快読日記

日々の読書記録

「記憶の盆をどり」町田康

2021年07月25日 | 日本の小説
6月30日(水)

短編集「記憶の盆をどり」町田康(講談社 2019年)を読了。

この前読んだ短編集「ゴランノスポン」に比べると熟したかんじというか、コクがある印象。
大人が書いた、というか。

ちょっと教訓ぽいところがアレだけど「百万円もらった男」がじんときました。

「図書館の外は嵐 穂村弘の読書日記」穂村弘

2021年06月30日 | 総記・書評・人生訓・哲学・宗教など
6月28日(月)

「図書館の外は嵐 穂村弘の読書日記」穂村弘(文藝春秋 2021年)を読了。

読書日記(書評)って、
これおもしろかったよー!みたいな段階のもので済めばいいけど、
突っ込んであれこれ書き綴っちゃうと、
却って自分自身の底が知れちゃうというか、
読解力のなさだったり、
それゆえの“逃げ”が文章に出ちゃったりして、
とにかく危険ですね。

すっごく意地の悪いことを言えば、
穂村弘は「これ以上書くと危ない」って手前ですっと手を引くのがうまい。
わかってます、という雰囲気を出すのがうまい。

「あなたの隣の精神疾患」春日武彦

2021年06月30日 | 暮らし・健康・理科っぽい話
6月16日(水)

「あなたの隣の精神疾患」春日武彦(集英社インターナショナル新書 2021年)を読了。

春日武彦の「読解力」はすごい。
すごいっていうか「凄い」。
人間の精神の脆さやグロさやキッチュな様子を解説するために、
症例以外によく文学作品を例に使うけど、
その読み解きが見事で、
ああ、そう読み取るんだ!とはっとさせられることが多いです。
精神科医になるべくしてなったというかんじ。

特に完全に“狂っちゃった”人より、
普通の生活のなかに生きる“ちょっとおかしい人”を受信するアンテナが高性能すぎます。

「帽子」吉村昭

2021年06月30日 | 日本の小説
6月10日(木)

「帽子」吉村昭(中公文庫 2003年)を読了。

短編集。
すべて男女の訳ありな話で、
松本清張ほど性悪説でもなく、
基本は普通の人たちの話。
だからこその機微というか、
ううわー、そこに着地か~!とか、
え?それで終わり?みたいな終わり方とか、
人生のひとコマを切り取ってうまく盛り付ける作家の手腕を堪能しました。
おとなの話だ~。
大満足。

「大阪的」江弘毅 津村記久子

2021年06月19日 | その他
6月2日(水)

「大阪的」江弘毅 津村記久子(ミシマ社 2017年)を読了。

大阪は、東京と張り合うとかではなく、いち「ローカル」として進むべき、
という津村記久子(大阪在住。作品にはほとんど大阪臭・関西臭がしない)
の話はおもしろかったです。
そもそも大阪はもう人口でも神奈川に抜かれていて、
日本第2の都市ですらないしね、
だから、ことさら大阪を特別視せず、
ただのおもしろい地元、と考えた方がいいじゃないか、と。
しかし、相手の江さん(大阪在住)は、
その考えに大賛成!という発言はしているのに、
終始、大阪は特殊だ、独特だという考えから抜け出せていなくて、
さらにそれに対する自覚もなくて、
これ、対談じゃなくて、大阪をテーマにした津村記久子のエッセイとかでよかったんじゃないかなー、と思いました。

「ある日の入管~外国人収容施設は“生き地獄”~」織田朝日

2021年06月11日 | ノンフィクション・社会・事件・評伝
5月31日(月)

「ある日の入管~外国人収容施設は“生き地獄”~」織田朝日(扶桑社 2021年)を読了。

スリランカ人女性の死亡事件で、
いったいどんなところなんだ入管って?と思ってたタイミングで、
図書館でみつけた本。

入管に収容された外国人を支援している人が書いた漫画です。

タイトルどおり、
日本の入管施設がいかにひどい場所か、
職員がいかに冷酷か、
収容された外国人はどれほどむごい目に遭ってるかというエピソード満載ですが、
そのどれもがだいぶ感情的なレポートに終始しているので、
気持ちは分かるんだけど、
ちょっと求めてたものとは違うかも、と思いました。

そもそも、なぜ入管ってこんな状況なのか、
いつからこうなのか、
法的にはどうなのか、
改善する可能性はあるのか、
他の国はどうなのか、
死亡事件や事故は過去にどのくらいあるのか、などなど、
次から次へと疑問がわいてきて、
もやもやした挙げ句、
ちゃんと取材したり論じたりしてる本が読みたくなるという仕掛け、です。

「アメリカ炎上通信 言霊USA XXL」町山智浩

2021年06月09日 | ノンフィクション・社会・事件・評伝
5月31日(月)

「アメリカ炎上通信 言霊USA XXL」町山智浩(文藝春秋 2019年)を読了。

アメリカに生まれなくてよかった、と胸を撫で下ろしたり、
むしろアメリカの方がマシだ!と思ったりしながら読了。

澤井健の絵も相変わらずうまいしおもしろい!
(表紙はあびる優ではない)

「ロンリネス」桐野夏生

2021年06月09日 | 日本の小説
5月27日(木)

「ロンリネス」桐野夏生(光文社 2018年)を読了。

「ハピネス」の続編。
乱暴に言ってしまえば不倫の話。
そこが地獄と分かりつつのめり込んでしまう様子がすごい説得力です。
もう、テレビで土屋アンナを見るとおおっ!とか思ってしまう。
(ここに出てくる洋子という人の異名が「江東区の土屋アンナ」なので)

例えばこの前出た「日没」みたいな作品と比べると、こういう話の方が桐野夏生の小説家としての技みたいなものが味わえておもしろいです。

「コロナ脳 日本人はデマに殺される」小林よしのり 宮沢孝幸

2021年06月09日 | ノンフィクション・社会・事件・評伝
5月23日(日)

「コロナ脳 日本人はデマに殺される」小林よしのり 宮沢孝幸(小学館新書 2021年)を読了。

ここで、二人が展開する「コロナなんてただの風邪」説はほぼ正しいんだろう。

マスコミに振り回されてる人々は「コロナ脳」で彼らに言わせればおばかさんなんだろう。

こういう、俺たちは真実を知っていて、知らないやつはバカ、みたいな言説は、
啓蒙というより攻撃、
議論するというより「ののしってる」ってかんじ、
読んでて不快で疲れます。

「認知症になった蛭子さん」蛭子能収

2021年06月09日 | その他
5月22日(土)

「認知症になった蛭子さん」蛭子能収( 2021年)を読了。

認知症にかかったから即死するわけではないので、働いて稼がなきゃならない。
蛭子さんが主張するように、テレビでどんどん使ってやってほしい。

病気の人を笑ってはいけません、みたいな考えは結構だけど、
その考えが小人プロレスをなくし、小人プロレスラーの職を奪い、路頭に迷わせた悲劇を思い出します。

「どうしても頑張れない人たち ケーキの切れない非行少年たち2」宮口幸治

2021年06月09日 | ノンフィクション・社会・事件・評伝
5月20日(木)

「どうしても頑張れない人たち ケーキの切れない非行少年たち2」宮口幸治(新潮新書 2021年)を読了。

前作「ケーキの切れない非行少年たち」を読んだときは、仕事柄、ああ、こういう子いるよな~(特定のところに固まって存在してる)、という感想を持ちましたが、

この「2」は、彼らを支援する立場からの考察や提言が前作より増していて、
中でも、“支援したくなくなるような人物こそが支援の対象”という言葉が重いです。

支援者だって人間なので、彼らに傷つけられながら助けてやる、というのはなかなか過酷だろうと思います。
助けてやるという発想がいかん、という声が聞こえてきそうですが、よほどの宗教的使命感でもない限り無理だと思う。

結局、彼らを信じて支援し、導くことは、まわりまわって社会にとってはいいことなんだけど、
今みたいな社会に余力がない状態ではかなり大変です。

「どうせ死ぬから言わせてもらおう」池田清彦

2021年06月09日 | エッセイ・自叙伝・手記・紀行
5月20日(木)

「どうせ死ぬから言わせてもらおう」池田清彦(角川新書 2021年)を読了。

こういう親戚のおじさんがいたらいい。

先に死んでいくおじさんがうらやましいです。

「ジャックポット」筒井康隆

2021年06月09日 | 日本の小説
5月14日(金)

「ジャックポット」筒井康隆(新潮社 2021年)を読了。

短編集。
天才の妙技に笑ったり、気持ち悪くなったり、不安になったりして、
たどり着いた最後の「川のほとり」を繰り返し読みました。

亡くなった息子に夢の中で会う短い話。

そこでの息子の言葉がじーんとくるんだけど、語り手の作家が、その息子のセリフも自分が考えてるんだ、おれの夢の中だからな、と夢の中で考えている、その悲しみは深い深い池の底にある。

夢の中のまま話が終わるのも印象的でした。

「中年の本棚」荻原魚雷

2021年06月09日 | 総記・書評・人生訓・哲学・宗教など
5月9日(日)

「中年の本棚」荻原魚雷(紀伊國屋書店 2021年)を読了。

中年期を乗り切って大人になるための本や、大人になるってどういうことかを教えてくれる本の本。

自分と読書傾向が似た筆者に親しみを覚えつつ(あまりに好きな本がかぶるので、途中でこの人はわたしかと思った)、終盤、「果たして人は読書で大人になれるんだろうか」という疑問がわきました。


たぶんなれない。

「つまらない住宅地のすべての家」津村記久子

2021年06月09日 | 日本の小説
5月4日(火)

「つまらない住宅地のすべての家」津村記久子(双葉社 2021年)を読了。

普通の町の普通の住宅地に並ぶ10軒の家の話。

そう聞くと「ディス・イズ・ザ・デイ」みたいなのを想像しますが、
それより初期の「とにかく家に帰りたい」が近い感じがしました。

人と人とのつながり(一般的にいう“つながり”に加えて、ゆるいつながりも濃すぎるつながりも。“断絶”さえもつながりの一形態だという意味で)が、
このあたりに来ているかもしれない“逃走犯”という補助線によってみごとに描かれています。
この補助線は、「とにかく…」では“大雨”でした。


中でもすごいと思ったのは、ある家の家長的立場にいるおばあさんの描かれ方です。
人を見下したり利用したり踏みつけたりしながら生きてきて、そのまま石みたいに固まって死んでいく人。
それを孫娘の目線から見るので、単純に批判的にというよりは、そういう人間に対する諦念や悲しみが感じられました。
こうやって何十年も生きてきた人にいまさら何を言っても無駄だ、という絶望と、だからといって完全に切り離せない“この人も家族なんだ”という絶望も。

出番は少ないけど、このおばあさんの娘というのが、全ての判断を放棄しておばあさん(彼女にとっては母親)に依存している人で、めっちゃリアルです。
おばあさんよりむしろこの娘が怖かった。