子の脳死 医師4割が「死には当たらぬ」(朝日新聞) - goo ニュース
う~ん・・・。
どうだろうねぇ。この意見。
子供は回復力が早いからとか言ってるけど・・・。
実際の症例件数と比較してもどうなのよ?
どうにも「子供には未来があるから」みたいな感情論に流されてる感がするよねぇ。
勿論、その気持ちは理解できるし、親御さんの気持ちも含めて、死と認めたくない気持ちは解るけれど、私たち医療従事者が感情とか、希望的観測に流されてどうするのよ?
勿論、そういう気持ちも大事だよ。
だけど、変に患者さんを期待させたり、それがおかしな情報となって社会に流れる事もあるじゃない?
現実的に、脳死状態の子を持つ親の気持とか、その後の回復した症例を見てもどれほど大変な事か解るはずだけどねぇ。
しかも、今の日本の医療の現実は決して患者さんに優しいものではないんだし。
脳死の子を、ず~っと見守っていかなくてはいけない親御さんの気持ち。
回復したところで、後遺症はかなり残るし、そんな時の親御さんの気持ち。
どう頑張ったって、何か起きない限り親の方が先に死ぬのだという現実。
子供を残して死んでいく親御さんの気持ち。
そういう事も色々考えたら、私たち医療従事者は甘い発言は控えるべきだと思うんだよね。
私たちも勿論「奇跡」を願って仕事をしてるけれど、実際奇跡と言われる事も目の当たりにしてるけれど、それを無責任に発言して患者さんを喜ばせるようじゃ、どっかの宗教と一緒の様な気がする・・・。
言葉を話して、泣いて笑って、怒って、歩いたり、走ったり、食べたり、飲んだり、感情をぶつけたり、考えたり、密かな思いを胸に抱いたり・・・。
それが人間として生きてる事だと思う。
一つでも欠けると、どれほど不自由な生活か考えた事があるだろうか?
それが全くできない事を「人間として生きてる」と言えるのか?
いつまでも一緒にいたいのは、言葉は悪いが家族の自己満足。
そこに飛び乗る奇跡を願う医療従事者の甘え。
そこに苦しんでる人がいるなら助けたいと言いながら、でも子供の脳死判定は・・・。
何て言うのは矛盾してるだろう。
そこで躊躇してると一つどころか二つの命を失う事になる。
この国のターミナル(終末期)医療が浸透しないのも、この様な医療従事者の自意識過剰にも似た甘えがあるからではないのか?
私たちは、生を繋ぐ為に仕事をする。
その為には死と向き合わなければ判断を見誤る。
「脳死」は一番「死」の近くにいる私たちが最も考えなくてはいけない課題だと思う。
決して感情に流されて話をする事ではないのだ。
う~ん・・・。
どうだろうねぇ。この意見。
子供は回復力が早いからとか言ってるけど・・・。
実際の症例件数と比較してもどうなのよ?
どうにも「子供には未来があるから」みたいな感情論に流されてる感がするよねぇ。
勿論、その気持ちは理解できるし、親御さんの気持ちも含めて、死と認めたくない気持ちは解るけれど、私たち医療従事者が感情とか、希望的観測に流されてどうするのよ?
勿論、そういう気持ちも大事だよ。
だけど、変に患者さんを期待させたり、それがおかしな情報となって社会に流れる事もあるじゃない?
現実的に、脳死状態の子を持つ親の気持とか、その後の回復した症例を見てもどれほど大変な事か解るはずだけどねぇ。
しかも、今の日本の医療の現実は決して患者さんに優しいものではないんだし。
脳死の子を、ず~っと見守っていかなくてはいけない親御さんの気持ち。
回復したところで、後遺症はかなり残るし、そんな時の親御さんの気持ち。
どう頑張ったって、何か起きない限り親の方が先に死ぬのだという現実。
子供を残して死んでいく親御さんの気持ち。
そういう事も色々考えたら、私たち医療従事者は甘い発言は控えるべきだと思うんだよね。
私たちも勿論「奇跡」を願って仕事をしてるけれど、実際奇跡と言われる事も目の当たりにしてるけれど、それを無責任に発言して患者さんを喜ばせるようじゃ、どっかの宗教と一緒の様な気がする・・・。
言葉を話して、泣いて笑って、怒って、歩いたり、走ったり、食べたり、飲んだり、感情をぶつけたり、考えたり、密かな思いを胸に抱いたり・・・。
それが人間として生きてる事だと思う。
一つでも欠けると、どれほど不自由な生活か考えた事があるだろうか?
それが全くできない事を「人間として生きてる」と言えるのか?
いつまでも一緒にいたいのは、言葉は悪いが家族の自己満足。
そこに飛び乗る奇跡を願う医療従事者の甘え。
そこに苦しんでる人がいるなら助けたいと言いながら、でも子供の脳死判定は・・・。
何て言うのは矛盾してるだろう。
そこで躊躇してると一つどころか二つの命を失う事になる。
この国のターミナル(終末期)医療が浸透しないのも、この様な医療従事者の自意識過剰にも似た甘えがあるからではないのか?
私たちは、生を繋ぐ為に仕事をする。
その為には死と向き合わなければ判断を見誤る。
「脳死」は一番「死」の近くにいる私たちが最も考えなくてはいけない課題だと思う。
決して感情に流されて話をする事ではないのだ。