先日、月1回開催される「認知症の集い」に、自分も認知症なので行ってきた。そこには、いつも来るネームプレートを付けている介護施設の人たちを含めて、認知症関係者などが来ていた。苗字というものは、一部の公家や武士を除いて大多数の人は、明治時代になってからつけられている。
だから、当時の国民は苗字を使わない者が多かったため、1875年(明治8年)に初めて、苗字の使用を義務づける「平民苗字必称義務令」が出されている。江戸時代の人々をテレビで見ると、“姓”を呼ばずに“名”だけで呼んでいるのはそのためである。
明治5年の「壬申戸籍」では、全国の人口が現在の1/4の約3,300万人、北海道の人口は1/100の約11万人である。これが明治15年では24万人、明治25年51万人、明治35年105万人、大正元年には174万人と増えていく。これは明治2年の版籍奉還により、特権階級を失った武士が屯田兵として北海道へ入植したからである。
北海道には、その武士たちが住んでいた地名や藩の名前をつける場合が多く、札幌市の白石区や伊達市、日本ハムの新球場ができる北広島市、奈良県の十津川の人々が入植した新十津川町なども、その地名にちなんでいる。
ただ、池田ワイン城がある十勝の池田町は、将軍 徳川慶喜の五男にあたる池田仲博伯爵による「池田農場」が由来である。北海道には「屯田」 という地名が多いが、屯田兵が入植したからである。屯田兵とは、明治時代に外国の侵入を防ぐ警備と開拓にあたった兵士のことである。
私は、機能回復型デイサービスを利用しているが、利用者の方で“黄海さん”という人がいる。前九年の役に「黄海の戦い」というものがあり、岩手県一関市にも黄海町という地名があるので、ご先祖はその辺のご出身であるかも知れないない。前九年の役とは、平安時代後期の東北地方で起こった和人とエミシ(アイヌ)との戦いで、このように苗字は、出身地の地名が使われている場合が多いようだ。
「十勝の活性化を考える会」会員
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