全な物なら、本土のどこかに引き受けてもらったらどうよ?)

危険極まりないオスプレイが沖縄の空をウロウロして、また2004年沖国大の時みたいに住宅街に墜落して、こんどは多数の犠牲者が出たりしたら、いったい誰がどう責任をとるというのでしょう?

その意味でも、52年前の宮森小米軍ジェット機墜落事件を過去のものと思わないことが大事だなあと思います。・・・明日は、私の頭上に落ちるかも、息子家族の家に落ちるかも・・・。米軍基地が密集している沖縄県では、それは「杞憂」と笑うには、あまりに現実味を帯びたことなのです。

さあ、7月に入ったら、また東村高江で沖縄防衛局によるヘリパッド建設工事が再開されるでしょう。この暑い中、遠い東村まで監視、抗議に行くのも大変だわ。
でも、いったんヘリパッドを作らせてしまったら、もっと大変なことになります。

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