平成30年12月25日付け北海道新聞の『論壇』欄に、東京工業大学の中島岳志教授が、以下の記事を投稿していた。
『そもそも保守は、議論を軽視した強行採決を是としない。保守思想は、人間を不完全な存在と認識し理性の限界を直視する。一人一人の人間は、間違いやすく愚かな存在である。そのためエリートの理性に基づく革命よりも、無名の死者たちが積み重ねてきた集合的経験知や良識を大切にする。
このような懐疑主義的人間観は、自己にも向けられる。自らの主張は間違えているかもしれず、無びょうの存在ではありえない。だとすると、異なる他者の見解に耳を傾ける必要がある。他者の主張に理があれば、合意形成を行い着地点を模索する。だから、保守派リベラルな精神を重視する。他者を尊重し、意見交換する漸進的改革を大切にする。
安倍政権は、議論を極度に軽視する。その態度には、自分たちこそ正解を所有しているという過信が反映されている。そのような姿が保守であるはずがない。
保守思想を大切にしてきた人たちが、安倍政権に反対する現象は、当然の帰結である。野党共闘は、このような本来の保守派と連動する形で展開されるべきであろう。』
「十勝の活性化を考える会」会員
注)中島岳志
中島 岳志は、日本の学者、博士 (地域研究)。専門は南アジア地域研究、日本思想史、及び政治学、歴史学。
[思想・主張]
- 自身の信仰について、「私は特定の教団に属してはいないが、仏教徒を自認している」と述べている。
[凡庸な悪について]
中島は、ハンナ・アーレントの「凡庸な悪」が日本に蔓延していると主張している。その根拠は、従軍慰安婦問題に対して疑念を持つことや植村隆による従軍慰安婦問題の誤報に対する不寛容さを示すことであり、日本人は正義と良心によって自己を問い直すべきであると主張している。
(出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』)