とどちゃんの縁側でひとり言・・・。

日々の生活の中で見たこと感じたことを記録していきます。

日蓮について・・・6

2006-09-17 23:10:47 | 宗教
本日は日蓮宗における題目と法華経について・・・。
さあ、日蓮もそろそろ終盤に入ってきましたよ。

・・・題目・・・

題目というのは、もともと経典の題目のことだが、日本では一般的に「(南無)妙法蓮華教」のことを言う。この五字七字の題目に仏のすべての功徳が内包されているとする。
ちなみに「法華経」というのは「妙法蓮華経」という教えを明らかにする為のお経である。日蓮の教えでは、この題目をとなえることが「正行」で、読経や解説などはそれを補佐する「助行」であるとする。
では、なぜ「南無妙法蓮華経」を唱えることで人間が救われるというのだろうか。
日蓮は五綱の教判を打ち立てたが、この狙いは天台教学の「一念三千」を超えることであった。一念三千というのは、一瞬の思いのなかにも全宇宙の事象が含まれているという意味で、混在する人間の心理を見つめることが悟りに到達する道だとした。その実践として、天台教学は「摩訶止観」という修行法を定めた。
だが、この修行法は、禅による深い瞑想が必要とされるため、一般民衆には実践は難しいとされる。そこで日蓮が到達したのが「題目」である。
すなわち、題目を一心にとなえさえすれば、誰でも一念三千の哲理を自分のものにできるとしたのである。


ー一口メモー

日蓮宗の題目は「南無妙法蓮華経」、浄土宗の念仏は「南無阿弥陀仏」ととなえる。
この最初の「南無」とは、梵語の「ナマス」の音写で、身命を投げ出して仏の教えに従うことを意味する。
つまり、「法華経に帰依します」「阿弥陀仏に帰依します」ということだ。

・・・法華経について・・・

次に法華経についてですが、法華経に関しては後日さらに掘り下げて学習したいと思いますので、今回は二十八品のあらすじのうち本日は十四品までを載せたいと思います。

まずは、法華経の歴史から・・・。
法華経は紀元前後ころインドで成立し、シルクロードをへて中国、そして日本に伝えられた。法華経を日本で最初に講じたのは聖徳太子である。
法華経は全二十八品からなり「迹門」と「本門」の二つに大きく分けられ、さらに序文・正宗分・流通分の三部に分けて解釈されることから二門六段という。各品の構成は、散文と「偈」という韻文からなる。
第一部の「迹門」は釈尊が久遠の仏であるという実体を明らかにする以前の教えで、第二部の「本門」は釈尊が久遠の仏であることを教え、この教えを信じ、実践する者に至福への道が明らかにされている。
なお、法華経に無量義量と観普賢菩薩行法経を加えて法華三部経という。
無量義経は法華経のエッセンスを著したもの。無量義とは、一つの真実から無限の意味が生まれるという意味で、あらゆる経典はただ一つの経典法華経から発生したものとする。
観普賢経は法華三部経全体の結びとされる。観世音菩薩の名をとなえ、心から念じることによって、どんな災厄からも救われるという現世利益を約束する。

「法華経」28品のあらすじ

・・・序品第一・・・
プロローグ。人々は妙法蓮華経という尊い教えがあると聞き、まもなく世尊(釈尊)の口から語られると知って、かたずをのんで世尊を仰ぎ見たと、舞台と聴衆が示され、読者を壮大な神話の世界へ誘う。

・・・方便品第二・・・
ものごとには必ず因があり、それが縁にふれて現象したものであるという「縁起の法」を説く一方、それはまだ真理ではなく、方便(仮の手段)であり、人それぞれに救いをもたらすためであったとする。

・・・譬s喩品第三・・・
この世界ではだれもが生きてゆくことの苦しみを背負っていると現世の苦悩を説き、「しかし、あなた方は皆、ひとり一人が私の子なのである。私は父なる長者のように、あなたがたを救いに導くであろう」と仏法を信じることによる救済を語る。

・・・信解品第四・・・
釈尊は、巧みな方便をもって人々を修行させ、一段ずつ真理へ導き、やがて真理の蔵へ到達させるのだという教え。

・・・薬草喩品第五・・・
この地に存在する限りない種類の草木が、それぞれ等しく成長しているように、人間もまた、それぞれの性質に応じて等しく仏の世界へ導かれるのだという教え。

・・・授記品第六・・・
摩訶迦葉ら四人の高弟に、それぞれの未来を語る。万億の仏に仕えたのち、仏になれるであろうと予言。

・・・化城喩品第七・・・
仏になるには長い修行が必要だが、それに耐えられない者には順次、目前に仮想の到達点をもうけながら導いていくという教え。

・・・五百弟子受記品第八・・・
人はだれも自分がもっている大きな可能性を信じることができず、日々の暮らしに身をやつしているとして、可能性に気付き信じることの大切さを教える。

・・・授学無学人記品第九・・・
修行者に贈る言葉。授学、無学を問わず、すべての者は仏になるという未来を予言。

・・・法師品第十・・・
法華経を聞いて心に喜びを感じる者は、未来に仏になれるとの保証を与えるであろうと語る一方、この経を説く者は排斥され、攻撃されるであろうと予言。しかし常に仏の加護があり、未来には最高の悟りに到達すると説く。

・・・見宝塔品第十一・・・
巨大な塔が大地から空中に現れ、釈尊が浮上してその扉を開けると、なかに端坐する多宝如来が釈尊をたたえ、「釈迦牟尼よ、ここに坐されますように」と誘う。法華経の舞台が地上から空中に移る区切りの章。

・・・提婆達多品第十二・・・
悪人といえども人生の師であり、法華経によって生まれた。法華経を信じるならば、幼女ですら仏になれると説く。

・・・勧持品第十三・・・
法華経をひろめる者は迫害されるという釈尊の予言に対して「私の命は惜しみません。ただ無上の道が失われることのみ惜しみます」と弟子と人々は表明する。忍耐の章。

・・・安楽行品第十四・・・
伝道者に、平安を得るための四つの指針を示す。①慎みをもって人々と交わる②人々の問いに従って法を説く③怒りやおごりの心を捨て去る④大いなる慈悲の心をもつ・・・この4つを安楽行という。

と、本日はここまで・・・。また明日
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ほ~らね・・・。

2006-09-17 15:31:25 | 怪談・不思議
本日は、相方の実家の法事でして、ただいま帰ってきました。
午前中に法事を終え、お昼近かったので、一旦着替えて家族で食事に出かけました。
ここで・・・やはり不思議なことがありました・・・。
店は結構混んでいたのですが、私達が入る時には入り口に私達4人しかいなかったのです・・・。
所が・・・。
「五名様ですね?」
後ろにいた私は「えっ?」と思いましたが、まあいいかと思い案内されたテーブルに着きました。
私達を案内してくれたお店の人も席についてから確認してるはずなのに・・・。
もってきたお茶とおしぼりは・・・。
やはり5人分でした・・・。
まあ・・・こういう事ってけっこうあるよねぇ・・・。
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