快読日記

日々の読書記録

「ていだん」小林聡美

2021年06月09日 | その他
5月3日(月)

「ていだん」小林聡美(中公文庫 2021年)を読了。

ひとつひとつはすごく短い鼎談集なんだけど、物足りなさは意外とない。

お茶を飲むみたいにツルツルと読む。

「女ひとりで親を看取る」山口美江

2021年05月08日 | エッセイ・自叙伝・手記・紀行
4月30日(金)

認知症のお父さんとの生活をつづった「女ひとりで親を看取る」山口美江(ブックマン社 2008年)を読了。

認知症という病気の“ぶっ壊れていく感”が生々しく伝わります。
どんどん進行していく病気は、本人も辛いけど家族も不安だし恐怖です。
自分だったらあっさり白旗をあげるのか、
それとも、そうなったらそうなったで乗り切れるのか、
うまく想像できません。

しかし、当事者には乗り切れるかどうか悠長に考えてる暇もないわけで、
最終的に「ひとりで介護するには限界」と言われるところまで行ってしまった山口美江には同情するし、
共感もしてしまう。
だけど、もうちょっと早い段階から他人の手を借りてもよかったですよね、って言っても届きませんが。


自分は強いんだ、という認識で生きる人をわたしは好きだけど、
そういう人ほど脆いんだと気づきたい。


かなり悲惨と言われても仕方ない話を、
そう感じさせない冷静な文章に、
山口美江のダンディズムが漂います。

「乙女の密告」赤染晶子

2021年05月07日 | 日本の小説
4月15日(木)

「乙女の密告」赤染晶子(新潮社 2010年)を読了。

「うつつ・うつら」を読んだときにも感じたことですが、
赤染晶子の笑いのセンスはすばらしい。

昔、M1で見た「変ホ長調」っていう女性コンビを思い出します。
独特のおっとりした雰囲気でかなりな毒を吐く2人にげらげら笑いながら、
ふと、「あ、なんかストレートに笑える!」と思ったんです。
つまり、今までは男からみた男の笑いを一回翻訳して「ああ、そういう意味ね」と解釈して初めて笑える、という作業を脳内でしていたんだと。

いわゆる“女芸人”と呼ばれる人たちの多くも、
“男文脈の笑い”や“男の価値観からくる笑い”からなかなか逃れられない。
(そこから脱出する“女芸人”たちにはもう“女性議員”みたいな枠は与えられず、男と同じ“普通の人生”が待ってるんだ、という話を橋本治は「幸いは降る星のごとく」でしています)

例えば、手話は一般的な日本語とは文法から違うし、別言語であると認めろ、という話がありますが、“女の笑い”もそんなかんじかな。

“女の笑い”の独自性は、
感性とか生理的なものよりも、
社会的な要因に基づくところが大きいと思います。
つねにサブ的で、男社会の中心から外れたところに視点がある。
そこから生まれる笑い。
だから、声高に“ジェンダーフリー!”とか叫ぶのはちょっと違うんです、そういう話ではない。

で、赤染晶子の何がすごいかに戻ると、
頑強な男中心社会に抵抗も迎合もせず、
彼らが見向きもしなかったスペースに毅然と(でも、パッと見たところおっとりと)立ち、
自分が芯から面白いと思ってることでとことん勝負しているところ、だと思います。
しかも、ちょっととぼけた涼しい顔で。

「ハピネス」桐野夏生

2021年05月07日 | 日本の小説
4月11日(日)

「ハピネス」桐野夏生(光文社文庫 2016年)を読了。

東京東部のタワーマンションに住む女たちの話。

共感できる人物がひとりも出てこないのに、
読み始めると止まらなくなるってすごくない?(若者風に言ってみた)

あと、着ているものや身につけるものからその人間を推察する目が鋭い。

「午前0時の忘れもの」赤川次郎

2021年05月07日 | 日本の小説
4月9日(金)

「午前0時の忘れもの」赤川次郎(集英社文庫 1997年)を読了。

バス事故で亡くなった人たちが午前0時に帰ってくる、という話。

過不足なし!(いい意味で。)
いろんな要素がちょうどいいです、安心して読める。

さらによかったのが三木卓の解説。
赤川次郎が“大人”であることのよさ。
つまり、視野の広さや人間を把握する能力やバランス感覚に優れているところ。
赤川作品の価値にあらためて気づかされる名解説でした。

「うつつ・うつら」赤染晶子

2021年05月07日 | 日本の小説
4月2日(金)

「うつつ・うつら」赤染晶子(文藝春秋 2007年)を読了。

初子さん(「初子さん」)も、
マドモアゼル鶴子(「うつつ・うつら」)も、
重苦しさや息苦しさに耐えているのに、
つねに基調に“笑い”がある。

ボケる実力が半端じゃないところが最高だと思いました。

「日没」桐野夏生

2021年05月07日 | 日本の小説
3月26日(金)

「日没」桐野夏生(岩波書店 2020年)を読了。

桐野夏生にとって「書く」という衝動や行為は、
おぞましい腫瘍のように体内に芽生えて大きくなってきたもので、
でも、どういうわけかそれが作家を生かしていて、
切り離してしまえば作家本人の命も尽きてしまうので、
だから、それを抱えたまま生きていくしかない、っていうかんじなんだろうか。
そんな苦悩と愉悦と誇りを抱え、それを繰り返し描いている気がします。
その行為は作家自身の心身を削りえぐることになるのに、
それでも作家は書くのを止めない。
どんな手を使って阻止されたとしても。

そういう覚悟が読み手をビビらせる傑作だと思いました。


この作品、小説家が読むとどう感じるんでしょう、聞いてみたいです。
特に「読んだ人に元気を与えたい」系の作家からみたら。
「作家」を名乗ってはいても別物だからいいのか。それはそれで需要があるから問題ないのかな。


じゃあ、読者側から何が言えるかといえば①「読む覚悟」。
“わたしはこれだけ腹をくくって書いてる。お前はどうだ。”
そんな何かを突きつけられるので、読む側にも相応の覚悟が強いられます。
②「だから読解力をつけねば大変なことになる」です。
学校で教える「国語」教材が実用文中心になるそうで、
この国がどういう人間を作っていきたいのかがわかります。
読解力のない、思考力や判断力や想像力、洞察力、共感のない人間、
その先になにがあるのか、と考えると、
つい「明日の日本を見たくない」という言葉を思い出してしまいます。

「みうらじゅんと宮藤官九郎の世界全体会議」みうらじゅん 宮藤官九郎

2021年05月06日 | その他
3月19日(金)

「みうらじゅんと宮藤官九郎の世界全体会議」みうらじゅん 宮藤官九郎(集英社文庫 2020年)を読了。

すごく気が合う高速餅つきを見ているようでした。

「ゴランノスポン」町田康

2021年05月06日 | 日本の小説
3月15日(月)

「ゴランノスポン」町田康(新潮社 2011年)を読了。短編集。

「ゴランノスポン」や「一般の魔力」は、わ~!いるいる!こういうやつ!みたいに読めるんだけど、
読後、あれ?これ自分?自分もこうなってる?っていうかいつかなる?気づいてないだけ?という“毒”がじんわ~り回ってきて本当に怖い。苦しくなってくる。

あんまり怖いので再読、再々読してしまいました。

「庭」小山田浩子

2021年04月18日 | 日本の小説
3月13日(土)

「庭」小山田浩子(新潮文庫 2021年)を読了。

半径1mくらいのことがちまちま(って表現は悪いけど、刺繍や編み物のイメージ)描かれてるのに、いつの間にか後戻りできない怖い場所に引きずり込まれてます。

土のにおいがする。

そう。ちょっと吉田知子みたい。

…と思ったら、解説が吉田知子でした(笑)
でも、吉田知子にある「凄み」みたいなものはない。

「「原っぱ」という社会がほしい」橋本治

2021年04月18日 | エッセイ・自叙伝・手記・紀行
2月27日(土)

「「原っぱ」という社会がほしい」橋本治(河出新書 2021年)を読了。

本当に最後に書かれたものが収められているからか、
読んでると、内容そのものより「なんで今橋本治はいないのか、今生きてたら何を教えてくれたのか」とか考えてしまって、
頭と心がグラグラします。

この喪失感は、志村けんが亡くなったときと似ています。
以前、日本エレキテル連合(だったかな)が、志村けん逝去について「子供のころからさんざん遊んでくれた人がいなくなった」と言っていたのを読んですごく納得したんですが、
それに倣って言えば、橋本治は「若いころからさんざんいろいろ教えてくれた人がいなくなった」ということです。
この不安は、亡くなって2年経ったらさらに増している。

「70年目の告白~毒とペン~ 1」高階良子

2021年04月18日 | 漫画とそれに関するもの
2月23日(火)

「70年目の告白~毒とペン~ 1」高階良子(秋田書店 2021年)を読了。

帯の「引退作」の文字はかなりショックですが、
漫画家人生の最後を自伝で締め括ろうという覚悟が伝わります。

とにかく、幼少時からの実母による心身への虐待は凄まじいです。
これでもか!これでもか!というかんじ。
この1巻は、主人公・涼が絶望の淵から脱出しかかるあたりで終わりますが、
現在の作者が語り手となり、涼(過去の作者自身)の心情を代弁しながら話が進むという構成が心に染みます。
大人の自分が当時の幼い自分に寄り添う場面が何度もあり、これを絵で見せられるところが漫画っていいですね。

高階良子マニアとしては、
高階作品に登場するパーフェクトな男性たちの原型がこの実父にあるとか、
語り手の作家自身の髪形が「交換日記殺人事件」の圭みたいでうれしいとか(笑)
見所いっぱいです。

ここ数年の高階作品で描かれる、児童虐待・親からの支配や攻撃の根っこにはこういう生い立ちがあったのか、と思ったんだけど、
よく考えてみると、昭和40・50年代の作品からずっとそうでした。
両親不在(登場しないor死んでる)の主人公が多い気がするし、いても無力で主人公を困難から救ってはくれない。(助けてくれるのは、“万能な男性”か“孤独な姉御”)
親に対しての絶望や親子の縁の薄さが目立ちます。


あぁ、高階作品全体を振り返るのはまだ早い!現在進行中ですからね。

2巻めが待ち遠しい。

「平安ガールフレンズ」酒井順子

2021年03月04日 | 言語・文芸評論・古典・詩歌
2月15日(月)

「平安ガールフレンズ」酒井順子(角川書店 2019年)を読了。

清少納言・紫式部を筆頭に、菅原孝標女・和泉式部・藤原道綱母などの書き手がここまで身近に感じられることってなかなかなかったかも。

平安文学の知識の充実っぷりはもちろん、彼女らを現代に生きる我々の側にひっぱりこむ力に興奮します。
分析力もすばらしいし歯切れがいい!スカッとします。

たしかに、
千年経とうが文明の利器が進化しようが、わたしたちはおんなじことで喜んだり悩んだりしてる、ガールフレンズなのであるなあとグッときました。

「加害者家族を支援する」阿部恭子

2021年03月04日 | ノンフィクション・社会・事件・評伝
2月14日(日)

「加害者家族を支援する」阿部恭子(岩波ブックレット)を読了。

犯罪被害者とその家族への支援が必要なのは当然ですが、
同様に相当な苦痛を強いられる加害者家族への支援はかなり遅れています。
彼らは自力で耐えるしかなかった。
世間への引け目があるため、まず助けを求めることもできません。
住処を移ったり、最悪の場合、自殺してしまうこともあります。
大きく報道される殺人事件はもとより、性犯罪件とか窃盗だって家族はひどく苦しめられる。

この本は、具体的なケースの紹介がなされたうえで、そこには我々がこういう支援をしました、という話になっていて、
ただ「加害者家族はこんなひどい目にあってますよ」で終わらせない、そのための支援の話がメインで、
本格的な加害者家族に対する支援がようやくスタートした、というかんじがしました。

驚いたのは、欧米では加害者家族は世間の同情や励ましの対象になるんだそうで、
犯人の親を引きずり出せ!とか言われちゃう日本はなんだかむごいですね。

なんでもかんでも外国が進んでいる、とは全く思わないけど、この件に関しては差がありすぎてちょっとショックです。

「だからここにいる」島崎今日子

2021年02月26日 | ノンフィクション・社会・事件・評伝
2月12日(金)

「だからここにいる」島崎今日子(幻冬舎文庫 2021年)を読了。

山岸凉子と木皿泉の項が読みたくて購入。

いわゆる“ファン”ではない、思い入れが(ほぼ)ない、ちょっと距離のある視点からの人物ルポが新鮮でした。

山岸凉子のお兄さんの話は貴重だし、
木皿泉が演出家と喧嘩したり、鬱になったりしたのも、本人のエッセイを通して知ってしましたが、こうして別の目から見るとまた違うものが見えてくる。

この2人以外では安藤サクラと長与千種がおもしろかったです。
とくに長与千種に関しては、もっとボリュームがある評伝が読みたい!