我々は“ちょっと”いう言葉をよく使うが、人によって幅がある。1分であったり、1時間であったり様々である。この言葉に苦い経験があるので、自分は使わないようにしている。
苦い経験とは、以前、脳出血で入院していた時、担当の看護師さんが、「ちょっと待っていてください」と言ったままで、忘れてしまって遂に来なかったからである。
このように、“ちょっと”という言葉は使いやすいが、1分待ってとか3分待ってなど、具体的に言った方が良いと思っている。だから、介護施設の職員には、この言葉を使わないようにアドバイスしている。
この幅のある言葉のあいまいさは、日本人の悪いところだと思っている。ノーと言えない日本人だから、日本人の特徴でもある。自分は、どちらかといえば白黒をつけたがる性格だから、外国人的だと思っている。
話は変わるが、日本の文化のひとつである俳句をやり始めて2年になる。俳句は、松尾芭蕉の“古池や 蛙飛び込む 水の音”でも分かるとおり自然の風景を17文字で詠むものである。
この俳句は、春の季語である躍動する蛙が、まさに「生きる」ことを詠んでいるのである。 静かな古池は、前と何ら変わらずにあるようで、実は違っている。飛びこんだ蛙が今は見えないが、水中で確かに生きているからである。そこには、静まりかえった古池が変わらずにあるばかりで、「わび」「さび」の世界である。
わび・さびは、慎ましく質素なものの中に奥深さや豊かさなどの「趣」を感じる心、日本人の美意識である。この俳句がいま、外国人にも流行っているらしい。日本人は繊細な心を持っているから、日本人を理解するためでもあろう。
「十勝の活性化を考える会」会員