《11/30読了 新潮社 2009年刊 【日本の小説】 ぬまた・まほかる(1948~) 》
アミダサマ・阿弥陀如来とは、もちろん阿弥陀如来像そのものを指すのではなく、
概念としての阿弥陀如来ですらない。
決して言葉にはならない(言葉にした瞬間、違うものになってしまうから)「何か」を便宜上そう呼ぶのであって、
だから「アミダサマ」そのものを信じたり拝んだりしてはいけないよ。
―というようなことを冒頭、作中人物である僧侶が言うのですが、この小説自体が、"言葉にならない何か"を限界まで言語化したもののような気がします。
でも、その言葉は被膜のようなものでしかなく、中にはなんだか果てしなく、結局なんだかわからない「何か」としか呼べない空洞(あるいはみっちり詰まった何か)が確かにあって、しかし読み手には「決して言葉にならない"何か"」が間違いなく「わからないまま実感」できる。
小説家がその「何か」をねじ伏せたり、矮小化したりしなかったことと、一切の「解答」を拒んだこと、これが勝因なんですね、たぶん。
呼び合う魂、子供への無償の愛、愛する者への執着、清らかな平和、なんて一見美しいものをことごとくひっくり返して見せる、
まるで人間の皮を尻の穴からぐるんと裏返したような作品です。