“個性”とは個人の特有の性質・特徴で、“プライド”とは誇りや自尊心のことである。知人に最高学府を出て官僚になった方がいる。彼は50歳の時に脳出血を患いタダの人になったが、それからがすごい。
彼は誇りと尊厳をもって、自分らしく生きられる社会を創り出したいと考え講演活動などをしている。すなわち、身障者の立場からの気づきにより自分の役割を認識し、新しい人生を歩みはじめたのである。
彼のほかにも、私の知人に同じ町内会の人と中学校のクラスメイトがいる。町内会の人は、地元の私立高校を出て大手建設会社や寿司屋に勤めていて博学であり、豊富な人脈で多くの人が駆け込み寺として利用している。クラスメイトの人は道展の会友で、水彩画では有名な人である。
この三人に言えることは、個性を充分に活かしていることでないだろうか。人間はそれぞれに違っているので、その個性を伸ばすことでが大切である。そして、自分の役割を充分に果たすことである。
私は11年前に脳出血で倒れた後遺症で、脳出血性認知症である。認知症といっても百人百様で、脳の細胞が死んでしまって働きが悪くなるために、記憶したり判断したりすることが障害を受けて社会生活に支障をきたす「症状」や「状態」のことである。
一方、年寄りの「物忘れ」は、物覚えが悪くなったり人の名前が思い出せなくなったりする脳の老化によるものである。この二つの原因は違うが症状が同じなので、同じように考えられている場合が多いと思う。
認知症の約50%がアルツハイマー型認知症、約20%がレビー小体型認知症、約15%が脳血管性認知症、その他15%は脳腫瘍・交通事故・アルコール中毒・栄養障害などである。なお、アルツハイマー型認知症は“海馬”が壊れることで、若年性と老人性がある。
認知症は誰にでも起こりうる病気で、厚生労働省によれば、2025年には約700万人に達して、65歳以上の約5人に1人が認知症になると予想され、今後ますます増える見込みである。
ところで人間は、挫折して初めて生きる意味が分かってくると思う。既述した知人もキャリアになったにもかかわらず、倒れたことをきっかけに自分らしく謙虚に生きる大切さを知ったらしい。
肩書などを失いタダの人になってしまうプライドとは、本当のプライドとは言えない。すなわち、肩書だけで生きてはいけないということである。
プライドが高い人には、誰もが憧れるような素敵な人もいれば、そうでない人もいる。プライドとは、自分を強くしてくれる大切なものであるが、プライドが高いばっかりに信頼を失う人も少なくない。
プライドばかりが高くなると自分自身を過大評価したり、まわりが見えなくなったりする人も多い。プライドが高くなるのは、性格だけでなく生まれ育った環境や体験にも関係していると思うが、プライドが高かったばかりに寂しい人生を過ごす人もたくさん見てきた。
自分の考え方を少し変えることにより生きる意味が分かれば、身近にいる人も大切にでき、彩りのある人生を送れるはずである。自分よりも優れた人がたくさんいることにも気づき、自分が持っているプライドが、取るに足らないものだと分かってくる。
それでは、私のプライドとは何であろうか。私はアイヌに関する本をたくさん読み、十勝アイヌに関する講演も5回行なっているので、“十勝アイヌ”に関する知識は持っているつもりでいる。これをプライドといえるかどうかは分からないが、他人よりも十勝アイヌに関する知識はあると思っている。
「十勝の活性化を考える会」会員