十勝の活性化を考える会

     
 勉強会や講演会を開催し十勝の歴史及び現状などを学ぶことを通じて十勝の課題とその解決策を議論しましょう

認知症の集い

2022-08-02 05:00:00 | 投稿

 

先日、月1回開催される「認知症の集い」に、自分も認知症なので行ってきた。そこには、いつも来るネームプレートを付けている介護施設の人たちを含めて、認知症関係者などが来ていた。苗字というものは、一部の公家や武士を除いて大多数の人は、明治時代になってからつけられている。

だから、当時の国民は苗字を使わない者が多かったため、1875年(明治8年)に初めて、苗字の使用を義務づける「平民苗字必称義務令」が出されている。江戸時代の人々をテレビで見ると、“姓”を呼ばずに“名”だけで呼んでいるのはそのためである。

明治5年の「壬申戸籍」では、全国の人口が現在の1/4の約3,300万人、北海道の人口は1/100の約11万人である。これが明治15年では24万人、明治25年51万人、明治35年105万人、大正元年には174万人と増えていく。これは明治2年の版籍奉還により、特権階級を失った武士が屯田兵として北海道へ入植したからである。

北海道には、その武士たちが住んでいた地名や藩の名前をつける場合が多く、札幌市の白石区や伊達市、日本ハムの新球場ができる北広島市、奈良県の十津川の人々が入植した新十津川町なども、その地名にちなんでいる。

ただ、池田ワイン城がある十勝の池田町は、将軍 徳川慶喜の五男にあたる池田仲博伯爵による「池田農場」が由来である。北海道には「屯田」 という地名が多いが、屯田兵が入植したからである。屯田兵とは、明治時代に外国の侵入を防ぐ警備開拓にあたった兵士のことである。

私は、機能回復型デイサービスを利用しているが、利用者の方で“黄海さん”という人がいる。前九年の役に「黄海の戦い」というものがあり、岩手県一関市にも黄海町という地名があるので、ご先祖はその辺のご出身であるかも知れないない。前九年の役とは、平安時代後期の東北地方起こった和人とエミシ(アイヌ)との戦いで、このように苗字は、出身地の地名が使われている場合が多いようだ。

   「十勝の活性化を考える会」会員


文は人なり

2022-08-02 05:00:00 | 投稿

 

北海道の開拓民として農業に従事しながら絵を描き続け、享年33歳で逝った天才画家“神田日勝”は、「結局、どういう作品が生まれるかは、どういう生き方をするかにかかっている」と、生前に述べていたそうである。これは、“文は人なりということ諺に通ずると思う。

文は人なり”とは、文章は筆者の思想や人柄が現われるので、文章を見れば書き手の人となりが判断できるということである。最近、言ってはいけない言葉を口に出したために辞職した政治家などがいたが、心に思っているから口に出たのであり身から出た錆だと思っている。

多くの政治家は不祥事などで離党したが、離党ではなく辞職すべきだと思う。“武士に二言はない”といわれるので、自分も嘘をつかないようにしているがときどきウソをつく。

武士は食わねど高楊枝”で見栄を張ることも大切であるが、私は見栄を張らないようにしている。なぜなら、見栄を張ってもお里が知れてしまうからである。見栄を張る人の心理には、周囲の目を気にした自信のなさが見え隠れしている場合がある。

「見栄」は張りすぎると、本来の自分とかけ離れてしまうため、心身への負担が大きく疲れてしまうこともある。見栄っ張り”の人が多いのが気になっているが、最近の子供を見ていると嘘をつく子供が多いが、これは親や大人が嘘を付くからで、国会議員が嘘をつく時代だから仕方ないが、子供は親の背中を見て育つのである。

国会中継でたびたび聞く言葉で、記憶にございませんという言葉がある。嘘をつくよりはまだましであるが、嘘も方便という諺があるように、嘘が一概に悪いわけではなく時と場合によると思っている。

農民画家 神田日勝の絵は、飯場の風景などウソがなく分かりやすいので、本州から来た友人を「神田日勝記念美術館」に必ず案内する。絵は人なりで、彼の絵には何か訴えるものがあり、是非、足をはこんでほしい。

「十勝の活性化を考える会」会員