三無主義とは、辞書を引くと「無気力、無関心、無責任」と書かれていた。巨人軍の長嶋選手は三無主義の正反対のような人で、O型人間の特徴を兼ね備えているように思える。この三無主義であるが、最近の日本人を見ていると全てとは言わないが、その傾向が強くなっているように感じるのは自分だけであろうか。
これは、国政選挙の低い投票率にも表れている。選挙に対して無関心なのかどうかは分からないが、選挙権を勝ち取るために大変な苦労した人のことを思うと、是非、投票所に足を運んでもらいたい。なお、三無主義に無感動を加えて四無主義ともいうことがある。
ところで、令和元年7月に開催された日本プロゴルフ選手権で、「石川遼」選手が久々に優勝した瞬間のアクションは、とても感動的であった。
「十勝の活性化を考える会」会員
注) しらけ世代
しらけ世代は、日本の学生運動が下火になった時期に成人を迎えた、政治的無関心が広まった世代を指す語。1980年代には、世相などに関心が薄く、何においても熱くなりきれずに興が冷めた傍観者のように振る舞う世代を指した。
また、真面目な行いをすることが格好悪いと反発する思春期の若者にも適用された。
この世代を指す範囲の定義は3つある。
- 1950年代に生まれた世代: この範囲では、学生運動が下火になる時期に大学生だった世代から、共通一次試験制度が開始される前までに大学に入った世代までという範囲である。この場合、「新人類」は共通一次試験を経験した1960年代に生まれた世代を指している。
- 1950年代の“後半に”生まれた世代:最も狭い定義で、「無共闘世代」と呼ばれることもある。この範囲では、ベビーブームが過ぎた後の出生数が最も少なくなった時期に生まれ、高度経済成長と学生運動時代が終わった直後に高校を出て、共通一次試験制度が始まる前に大学に入った世代、という範囲に基づいている。
- 1950年代から1960年代前半に生まれた世代:最も広い定義で、この範囲では、大学在学中に学生運動が終わった世代から、バブル景気が起こる前に成人した世代までを一括している。
その中でも高度経済成長と学生運動時代が終わった後から冷戦が終結したころに成人した1955年から1964年までに生まれた世代は、「新人類」と呼ばれることがある。なお、以下は3の定義で書かれている。
[成長過程]
1950年代前半に生まれた世代は第一次ベビーブームに続く世代(ポスト団塊の世代)に当たり、高度経済成長時代初期に小学校に入り、1970年の大阪万博の頃に高校を出た世代である。この世代の大学進学率は20%ないし30%であり、「金の卵」として中卒や高卒で集団就職した者が多かった。
その一方で、進学志向の強い高校、あるいは予備校に在学していた時期に70年安保などの学生運動を経験した者も存在した。そして、成人する時期にあさま山荘事件(1972年2月)や沖縄返還(1972年5月)や第一次オイルショックを経験した。
1950年代後半に生まれた世代は、出生数が前後の世代に比べて少なくなった時期に生まれた世代に当たる。高度経済成長時代中期に小学校に入り、小学校時代から高校時代の時期にあさま山荘事件や沖縄返還やオイルショック(石油危機)を経験した。
また、彼らが就職した時期はオイルショック後の低成長期で、後の就職氷河期ほど酷くはないものの、オイルショック前に就職した上の世代に比べると就職環境は厳しかった。 1960年代前半に生まれた世代は、出生数が再び上がり始めた世代に当たる。高度経済成長時代後期に小学校に入り、小学校時代から中学校時代の時期にあさま山荘事件や沖縄返還やオイルショック(石油危機)を経験した。また、この世代が就職するころ、今までとは違う価値観を持っているといわれ、新人類と呼ばれるようになった。
なお、しらけ世代(1950年代から1960年代前半生まれ)の新世代は、1920年代から1930年代前半生まれ(大正末期から昭和一桁)、子ども世代は、1980年代から1990年代前半生まれ(氷河期世代の後期からゆとり世代)である。
オイルショックが起きて高度経済成長が終わり、あさま山荘事件が起きて学生運動が急速に衰えると、一つの時代の終わった無力感と学生運動への失望を背景に、「シラケ」という言葉が若者の間で流行し、「無気力・無関心・無責任」の三無主義(後に「無感動・無作法」を加えて五無主義ともいわれた)を中心とする風潮が見られた。何をしても言っても「しらけ(当て字で「白け」)る」「しらけた」を連発し、冷めており、政治的な議論には無関心になり、一種の個人主義に徹する傾向が強くなった。
若者の間において安保闘争・全共闘が代表するような過激な政治志向が消えた後、四畳半フォーク(代表例:かぐや姫の「神田川」)、井上陽水の「傘がない」、ドラマ『俺たちの旅』に見られるようなノンポリ・個人生活優先・心理社会的モラトリアムの傾向が残り、若者の「シラケ」を強く印象づけた。一方でこうした世相を自虐的な笑いに結びつけることもあった。1976年から放送された『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』では「しらけ鳥」というキャラクターを登場させシュールな笑いを誘った。
1970年代末期に差し掛かると、個人的な消費による自己実現を目指す風潮が生まれ、拝金主義やブランド指向の風潮が芽生え始める。この時期を象徴する文化が松任谷由実(荒井由実として1972年デビュー)のニューミュージックや、「ブランド小説」とも呼ばれた田中康夫の『なんとなく、クリスタル』(1980年)である。こうした風潮は、1980年代末期から1990年代初期のバブル景気によって絶頂期を迎える。
[文化]
彼らが成人する1970年代後半以降、アニメやコンピュータゲームといったおたく系業界が急速に発展した。
1950年(昭和25年)生まれから1964年(昭和39年)生まれからは、押井守・板野一郎・原恵一・河森正治・庵野秀明・今川泰宏・宮本茂・堀井雄二・深谷正一・黒須一雄・岩谷徹・遠藤雅伸・坂口博信などが、アニメ、コンピュータゲームのクリエーターとして活躍した。
また、この世代の田中芳樹・栗本薫・安田均・夢枕獏・氷室冴子・花井愛子・水野良・神坂一などが、SF・ファンタジー・ライトノベル作家として活躍した。作家・評論家としてなどオタク業界で広範囲に活躍した大塚英志や岡田斗司夫もこの世代である。この世代の中でも1955年(昭和30年)生まれから1964年(昭和39年)生まれは、「おたく第一世代」と呼ばれている。
文学では、川上弘美・村上龍などの純文学の担い手を生み、浅田次郎・あさのあつこ・石田衣良・大沢在昌・高村薫・東野圭吾・宮部みゆき・京極夏彦ら娯楽的な小説の大家を輩出した。
なお、1950年生まれから1964年生まれの女性は、成人する1970年代から1980年代前半にかけて「アンノン族」と呼ばれる新しい国内旅行のスタイルを生み出した。アンノン族によって生み出された個人旅行のスタイルは、1980年代以降、団塊の世代以降の男性も含めた日本人に広く定着した。
1980年代半ばには、1983年(昭和58年)にデビューした尾崎豊(1965年生まれ)を「しらけ世代」の最たる者として記事に採り上げたりキャプションをつけることが度々あった。
[各国の類似の世代]
米国では、ジェネレーションX(1960年代初頭または半ばから1970年代に生まれた世代)が該当する。ベトナム戦争の終結による「しらけムード」の中で10代を過ごし、個人主義と内向性を特徴としており、政治や社会に対して冷めている傾向が強い。
(出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』)