人間の祖先であるホモ・サピエンスは、5~10万年前にアフリカを出て、4~5万年前に東アジアに進出したと言われている。原日本人である縄文人は、約2万年前から約3千年前まで、現在の北海道から沖縄本島にかけて住み、”縄文文化“と呼ばれる文化形態を保持していた。そして、渡来系弥生人との混血を繰り返しながら“人間の遺伝子”が受け継がれ、今の私たちが存在するのである。
現代の日本列島3集団(アイヌ、琉球人、本土日本人)との関係を見ると、アイヌ、琉球人、本土日本の順で縄文人の遺伝子が強いことが、最近の学者によるゲノム解析で分かってきた。
篠田謙一著 “日本人になった祖先たち“などのアイヌ関係の本を多数読んできた。それで分かったのだが、縄文人(≒アイヌ)が日本人の始まりであるということである。日本人の祖先は縄文人で、朝鮮半島から来た渡来系弥生人との混血を繰り返しながら、その末裔に本土日本人がいる。
アイヌと呼ばれる前は“エミシ”と呼ばれていた。そして、私の母方の両親は北東北出身なので、当然、アイヌの血が流れていることになる。アイヌと言われ始めたのは18世紀前後で、古くは“エミシ”、その後にエビス、エゾ、アイノ、カイノ、エンチュウなどと呼ばれていた。
エミシとは荒ぶる人の意味で、大和朝廷から続く歴代の中央政権から見て、日本列島の東国(現在の関東地方と東北地方)や、現在の北海道や樺太などに住んでいた人々の呼称である。本州では、弥生文化が定着したあとも従来の縄文文化を守りつづけ、弥生文化に同化しなかった人々、それがエミシ(アイヌ)だったのである。大和政権の支配地域が広がるにつれて、エミシの人々が住む範囲は変化していった。
近代以降、アイヌは北海道・樺太・千島列島・カムチャツカ半島南部にまたがる地域の先住民族で、アイヌ語を母語とするアイヌを指している学者も多い。アイヌ民族がいつから北海道に住み始めたことについては諸説があり定かではないが、13~14世紀頃に、現在伝わっている「アイヌ文化」が生まれたといわれている。
明治時代になってからのアイヌ民族は、北海道に追いやられて、生活の糧である狩猟やサケ漁も制限された。加えて、日本語も強要され、やせた土地に強制移住させられるなど多くの抑圧、差別を受けた歴史があったことを忘れてはならない。持続可能な地球を作るために、「自然との共生」というエコロジカルな生活を営んでいたというアイヌ民族の精神文化を、今一度考えたいと思う。
さて、当然のことであるが遺伝子は遺伝する。例えば、子どもは両親の遺伝子を持って生まれるが、その遺伝子が顕在化する場合と顕在化しない場合がある。
ご本人のご了解を得て、次の写真を載せる。1枚目の写真は、あの有名な「晩成社」幹部の一人であった渡辺勝の奥さんであったカネさんの晩年の写真である。2枚目の写真は、最近に撮った知人の写真である。約100年前の写真の比較であるが、お二人が似ているのは、血縁関係があるらしい。
戦後、太平洋戦争が終わって中国残留孤児の捜索があった。まだ、DNA検査が行われておらず、叔父さんや叔母さんの顔と似ていることが決め手になったが、このお二人の写真も遺伝子のなせる技である。私は既述のようにアイヌの血を引いているが、多くの和人は縄文人が多いので、遺伝子によりエミシやアイヌの血が流れている祖先を持っていると思っている。
「十勝の活性化を考える会」会員