とどちゃんの縁側でひとり言・・・。

日々の生活の中で見たこと感じたことを記録していきます。

やはり見なくちゃかしらん。

2006-09-24 19:51:10 | 映画
映画「フラガール」初日舞台あいさつ、松雪泰子は感無量 (サンケイスポーツ) - goo ニュース
「き~たぐにのぉ~むすめっこだぢがぁ~」
と言われても、「いわきって北国のイメージないよね」が中通りの意見でありますが、とにかく福島を舞台の映画がこんなに注目されてるのはうれしい限りです。
ハワイアンズは地元よりも関東地方の方々の行楽施設のようで・・・。
東京から直通のバスも出てるみたいですね。
私も、最後に行ったのは2~3年前だったかな?
なかなか楽しいのよねん。
でも・・・折角だから、福島でも出演者の舞台挨拶してほしかったわ・・・。
監督だけっていうのもちょっと寂しい気が・・・。
一応出演していたあまり知られて無い人も来た様ですけど・・・。
・・・ところで、談合問題はどうなった?
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食べちゃダメ?

2006-09-24 18:58:32 | 徒然なるままに・・・。
家の裏の空き家の庭から何やら枝が伸びてきた・・・。
最近、葡萄の様な実をつけて、良い感じに紫色になってきたのだ。
これって食べれるのか・・・?
そんな疑問がフツフツと湧いてきた私は、相方を呼んで・・・。
「これって食べれるのかなぁ?」
と聞くと・・・。
「お姉ちゃんが食べて、1週間くらい何でもなかったら俺も食べるよ」
・・・・
これ、葉っぱは全く葡萄っぽくないんですよ・・・。
葡萄っぽい実の割りに、鳥も食べませんしね・・・。
やっぱ食べちゃダメよね・・・。
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臨済宗について・・・3

2006-09-24 16:45:32 | 宗教
今回は簡単に臨済宗の僧侶の服装などについてです。

・・・僧の服装と持ち物の特徴・・・

参内・法要などの正装、平常寺内の礼拝用、略装などがある。
禅宗の服装で、もっとも特徴的なのは直綴といわれる衣だ。もとは中国宋時代の俗服で、それが法服化した。
そのため禅伝来当時、従来の平安朝の衣に対して「からころも」と呼ばれた。とくに袖の幅が広く丈も長い。腰継ぎがあり、裙が腰のところで接合されている。道具衣とも呼ばれる。また、袈裟をつける環も特徴的だ。
正装では、立帽子をかぶり、襪子という指の股のない足袋をつける。もとは防寒用。また、高僧が持つ払子は、もとは蝿や蚊を払うために長い毛や麻などをつけたもので、いまは権威づけとして用いられる。
略装は、改良服に手巾という組紐の帯をしめ、絡子(掛絡)をかけている。絡子というのは五条袈裟で、手巾は、衣をくくったり、たすきにしたり、行動を軽便にするために用いる。近代は上下に分かれた作務衣を着用することも多い。

・・・伽藍配置は・・・

密教寺院が山岳にたてられたのじ比べ、禅院は飛鳥時代と同じく平地に整然と配置された。
禅宗の七堂伽藍は山門(三門)、仏殿、法堂、僧堂、庫院(庫裏=台所)、東司(西浄=トイレ)、浴室からなる。台所やトイレ、浴室まで伽藍に含むのは、禅が日常生活すべてを修行の場と考えるからだ。ほかの宗派はこういう建物を伽藍には含めない。
また、その配置は人体にたとえられる。法堂は頭、仏殿は腹、山門は股、僧堂は右手、庫院は左手、東司は右足、浴室は左足をあらわす。

・・・お坊さんの呼び方・・・

ふつうは「和尚」という。そして公案を授けるような禅匠は「老師」と呼ばれる。
ちなみに天台宗や真言宗でも和尚と書くが、それぞれ「かしょう」「わじょう」と読む。また、高僧は
「阿闍梨」と呼ばれる。
日蓮宗や浄土宗は「上人」といい、浄土真宗は、僧侶同士では「和上」、檀家からは「御院さん」と呼ばれる。

・・・戒名の特徴・・・

本来、戒名は仏弟子になった証で、臨済宗では生前に公案を会得し、導師から授かるものであった。
院(殿)号は、古くは寺院を建立寄進した貴人につけられた尊称だが、いまは社会やお寺への貢献と信仰心のあつい人につけられる。ほかにも軒・庵・斎など住居の名が尊称として用いられる。道号は、性格や生前の徳、業績をあらわす。位号は性別・年齢、そして生前の徳により、禅定門・禅定尼・居士・大姉・信士・信女(成人)、童子・童女(15歳以下)、孩子・孩女(幼児)、嬰児・嬰女(乳児)などがつけられる。


と、さらっと服装について学習してみました。
次回は日本の禅三宗について学習します。
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戦死した人達の為にも・・・

2006-09-24 13:07:18 | 社会
「血塗られても英国は変えぬ」 国旗めぐり法相発言 (朝日新聞) - goo ニュース
昨日の「国旗・国歌」問題の続きですが・・・。
仮に軍国主義を連想させるとか言っても、戦争を反対するならなおのこと、この国旗は必要だと思うのです。
私達をはじめ、日本はすでに戦争を知らない人間が多くなってきました。
戦争反対を強く訴え、国旗・国歌を反対する集団の皆様達は国旗・国歌を変える事も強く望んでいます。
私は戦争は反対です。
でも、戦争を知らない私達だからこそ、この国旗・国歌が大事だと思うのです。
戦争反対などを訴える人達は、「無理に戦争に行かされた人達の為にも」など、戦死した人達の死を、まるで「ムダ死に」のように言う方もいます。
そうでしょうか?彼らは戦いました。
国の為でもありましたが、根底には愛する人を守る為でもあったはずです。
愛する人、家族、自分の住んでる町の人、市民、県民、そして国民を守る為に戦ってくれたのです。
彼らの戦いと、宇宙で初めて戦争で原爆を落とされた事を忘れない為にもこの国旗と国歌は変えてはいけません。失くしてはいけないのです。
どんなに体験談を聞いても、写真やフィルムを見ても戦争を体験していない私達は本当の悲惨さは理解することができません。
このままでは、ますます平和ボケしてうっかりまた戦争を始めてしまうかもしれません。
実際、世界の情勢はかなり緊迫していることに気付いている人がこの日本にどれ程いるのでしょうか?
彼らの戦いがあったからこそ、私達は平和に表面上だけかもしれませんが、一応平和に暮らすことができるのです。
彼らに感謝し、敬意を表しても、「ムダ死にだ」などと私は口が裂けても言えません。
あなたが、本当に戦争に反対なら、どうぞ国旗に敬意を表し、国歌を歌って下さい。
そして、戦争で亡くなったすべての人の死を「ムダ死にだ」などと絶対言わないで下さい。
私達は、彼らの死からこれだけ多くのことを学んでいます。
やみくもに反対するのではなく、世界の情勢、日本の立場、色んな角度から物を見る目を養って下さい。
ただ単に、怖いからとか、犠牲者が出るからとか、何の意味もないからとかそんな理由での反戦ならやめなさい。
まずは、日本がこれまで係わってきたすべての戦争を学習して、色んな国から見た日本を学び、その時の日本人の心を勉強しなさい。
本題はそれからです。
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臨済宗について・・・2

2006-09-24 00:01:19 | 宗教
今日は、臨済宗の特徴を学習します。

・・・臨済宗の本尊は・・・

臨済宗に限らず禅宗では特定の本尊を立てない。
これは「人間は生まれながらにして仏性をもち、本来みな清浄である」という、お釈迦様の悟りの体験を自己の内に自覚することを重視しているためだ。
そのため本尊にこだわりはなく、仏殿正面には、釈迦如来像、また、そのお寺の縁によって、大日如来、薬師如来、観音菩薩、文殊菩薩などをまつっているところもある。脇には禅宗の始祖達磨大師像、開山祖師の像などがまつられている。

・・・よりどころとする経典は・・・

ほかの宗派はお釈迦様の説いた教典をよりどころとしているが、禅宗では、お釈迦様の悟りの体験を重視するため、特定の経典へのこだわりはない。
それは文字や言葉では表現しきれないものであり、言葉や文字にとらわれるなという達磨大師の精神は「教外別伝」「不立文字」「直指人心」「見性成仏」という四言四句にあらわされ、禅の指標となっている。
ただ、古くからの習慣として、「大般若波羅蜜多経」「金剛般若経」「般若心経」「法華経」の観世音菩薩普門品(観音経)などの経典が読まれ、「白隠禅師坐禅和讃」や「宗門安心章」など、また公案に使われる祖師一代の語録「臨済録」「碧巖録」「六祖壇経」などもよく読まれる。

・・・禅問答とは・・・

修行僧は師家(指導者)から出された公案に取り組み、坐禅や作務のあいだも公案に苦しんだ結果、何らかの悟りを得て師家の部屋に行き、その内容を説明する(入室参禅)。公案自体がおよそ論理的ではない直感の塊だから、修行僧も師家も発言は論理的でなく激しい問答が繰り返され、ときには棒で打たれることもあった。それが「禅問答」である。
なぜ禅問答を行なうかといえば、禅は自己を見つめつくす体験であり、悟りの内容は言葉や文字では表現しづらい。修行の段階によって悟りは何回も訪れるが、そのとき師家は「それ、そこだ。それが悟りだ」と何かをつかみかけている修行僧に直に示してやることができる。

・・・本山は・・・

現在の臨済宗は十四派に分かれ、各派ごとに本山を有している。
(各派名称)       (派祖)      (本山) 
 建仁寺派        明庵栄西       建仁寺
 東福寺派        円爾弁円       東福寺
 南禅寺派        無関普門       南禅寺
 天龍寺派        夢窓疎石       天龍寺
 相国寺派        夢窓疎石       相国寺
 大徳寺派        宗峰妙超       大徳寺
 妙心寺派        関山慧玄       妙心寺
 建長寺派        蘭渓道隆       建長寺
 円覚寺派        無学祖元       円覚寺
 向嶽寺派        抜隊得勝       向嶽寺
 方広寺派        無文元選       方広寺
 永源寺派        寂室元光       永源寺
 国泰寺派        慈雲妙意       国泰寺
 佛通寺派        愚中周及       佛通寺

・・・なぜ、こんなに本山が多いのか・・・

もともと臨済宗では本山を定めず、中国の南宋の五山制度を模した形態が設けられていた。
1251年(建長三年)には鎌倉の建長寺を第一とする五山が、政権が京都に移った1334年(建武元年)には京都を中心に五山が定められたが、鎌倉派と京都派、武家禅と公家禅など寺格をめぐっての対立が激しくなったため、1386年(至徳三年)に鎌倉・京都の双方に五山制度が定められた。
京都五山は南禅寺を別格として、天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺。鎌倉五山は建長寺・円覚寺・寿福寺・浄智寺・浄妙寺。さらに、それぞれの下に十刹が定められていた。
以来、変還をへて五山十刹制度は消えたが、現在の十四派本山となる。


今回はここまで・・・。
次回は僧侶の服装なども学習します・。
ところで・・・相方の家は臨済宗ではなく、曹洞宗でした・・・。
何だよ~・・・。
 
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