快読日記

日々の読書記録

「「老いる」とはどういうことか」河合隼雄

2020年09月30日 | エッセイ・自叙伝・手記・紀行
9月28日(月)

「「老いる」とはどういうことか」河合隼雄(講談社+α文庫 1997年 「老いのみち」1991年を再編集文庫化)を読了。

20代のころよく読んでいた河合隼雄をものすごく久しぶりに読みました。
わたしもだいぶおじいさんに近づいてきたという自負があったので。
だけど、新聞連載の短~いエッセイ(たぶん原稿用紙2枚くらい)を収めただけなので、
タイトルに釣られて「どういうことなのか教えてくれー!」と読み始めたら裏切られるかんじです。

これを読んではっきり分かったのは、
わたしは「老いる過程」の具体的な変化やその捉え方を知りたいのであって、
でも、河合隼雄はとっくに老いている(老練と言った方がふさわしい)わけで、
もう「完成したおじいさん」の完成した姿を見せられても、
いやいや、だから、その途中はどうでした?生まれつきおじいさんだったわけじゃないですよね、とすがり付きたくなるけれど、おじいさんは答えてくれない、ということです。


つくづく、昔の人は年をとるのがうまかった気がします。
中年期から、差し迫る「老い」と格闘したり焦ったりモヤモヤしてるのって、今の人ですよね、昔の人はそんなことしない。

目指す老人像として、河合隼雄は難易度が高すぎる、というのが結論です。
お前は一体何を目指しているのか、と聞かれても、もうわかりません。