今回の肺炎の流行はあっという間に拡大したような印象ですが、実は武漢での発生は早くから確認されていたが地方政府がそれを隠ぺいしていたので報道されたときはすでに流行期に入ってしまっていたらしい。我々が気が付いたころは、春節に入ってからで、かなりの中国人が海外へ出ていたあとのことでした。日本領事館の情報によりますと、ここチェンマイでも感染者が出ております。中国人の女性です。ただ今入院中ということらしい。今朝、JJの朝市へ行ってきましたが、普段より人が少ない半分ぐらいかと思います。いつもはいっぱいになって座れない食事用のテーブルも今日はすいていたし、お店の数も少し少なかった。そしてみんなマスクをしておりました。春節が終わった段階で、中国からの入国者が減ったらしいのですが、今日は大型の観光バスが入っていた。とうとう地場の朝市も観光スポットになってきたわけで、商品の値段が上がらなければよいがと心配しております。もともと、自然志向の農産物で無農薬野菜やオーガニックを売り物にしてきた分価格が高いのでこれに観光価格が上乗せされると地元民の市場ではなくなってしまうのではないかと危惧しています。タイにとってはインバウンドで良いのかもしれませんが、観光客とは関係ない我々にとってはよろこばしいものではないです。日本でも観光地の住民はみんな同じような思いでいるのではないでしょうか。そこにもってきて今回の肺炎ウイルスの拡散で、その感を強くしたのではないでしょうか。様々な思惑が交錯する中で、このたび最もクールだったのはイトーヨーカドーでした。まるで予期していたような、たぶん以前に経験があったのではないかと思われるスピーディーなスマートな行動でした。個人的に思い出したのはアルベール・カミュの小説「ペスト」です。今の武漢の状況に重なるような、ペストの流行で閉塞状態のなかでの医師と神父の話です。つまり科学(合理性)と宗教(不合理)のあり方を問うた小説でした。自分たちもこのペストにやられること、つまり死ぬことになるかもしれない状況の中で生きることの意味や勇気や絶望について考えさせられる小説でした。科学(合理性)が宗教にとって代わって信仰の対象であるような現代でも宗教(非合理)が力を持っているのはなぜか少し理解できたような気がします。それまで合理性こそすべての判断の基礎であると信じてうたがわなかったワシにとっては、非合理な力つまり信仰の力が必要とする状況は必ず来るし、その時に人に生きる希望を持たせることができる方法として宗教の信じる力というものを認識させられた小説でした。それは言ってみれば、合理性が通用する射程距離というものが、ひょっとしたら非合理性の射程よりも短いのではないかという疑問を持った最初でした。あれから40年?いまだに答えは宙吊りのままですが、自分が武漢にいるとして何を思うか想像するに、この小説を思い出すのは確実でしょう。
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