とどちゃんの縁側でひとり言・・・。

日々の生活の中で見たこと感じたことを記録していきます。

臨済宗について・・・7

2006-09-30 21:50:29 | 宗教
・・・達磨の四聖句・・・

お釈迦さまから二十八代目の菩提達磨は中国禅の始祖といわれている。その教えは、六祖慧能によって「達磨の四聖句」としてまとめられ、現在にいたるまで脈々と師資相承されてきた。禅の教化伝法にとって四聖句は基本スローガンである。

・・・教化別伝・・・

お釈迦さまが教えを説いた2500年前、インドにすでに文字はあったが、宗教的教えを文字にすることは冒涜だと考えられていた。お釈迦さまの入滅後、摩訶迦葉ら弟子たちは、師から聞いたとおりを復唱しあって、教えを整理した。これらがのちに、サンスクリット語やパーリー語の経典となった。
「教化別伝」とは、お釈迦さまの教えを集大成したこうした経典のほかに別の教えがあるのではない。
経典の心、すなわちお釈迦さまの悟りの境地を坐禅や日常の修行のなかから直につかんで、それをまた、悟りの境地を求める弟子に、同一レベルで直接伝えていくことをいう。
悟りとは何ものにもこだわらず、何ものにも影響されない絶対的な自己を自覚することだから、その自覚の境地は、文字や言葉では表現しづらいのである。
つまり、お釈迦さまの教えが経典や戒律としてまとめられる以前の、深い禅定によって得られたお釈迦さまの悟りの体験を尊び、言葉や文字では伝えにくいこの教えの真髄を、師から弟子へ、心から心へ直接の体験として伝えることを「教化別伝」というのである。

・・・不立文字・・・

禅ではお釈迦様の悟りの体験そのものを尊ぶ。その悟りとは、坐禅や日常の修行を重ねるなかから直観的に到達するものである。
お釈迦さまは菩提樹の下で深い禅定に入り、暁の明星を見てハッと悟りを得た。
「心性本清浄」
迷いや欲望や知識を捨てたとき、人間は広大無辺な宇宙と一体化し、こだわりのない清浄な自己に到達する。それは周囲の何ものからも影響されない絶対的自己で、生も死も超越した「空」の世界である。
この境地は、やはり修行の体験をとおして、修行僧が自覚するしかないものだろう。
「拈華微笑」の教えで示されたように、お釈迦さまの悟りの境地は言葉や文字では伝えることはできない。
また、その境地を師から弟子へ伝えていくとき、文字は不十分な効果しかもっていない。だから臨済宗であ、特定の経典を読まなくてはならないという制約はない。
「不立文字」とは言葉や文字を否定するのではなく、その限界を知り、まず自ら体験したあと、経典・語録の言葉や文字を味わうことをさしている。

・・・直指人心・・・

そのまま読めば「人の心を直にさすと」となる。つまり、人心とはすなわち仏心。人の心は本来仏様の心と同じものだというのである。
「心性清浄(人間の心は本来清浄なもの)」というお釈迦さまの悟りを自分のものとし、こだわりのない広大無辺な無我の境地「空」何ものにも動かされない本来の自己の発見。これが「仏心」である。
しかし仏心は、いかに経典を読み、書物を読んでも発見できるものではない。禅の修業とは、自分を見つめなおすことであり、書物を読んで思考をめぐらせたり分析したりすることではない。眼を外部に向けず・徹底して自己の内奥を見つめつくす体験にある。そして、その方法が坐禅であり、日常の修行なのだ。

・・・見性成仏・・・

達磨の四聖句の最後、最も重要なのがこの「見性成仏」だ。
結論からいえば、本来そなえている仏性(仏さまになれる本性)を自覚すれば自ずと仏になれるということである。
お釈迦さまが菩提樹の下で坐禅を組み、多くの煩悩と闘いながら開いた悟りそのものなのである。
人はみな本来、仏心「仏の慈悲心」をそなえているのに、それに気付かず迷ったり、煩悩に悩んだりしている。まさに人間は「未完成の仏」だ。
中国の臨済義玄は「自分のなかの一無位の真人(あらゆる束縛から解き放たれた絶対的解脱者)が五官を出たり入ったりしている。早くそれに気づけ」といった。
「見性成仏」とは、坐禅や日常の修行に徹して自己の仏性を見つめつくし、悟りを開いて仏陀となることを修行者に要求した言葉なのである。
自己の仏心に到達することができれば、人間として完成されたと見ていいだろう。


・・・啐啄同時・・・

「啐」とは、雛がかえるとき、内側から卵の殻を吸ったりつついたりすることで、「啄」とは親鳥が外側から卵の殻をつつくこと。修行僧が雛で、師家が親鳥である。まさに悟りに達しようとする機微をさす禅語だ。


・・・以心伝心・・・

師資相承される禅の伝法の方法は、特別な言葉によるものではない。師弟が無心のまま問答し、両者の心がひとつになったとき、印可となる。それはまさに「以心伝心」心から心へ、宗教的体験の共有である。

・・・殺仏殺祖・・・

「仏に逢っては仏を殺し、祖師に逢っては祖師を殺す」この臨済義玄の言葉は、既成概念を捨て、徹底して自己を見つめよという意味。そして、殺すに殺せない絶対的自己を根底に置いて、「随処に主となれ」と教える。

・・・悉有仏性・・・

「涅槃経」に「一切衆生悉有仏性」という言葉がある。すべての生きとし生けるものには、ことごとく仏性がそなわっているという意味。それを確信して修行に励むことを臨済宗中興の祖白隠慧鶴は教えた。



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大変よく混みました。

2006-09-30 14:56:53 | 職場
本日、院長はお出かけの為に、早めに仕事を切り上げたかった・・・。
午前11時、手術前検査の人が来て、院長の検査は後でやるからまた近いうちに来てもらって・・・などと呑気な事を言ってるので・・・。
「2週間後の手術ですけど?いつきてもらいますか?
と返したら・・・。
「今、混んでる?」と院長。
「ん~・・・そんなでも・・・」と私。
「じゃあ、全部やって。」ということでしたので、検査を進めると・・・。
来るわ来るわ・・・
まさしく「ドット混む」です・・・。
結局、院長はお出かけを諦め、いつもどおり診察しました・・・。
それにしても・・・何でみんな早く来ないの?
早い方が空いてるのに・・・。
うちは、けっこう10時半くらいから「ドドッ」と混みますので、朝一とか空いててすぐ終るのにねえ・・・。
お陰で、きょうは家に帰ったきたのが2時近くになってしまいました・・・。
これから、ちょっとお昼ねします・・・。

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臨済宗について・・・6

2006-09-29 23:26:42 | 宗教
今日からは臨済宗の教えについて学習しようと思います。
まずは拈華微笑の教えから・・・。

禅とは、お釈迦様が深い瞑想のもとに悟った「無我の境地」を坐禅や作務をとおして体験し自覚すること。こだわらず、とらわれず、迷いも欲望も苦悩もない、天地と同化した絶対的境地。それは人間が本来もつ清浄な仏心そのものだ。禅の修業はそこをめざす。

・・・無我の境地を伝える・・・

「心性本清浄(人間の心は本来清浄なもの)」という、お釈迦様の深い悟りの体験が禅の教えの根本である。しかし、この無我の境地を言葉や文字で表現するのは、とてもむずかしい。
その境地を伝えようとしたお釈迦さまの物語が「大梵天王問仏決疑経」にあらわされている。のちに「無門関」という禅書にも引用された有名な「拈華微笑」の物語だ。

マガダ国の首都ラージャ・グリハの王舎城の東北に、禿鷲の飛びかう霊鷲山がそびえている。お釈迦さまがその地で説法されるというので、多くの弟子や信者が集まっていた。
聴衆は、どんな話をされるのか、ひと言も聞きもらすまいと期待してお釈迦さまを見つめていたが、お釈迦さまはいつまでたっても口を開こうとしない。
そのうち信者のひとりがきれいな蓮の華をお釈迦さまにささげた。
お釈迦さまはその蓮の華を持って集まった人々にサーッと示し見せた(拈華)が、やはり黙ったまま。
弟子も信者もなんのことやらわからず、呆然として不思議な思いにとらわれていた。そのとき、高弟のひとり摩訶迦葉だけがにっこりとほほえんだ(微笑)。お釈迦さまの伝えたい心、そして悟りの境地が心をとおして摩訶迦葉の心に伝わったのだ(以心伝心)。
お釈迦さまはこういった。
「私には、正しい仏法の教えの真髄である「涅槃妙心」(悟りの不思議な心)「実相無想」(現象に執着しない自己)という微妙な教えがある。いまそれを文字によらず、教えのほかに別伝として摩訶迦葉に渡した。迦葉よ、頼んだぞ」

・・・禅の独特の世界が展開・・・

この「大梵天王問仏決疑経」は現在の研究ではインドではなく、後世中国でつくられたものということらしい。
「拈華微笑」の物語も歴史的事実ではないであろうが、ここには師と弟子の心がひとつとなって正法を伝える、禅独特の世界がはっきりと示されている。
蓮の華をとりあげて、聴衆に示したお釈迦さまの心境と、その行為を見てほほえんだ迦葉の心境は同一で、二人の心が涅槃妙心、実相無想そのものとなっている。「拈華微笑」の教えは、生き生きとした宗教的生命の伝承の象徴なのだ。

・・・師資相承・・・

禅の悟りは言葉や文字であらわせない宗教的体験のため、弟子は師にそれを認められてはじめて悟りを得たといえる。そして、師弟が同一の境地に達したとき、師から資(弟子)へ法脈が受け継がれたことになる。




我に正法眼蔵、
涅槃妙心、
実相無想、
微妙の法門あり。
不立文字、
教外別伝にして、
摩訶迦葉に附属す。
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快楽の代償

2006-09-29 20:08:39 | 社会
18歳の女性が生後まもない自分の赤ちゃんを虐待していた。というニュースが流れていた。
この女性、この子の上に11ヶ月の子供がいるという。
夫は26歳。
何とも「やりたい放題」とはこのことだろう。
快楽に走って、「子供ができたら産めばいい」くらいの発想だったんだろうね。
そんな頭の人間が子供を育てられる訳が無い。
まったく、ホラホラ日本の大人たちが目をつぶってきてやり過ごしていた「性教育」のつけが廻ってきたよん。
子供ができると「堕胎は犯罪だ」「人殺しだ」とキレイ事を言う人もいますけどね。
産んでもこういう結果になるというのは、本人の性格を見れば周りの大人も判っただろうに・・・。
確かに、問題は「避妊するということ」だけど、妊娠してしまった場合は「堕胎する」という責任の取り方もあると思うんです。
「子供が好き」と「SEXが好き」は違いますからね。
それから・・・世のお母様方・・・。
何でも、子供を育てるのもストレスを感じるとか、夫が協力してくれないとか・・・。
昔は、お父さんなんて協力しませんし、それが普通です。
そんな中でも昔のお母さんはきちんと育ててきました。
子供を欲しくて作っといて、「ず~っと一緒にいると、こっちもいっぱいで・・・」って・・・。親になる資格なし。
それを承知で作ったのではないのですか?自分が子供じゃどうしようもないですね。
「昔と今は違う」と言うかもしれませんが、昔に比べて今は遥かに家事・炊事は楽ですよ。
「命を育む」ということにもっと責任をもって下さい。
いずれは一人で歩んでいく子供の事をもっと真剣に考えて下さい。
子供はあなた達の道具ではありません。おもちゃではありません。
あなたが、妻となり母となった事の重大さに気付いて下さい。
母親の賢さが子供にも影響します。事実、今現在、馬鹿な母親が多いために子供がどんどん馬鹿になっています。
女性は元々賢い生き物なのです。男尊女卑という世界で圧迫されていましたが、それでも当時の女性は生き生きしてましたし、きちんと責任ももっていました。
今のように、すぐに何でもカンでも頼ってダメになるような女性はいませんでした。
現代の女性の魅力は、正直「体」だけの様な気がします。
同じ女性から見ても色んな面で魅力のある女性はほとんどいないような気がします。
気は利かない、わがまま、何もできないじゃ、とりえはやっぱり「性生活」だけになってしまいます。
それはそれでいいのですが、それならきちんとすればいいのに、できない・・・。
誰がみたって「ちょっと足りないのか?」でしょう。
とにかく、全ての事に対して責任が取れない人が多すぎる。
大好きなHでさえも、その後のことを何も考えていない・・・。
日本の女性はこのまま堕ちる一方なのですか?
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臨済宗について・・・5

2006-09-28 17:20:50 | 宗教
うお~っ!!休んじゃってダメじゃんねえ?
さあ、今回は前回の続き、「日本の禅三宗」についてです。
 
・・・鎌倉幕府と臨済宗の関係・・・

天台宗の厳しい弾圧を受けた栄西は鎌倉に下る。戒律を重んじる栄西の教えは、京都の公家文化に対抗しようとする新興の武家政権に受け入れられやすかった。
源頼朝の妻政子や二代将軍頼家の援助で鎌倉に寿福寺を開創。三代将軍実朝に良薬として茶をすすめ、その効能を説いた「喫茶養生記」を献上する。その後、鎌倉幕府の庇護を受け京都に建仁寺を開創した。
なお、寿福寺や建仁寺を天台密教と禅の兼修道場としたのは比叡山への配慮からであった。

・・・臨済宗と曹洞宗の違い・・・

道元が興した曹洞宗も修行の方法は坐禅である。しかし、坐禅に対する心構えがまったく違う。
臨済宗は坐禅を悟りに達する手段と考え、その最中、公案を思索し工夫する「公案禅」だが、曹洞宗は坐禅に目的も意味も求めずただ黙々と壁に向かって坐禅をする「只管打坐」。臨済宗の「看話禅」に対して、曹洞宗は「黙照禅」という。
また、曹洞宗は一般民衆のあいだに、臨済宗は鎌倉幕府の庇護のもと上級武士層にひろまったため、「臨済将軍、曹洞士民」といわれた。

臨済宗=本来の自己(仏心)に目覚めることが悟り
曹洞宗=修行の結果、仏になるのではなく、修行することが仏の行

・・・公案とは・・・

師家が修行者に授けて工夫させ、その見解を点検する臨済宗独特の教育課題。もとの意味は役所(公府)が発する法令(案どく)のこと。法は絶対で私情を挟むことができない。それと同じく、大悟した中国の禅匠たちの言行は、後世の修行者が分別や知識で解釈しようとしても意味をなさない。ゆえに「公案」といわれる。

・・・黄檗宗とは・・・

黄檗宗は、1654年(承応3年)明僧隠元隆によって伝えられた。
隠元は中国臨済宗楊岐派を継承する臨済正伝の禅匠である。中国臨済宗の法灯と明代に制定された仏教儀礼を日本に伝え、停滞していた禅界に新風を吹きこんだ。また、「弘戒法儀」を著して、黄檗三壇戒会を開き、日本の禅界へ戒律思想と授戒法を伝え、「黄檗清規」の刊行により叢林の規制を一変させるなど、日本の禅宗中興の祖師である。
大本山は京都宇治の黄檗山萬福寺。建物や仏具・仏像・所作等が中国風で、お経も唐音による黄檗宗独特の節回しである。異国情緒豊かな中国寺院が出現した観があり、鎖国下で留学が果たせない具道心に燃える日本僧が参集。以来、衆生教化に努力し、道俗の尊嵩を受け、法灯連綿と受け継がれ、いよいよ栄えた。1876年(明治9年)以来、黄檗宗と称し、禅宗の教えを伝えている。

・・・隠元隆とは・・・

明代末、中国福建省の生まれ。46歳で中国の黄檗山萬福寺の住職となり、伽藍の復興に力を尽くし、弟子の教育に務めた中国仏教界の大物。先に来日し、興福寺(長崎)の住職となっていた逸然性融の再三の依頼で、63歳のときに弟子20余人と来日。崇福寺(博多)や普門寺(大阪)で教化に努める。3年で帰国する予定だったが、臨済宗妙心寺の龍渓宗潜らの奔走で日本にとどまる決意をし、四代将軍徳川家綱に謁見する。幕府の許可を得て京都宇治の地が下賜され、1661年(寛文元年)に隠元を開山とし、中国の黄檗山萬福寺の名をそのままつけて日本の黄檗山が開創された。伽藍がほぼ完成した住職3年目、隠元は木庵性瑫を二世として、松隠堂に隠棲する。後水尾天皇や将軍家、諸大名の帰依を受けて、最盛期には末寺3500を数えた。
1673年(同13年)に82歳で示寂。後水尾上皇より「大光普照国師」の号を特賜された。語録・説法・詩偈などを収録した「普照国師広録」30巻などがある。

・・・隠元の弟子・・・

隠元の弟子たちは、社会の文化と福祉に貢献した。版木6万枚にもなる一切経(黄檗版大蔵経)を彫った鉄眼、わが国ではじめて種痘を行い、また中国の工法により岩国(山口県)の錦帯橋の架橋を指導した独立、茶店を開き煎茶道をひろめた売茶翁=月海、下総(千葉県)で新田8万石を開拓した鉄牛などがいる。


・・・虚無僧も臨済の系統・・・

時代劇でおなじみの、深網笠をかぶり、尺八を吹いて全国を行脚する虚無僧は「普化宗」の僧。
もとは臨済宗の京都東福寺の心地覚心が1249年(建長元年)に入宋、中国唐代の尺八禅の普化を開祖とする普化宗を伝え、弟子の金先が下総(千葉県)に一月寺を建てて本山とした。
戦国時代、敗軍の武士が世を忍ぶため虚無僧となった。江戸時代は臨済宗の一派として扱われたが、1871年(明治4年)に廃止された。

と・・・こんな感じです。
次回は臨済宗の教えに注目したいと思います。
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カウンセリング・ファースト

2006-09-28 15:55:21 | 徒然なるままに・・・。
今日は午後のお仕事がお休みでしたので、ポーラへ行ってきました。
担当の「な~さん」が「お昼ご馳走するよ。と言っても、近くのガストだけど」と言ってくれましたので、お言葉に甘えてランチをご馳走になりました。
久しぶりのお肌のお手入れ
最近はストレスもあってか、お肌にボツボツが・・・
「油っぽいわりに、保湿力が弱い」と指摘をうけ
クレンジング・洗顔をきちんとやるようにと指導を受けました・・・
帰りにアペックス・アイの試供品とシートをもらって帰ってきました。
今回は試供品全種類ついてたのぉ~
また来月ね。ということでの帰り道。
私の前に右から車がノロノロと入ってきたのですが、この車、「プリウス」でした。
非常にノロノロなこの車は、ヘルメットをかぶった工事のおじちゃんらしき人が運転しておりました。
このおじちゃん、せっかく「ハイブリットカー・プリウス」に乗っているのに・・・タバコを道に投げ捨ててました・・・。
・・・おじちゃん・・・意味無いっすよ・・・
まあ・・・燃費の良さと、物珍しさで購入したんだろうけどね・・・。
ハイブリット・カーに乗る人も地球に優しい人であって欲しいなと思っただけっすよ・・・。
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ちょっと長すぎたよね・・・。

2006-09-27 22:15:11 | 地元ネタ
福島知事、辞職を表明 実弟逮捕で引責 (朝日新聞) - goo ニュース
いや~・・・18年ですか・・・。
ちょっと長すぎた感じですかね・・・。
正直、県民の率直な意見としては「田舎だし、談合なんて普通なんじゃないの?」
さて・・・次の知事はどなた?
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訃報

2006-09-26 23:35:50 | 地元ネタ
「さざんかの宿」「細雪」作曲家の市川昭介さん死去 (朝日新聞) - goo ニュース
丹波哲郎さんに引き続き、市川さんまでも・・・。
市川さんは福島出身の偉大な作曲家でした。
テレビに出ても人柄の良さが滲み出てるような方でしたね。
ヒット曲も多くて、先日、歌番組を見ながら「ああ、この歌も市川さんが作った曲だったんだ」何て話をしたばかりでした。
まさに、虫の知らせでしょうか?
良い音楽をありがとうございました。
どうぞ、ゆっくりお休みください。

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トラさん・・・。

2006-09-26 21:06:31 | 家族
あ~・・・今日は眠かった・・・。
と言うより、今も眠い・・・。
と、言うのも、我が家の愛猫トラさんは最近めっきり家猫になってしまい・・・。
夜中に布団にもぐってくるのだ・・・。
かわいいわが子なので、彼の要望に応えて腕枕で寝かせたりするのだが、いつもは相方のところで寝るのだけど、昨日は何故か私の方だった・・・。
一緒に寝るのはかまわないのだけど、腕枕をしたり、人の肩に頭を乗っけて寝る彼は、時々ムズムズと爪を出してくる・・・。
これって、にゃんこ特有のものなのでしょうか?
普段もごはんを作るのを待ってる時も、側でお座りしながら、前足は地団駄踏むようにムズムズ動かしてます。
なので、時々パジャマに爪が引っかかるので、それを外しながらの睡眠でしたので、あまりよく眠れませんでした・・・。
お陰で、今頃眠いです・・・。
とりあえず、ちょっと寝ます・・・。
このまま朝になっちゃったりして・・・。

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臨済宗について・・・4

2006-09-25 22:03:04 | 宗教
今回は日本の禅三宗について学習します。

禅は白凰時代に伝来し、平安時代は天台教学のひとつにもなっているが、独立した宗派として花開くのは鎌倉時代。栄西の臨済宗、道元の曹洞宗が興り、ついで江戸時代、明僧隠元により黄檗宗が開かれた。

・・・禅が日本に伝えられたのは・・・

653年(白雉4年)に入唐し、法相宗を伝えた道昭が、玄奘三蔵のすすめで達磨の弟子慧満について禅を学び、帰国して飛鳥(奈良県)の元興寺に禅院を建て終日坐禅をしていたと「続日本紀」にある。
次に736年(天平8年)に来日した唐僧道璿が律宗・華厳宗とともに禅を伝えた。
その後、天台宗の開祖最澄や円仁らが入唐し、円(法華)・密・戒とともに禅を天台教学のひとつにとりいれたが、それらはまだ独立した一宗としてではなかった。
また能忍も禅を伝え、日本達磨宗と称した。

・・・栄西とは・・・

栄西は備中国(岡山県)吉備津宮の神官の子。11歳で天台教学を学び、14歳で比叡山にのぼった。28歳で宋に渡り、天台の経典を持ち帰ったが、宋で知った禅をきわめようと47歳で再入宋。
臨済宗黄竜派の虚庵懐敞に師事し、五年目に印可を得て帰国。博多にわが国最初の禅寺聖福寺を開くが、天台宗僧徒の激しい非難をあび、日本達磨宗の能忍とともに朝廷から禅停止の命を受ける。
栄西は「興禅護国論」を書いて「自分の禅は最澄が伝えたものと同じで、比叡山仏教を再興するものである」と主張し、一生を天台密教の僧として終えるが、一方で著書の最後に必ず禅は再興すると予言していた。そのため、日本臨済宗の開祖と仰がれる。ちなみに臨済宗では明庵栄西と読むのが正式だ。

ちょっと時間が無いので今日はここまで・・・。
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