「最近、スピリチュアル関係のお話が無いですね~」
というリクエストにお応えして・・・ホントか?
今日は、まぁ、そちら系のお話を・・・。
最近、私の後ろの人が・・・。
「許すんですよ・・・」
と、やたらと私を諭します。
別に、誰かを怒ってるとか、恨んでる事はないのですし、神の啓示でも無いと思うんですけどね・・・。
「ひょっとして、私の今回の人生のテーマは許すか?」と思う位・・・。
正直・・・しつこい・・・。
そうですね。
許す事は大事。認める事。許す事。何となく同じ意味のような気がするんですよね。
恐らく、目にしたかたも多いと思いますが、先日、松本サリン事件で、一時、時の人になった河野さんのお話が出てましたね。
事件の後遺症で寝たきりだった奥様もお亡くなりになり、現在は、講演をしたりしてるそうですが、驚いたのは、オウムの元幹部で、出所してきた方を
「友達みたいなものかな?」と言ってた事。
「人は間違いを犯してしまう、反省してるかどうかは、個人の思いであって、他人が計り知る事はできない、ならば、きちんと法で裁かれて、罪を償ったのであれば、普通の人として接するのは当たり前の事」
「人は、いつ死ぬか解らない、数年後、あるいは明日・・・。ならば、恨んだり、憎んだりして日々を過ごすより、過ちを許して、明るく生きたほうが良い」
全くその通りなんですよね・・・。
それが、洗脳されてたとか、精神状態が正常ではなかったとか、それは、自分だってありえる事。
誰かが過ちを犯せば、やいのやいのと責め立てるけれど、自分だって、ひょんな事で過ちを犯すかもしれない・・・。
絶対は無い。
罪を犯さないつもりではいるけれど、それは今の生活状況からそう思うのであって、自分を取り巻く条件が変われば、自分がどうなるかは解らないだろう・・・。
思うほど、人は強くない。
思うほど、人は弱くない。
落ちても、這い上がる力は持っている。
そして、その手を引っ張りあげてくれる手があるのだ。
河野さんって、お釈迦様みたいな人だわぁ・・・と思ってしまいました。
果たして自分が同じ立場だったら・・・。
そういえば、子供のころ・・・。
何か悪さをした時、叱られて・・・。
「反省の色が見えない」って言われる事に疑問を感じた事があった・・・。
「反省の色が見えないって、私の事が嫌いなら、どんなに反省しても反省してるなんて思ってくれないんじゃない?」
嫌いな人間が犯した過ちなら、土下座しようと、うつむいていようと、それこそ死んでしまっても反省してるなんて思わないんじゃないか。
だから、よく・・・。
「どんなに反省したって、反省したなんて思ってくれないんでしょ!」
と、言い放ち、ますます怒られた(笑)。
でも・・・図星だよね?
だから、あまり「反省しろ」と強要するのは好きじゃない。
自己反省はともかく、他人に反省を強要するのは、その人が許さない限り反省してなくてはいけないんでしょ?
下手したら一生かい?
ず~っと後ろめたい思いをしながら生きなくてはいけないって事にもなるよね?
勿論、その罪によってはその「後ろめたい」気持ちも大事。
でも、罪を償ったり、罰を受けたり、社会的制裁を受けたりしたのなら、「許す」という区切りも大事。
このブログの中で、「仏教」のカテゴリーの中に「99人切りのアングリマーラ」というお話があります。
私の教訓にしているお話でもあるんですけどね・・・。
誰かが許せば、その人の未来も変わってくる・・・。
でも、なかなかそこまでできた人間になんてなれませんよね。
じゃぁ、まず、入り口として、簡単な所から・・・。
誰だって嫌いな人、一人や二人は居ますよね。
「絶対許さない!」なんて思ってる人も居ると思います。
生きてるんだから仕方ない、色々あります。
でもね。
「大嫌い!」って言いながらその人を思ってるんですよね。
「絶対許さない!」ってその人を思ってる・・・。
そんな嫌いな人、思ってるなんて勿体無くないですか?
とりあえず、一旦嫌いな人は外に出しましょう。
もう、嫌いなんだから、思い出さなくていいの。
まずは、ここからですよ。
所で・・・。
「な~んだ、全然スピリチュアルじゃないじゃない」と思ったあなた。
心霊現象だけがスピリチュアルじゃないんですよ。
全ての生物・物・場所・時間・自然・・・。
私達を取り巻く、ありとあらゆる全てのもの目に見えるモノ・見えないモノ全て。
それらを意識して生活する事がスピリチュアル。
生きていく事、そのものがスピリチュアルでもあるんですよ。
というリクエストにお応えして・・・ホントか?
今日は、まぁ、そちら系のお話を・・・。
最近、私の後ろの人が・・・。
「許すんですよ・・・」
と、やたらと私を諭します。
別に、誰かを怒ってるとか、恨んでる事はないのですし、神の啓示でも無いと思うんですけどね・・・。
「ひょっとして、私の今回の人生のテーマは許すか?」と思う位・・・。
正直・・・しつこい・・・。
そうですね。
許す事は大事。認める事。許す事。何となく同じ意味のような気がするんですよね。
恐らく、目にしたかたも多いと思いますが、先日、松本サリン事件で、一時、時の人になった河野さんのお話が出てましたね。
事件の後遺症で寝たきりだった奥様もお亡くなりになり、現在は、講演をしたりしてるそうですが、驚いたのは、オウムの元幹部で、出所してきた方を
「友達みたいなものかな?」と言ってた事。
「人は間違いを犯してしまう、反省してるかどうかは、個人の思いであって、他人が計り知る事はできない、ならば、きちんと法で裁かれて、罪を償ったのであれば、普通の人として接するのは当たり前の事」
「人は、いつ死ぬか解らない、数年後、あるいは明日・・・。ならば、恨んだり、憎んだりして日々を過ごすより、過ちを許して、明るく生きたほうが良い」
全くその通りなんですよね・・・。
それが、洗脳されてたとか、精神状態が正常ではなかったとか、それは、自分だってありえる事。
誰かが過ちを犯せば、やいのやいのと責め立てるけれど、自分だって、ひょんな事で過ちを犯すかもしれない・・・。
絶対は無い。
罪を犯さないつもりではいるけれど、それは今の生活状況からそう思うのであって、自分を取り巻く条件が変われば、自分がどうなるかは解らないだろう・・・。
思うほど、人は強くない。
思うほど、人は弱くない。
落ちても、這い上がる力は持っている。
そして、その手を引っ張りあげてくれる手があるのだ。
河野さんって、お釈迦様みたいな人だわぁ・・・と思ってしまいました。
果たして自分が同じ立場だったら・・・。
そういえば、子供のころ・・・。
何か悪さをした時、叱られて・・・。
「反省の色が見えない」って言われる事に疑問を感じた事があった・・・。
「反省の色が見えないって、私の事が嫌いなら、どんなに反省しても反省してるなんて思ってくれないんじゃない?」
嫌いな人間が犯した過ちなら、土下座しようと、うつむいていようと、それこそ死んでしまっても反省してるなんて思わないんじゃないか。
だから、よく・・・。
「どんなに反省したって、反省したなんて思ってくれないんでしょ!」
と、言い放ち、ますます怒られた(笑)。
でも・・・図星だよね?
だから、あまり「反省しろ」と強要するのは好きじゃない。
自己反省はともかく、他人に反省を強要するのは、その人が許さない限り反省してなくてはいけないんでしょ?
下手したら一生かい?
ず~っと後ろめたい思いをしながら生きなくてはいけないって事にもなるよね?
勿論、その罪によってはその「後ろめたい」気持ちも大事。
でも、罪を償ったり、罰を受けたり、社会的制裁を受けたりしたのなら、「許す」という区切りも大事。
このブログの中で、「仏教」のカテゴリーの中に「99人切りのアングリマーラ」というお話があります。
私の教訓にしているお話でもあるんですけどね・・・。
誰かが許せば、その人の未来も変わってくる・・・。
でも、なかなかそこまでできた人間になんてなれませんよね。
じゃぁ、まず、入り口として、簡単な所から・・・。
誰だって嫌いな人、一人や二人は居ますよね。
「絶対許さない!」なんて思ってる人も居ると思います。
生きてるんだから仕方ない、色々あります。
でもね。
「大嫌い!」って言いながらその人を思ってるんですよね。
「絶対許さない!」ってその人を思ってる・・・。
そんな嫌いな人、思ってるなんて勿体無くないですか?
とりあえず、一旦嫌いな人は外に出しましょう。
もう、嫌いなんだから、思い出さなくていいの。
まずは、ここからですよ。
所で・・・。
「な~んだ、全然スピリチュアルじゃないじゃない」と思ったあなた。
心霊現象だけがスピリチュアルじゃないんですよ。
全ての生物・物・場所・時間・自然・・・。
私達を取り巻く、ありとあらゆる全てのもの目に見えるモノ・見えないモノ全て。
それらを意識して生活する事がスピリチュアル。
生きていく事、そのものがスピリチュアルでもあるんですよ。