(12月30日 WED) 20℃
母は、年内退院の願いもむなしく、病院で越年することになりそうです。
胆嚢炎そのものは、ずいぶん軽快したのですが、90歳になって2週間も
寝たきり安静の生活をしたせいで、な、なんと立つこともできなくなって
いました
昨日からリハビリが始まっていますが、ちょっと立つと吐き気はするわ、
血圧は急上昇するわ、で全然リハビリが進みません
ま、気長に行くよりないですわ。 . . . 本文を読む
(12月27日 SUN) 19℃
昨26日夕方、名護市辺野古にある米軍キャンプシュワブのゲート前で、
今年最後のピースキャンドルがありました。
(私も参加する予定でしたが、残念ながら母の入院で行けなくて、チョイ
さんが「代表派遣」で行ってきました)
「平和な海を祈る光の列 シュワブ前 100人がキャンドル」(沖縄タイムス12月27日)
このピースキャンドルも、もう6年目に入ったそうで . . . 本文を読む
(12月25日 FRI) 22℃ 88%
沖縄は当然のことながら、本土より夜明けが遅いです。
上の写真は今朝7時ぐらいにチョイさんに撮ってもらいました。
「綺麗な朝焼けだわ~」と思っていると、病院行きの時間7:40には、
土砂降りになりました。車で病院へ。
母は少しずつお粥や軟菜食を食べられるようになって、やっと点滴をはず
してもらいました。
私の風邪がひどくて、「熱が出たらどうしよ . . . 本文を読む
(12月24日 THU) 23℃
ここのところの気温の乱高下に加えて、病院の暖房に汗をかいたりした
せいか、昨日から風邪気味でヤバッ!と思っています。
私がコケタら、だれがオカーチャンの面倒をみる?
あかん、ここはひとつ、気合で頑張らなければ!
ずっと絶食、点滴できた母ですが、昨日の昼から、食事が始まりました。
主治医のお話によると、血液検査の結果、炎症反応がかなり治まってい
るので、ぼつぼ . . . 本文を読む
(12月21日 MON) 15℃
「カデナ」池澤夏樹(新潮社 2009年)
あの夏、私たちは四人だけの分隊で闘った。
ベトナム戦争末期、沖縄カデナ基地の中と外を結んで、巨大な米軍への抵抗
を試みた、小さな「スパイ組織」があった・・・。
著者の10年に及ぶ沖縄での経験と思索のすべてが注がれた渾身の長編
. . . 本文を読む
(12月20日 SUN) 17℃
今日は寒かったです。
と言っても、京都の冬を20数年過ごした者には「屁みたいな」もんで
したが・・・。
京都では、ストッキングをはいて、ソックス、ズボン、その上にまだオー
バーズボンをはいて自転車で買い物に行ってましたが、今日でも自転車で
病院へ行くのに、ジーンズだけでちっとも寒くないのですからケタが違い
ます。あったりまえです。なんたってここは亜熱帯です . . . 本文を読む
(12月19日 SAT) 16℃
昨日から沖縄でも急に寒くなりました。
風が強いから体感温度は気温よりずっと低く感じられます。
私も今年はじめて薄手のウインドブレーカーを着て綿のマフラーを首に巻き
ました。
母は、やっとHCU(重症患者用病室)を出て、昨日個室に移りました。
まだまだ絶食安静が続いていますが、少しだけ安心しました。
病室からの景色もなかなかのものです。(海側の部屋はもっと . . . 本文を読む
(12月17日 THU) 18℃
本土ではひどく寒いらしいですが、ここ沖縄でも少し涼しく(!)
なってきました。
昨日、今日と20度を切りました。気温は高いのですが、島な
のでいつも吹いている風のせいで体感温度はかなり低いです。
でも半そでTシャツに長袖ブラウスを羽織っているぐらいです。
沖縄の人は、さすがに寒さに弱いらしくて、もうセーターやコートを着
込んでいる人も見かけます。
入院中 . . . 本文を読む
(12月16日) 19℃
15日夜、母がまた高熱を出して、吐き気もひどいので、かかりつけの
お医者さんに緊急連絡してご相談。
やはり90歳ではあるし、総合病院のO病院へ行った方がいいだろうと
いうことで、O病院の夜間救急外来へ。
諸検査の結果、「胆嚢炎」との診断で、即入院に。
今回の症状はかなりヒドイです。高熱と吐き気で、あれでは体力を消耗
するでしょう。
吐き気止めを点滴に混ぜても . . . 本文を読む
(12月15日 TUE) 23℃
たとえば、大阪の20代のニイチャンが、ひき逃げ死亡事故を起こして、
家に逃げ帰ったとしましょう。
事故で車も壊れちゃったから、翌日修理工場に持ち込んで、そこからアシ
がついて、警察に任意で事情を聞かれた。
そのニイチャンは「何かにぶつかったが、木にぶつかったと思った。車外
に出てみたが何もなかったのでそのまま帰って、翌日車を修理に出した」
「ひょっとしたら . . . 本文を読む