小樽港の風景
【撮影緒元】 NIKON 1 J5 f/4.8 1/250秒 ISO-160
【撮影緒元】 NIKON 1 J5 f/6.3 1/640 秒 ISO-160
[沿革]
1869年(明治2年)に明治政府が開拓使を設置し、蝦夷地を北海道と改称して本府建設を札幌に定めると、小樽の港は北海道開拓のための海陸連絡地となった。石狩炭田の開発に合わせて小樽(手宮)から札幌まで北海道内初となる鉄道が開設されると、石炭の積み出しや内陸部への物資供給の中継港として発展した。その後、エネルギー革命により主なエネルギー資源が石油に転換したことや太平洋側の経済発展などの影響を受けて、小樽港の役割も時代とともに変化してきた。そこで、小樽運河の一部を散策路を有した道路、若竹貯木場の一部は小樽港マリーナ、石炭ヤードを始めとした小樽築港駅周辺地区はウォーターフロント開発により公園や商業施設(ウィングベイ小樽)などに変わった。
(出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』)
「十勝の活性化を考える会」会員S