乗客に促されて、動き出そうとしたバスを止めて、あわてて下車したところは、道路の傍に2軒ほど茶店のある田舎のバス停だった。同じバスから下車した外国人のペアが、観光客相手のレンタル自転車屋と交渉していたが、交渉がまとまらず彼らは徒歩で遺跡へ向かった。その後に私は30バーツで自転車を借りて、遺跡のおおまかな地図をもらい彼らの後を追った。細いつり橋を渡り、遺跡に入ると、団体の観光客が一グループになって、見学していたが、それ以外は、地元の人がいるだけで、あたりは静かなたたずまいの古い遺跡にふさわしい雰囲気だった。遺跡の建物の形や仏像の特徴は詳しくは知らないが、年代によって違っているのがわかる程度には区別がつく。民家の玄関先には小さなワット(お寺)があり日本の仏壇的な役割をもっているのか、きれいに飾ってある。
地図を片手に遺跡の中を廻っていると、やがて、道がわからなくなってくる。適当に走ってみると、段々と遺跡から離れていくような雰囲気で、しまいには、まったく検討が付かない場所まで来てしまった。目印にしていた川が左手にあるのでそれを手がかりにしていたのですが地図の川とは別の川らしい。いつしかタイの田舎をさまよい始めた。たまに車が走るような細い道路を、自転車をこいでさまよっているうちに、人家も見えなくなり、とうとう、孤立無援の林の中にまぎれてしまった。さすがにこれは、やばいと思い今来た道を10分くらい戻ってみると、ようやく道端に人家が見えてきたので、そこに居た年寄りのおじいさんに道を尋ねた。と言っても、タイ語がわからないから、地図を見せながら、ここへ戻るにはどちらへ行けばよいかと、身振り手振りで尋ねたわけですが、このおじいさん、なかなか、理解してくれない。まるで地図をはじめてみるように、しばらく眺めながら、ウーンとうなったっきりで先に進まないのだ。昼寝をしているところを起したもんだから、まだ状況が飲み込めないのか、どうも埒が明かない。突然起されて腹を立てているのではない様子だが、知らない者と分からない者が相談しても始まらないので、失礼させてもらい、また自転車にのって、しばらく道を戻った。すると今度は中年のおじさんがバイクでやってきたので、手を振って停まってもらい、道を尋ねると、今来た道を反対方向へ戻ると、目印の交叉点へ出るからそこで誰かにまた訊けば良いという風なニュアンスで教えてくれた。やはり、遺跡の方向とは逆に向かっていたことになる。どうも最近は方向感覚があやしくなってきた。チェンマイでも同じように反対方向へ向かって歩いていたことがあった。歳をとると思い込みがはげしくなるか、信じて疑わない傾向がある。判断が間違っていても何とかなるだろうという図図しさもある。おかげで暑いタイの日中を自転車で駆けずり廻る羽目になってしまった。しばらく行くと道の両側にお土産屋さんが並んでいるところに出た。おもに古い陶器が陳列してある、宋胡録焼きの本場ですから、本物の古い焼き物に会えることを期待して、よさそうな何軒かの店を覗いてみた。最初の店は焼き物はあまり多くない、タイ青磁と染付けと古いと見せかけた鉄絵のものが何点か置いてあった。店の主人が外から帰ってきたので、ここにあるのはアンティークなのかと訊くと、「そうですね、大体はね」という。店の中を物色して気に入った物があれば、手にとってみたいと思って眺めてみるとあまり触手が伸びるようなものはない。どうも古いとは思えないので、礼をいってすぐに次の店に入った。次の店は、ちょっと高級感のある店で、「これは高級品でっせ」というような陳列をしてある。期待して入ると、70がらみの主人が出てきた。早速、陳列してある、青磁の6寸皿をケースから出してもらって手に取った。落として割らすことがないように、床に座って両手で持ちながら、じっくりと舐めるように隅々まで拝見したが、どうも古いものではない気がする。美過ぎるのです高台のあたりが、ちなみに値段を聞くと70000バーツだという。これが古いものであればこの値段は高くない。というより安いくらいだ。しかし新しいものであれば、高い。べらぼうに高いせいぜいで500バーツが御の字だ。主人にゆっくり訊いてみた。「これはいつごろのものなんですか」主人は「・・・・」と答えない。どうも英語は通じないようだ。値段の話しかしない。皿のふちをコンコンとたたくと音が鈍い、見たとこ割れてはいないが、この音は器胎にひびがある音だ。あたしゃプロでっせ、これだけみれば、後は大体想像がつくので、青磁の皿はあきらめて、別の品物を見せてもらうことにした。染付けで網に蟹が描いてある抹茶碗にちょうどいい形の碗があった。もう少し浅ければ夏茶碗に打ってつけの形なのだが、それは茶道のないタイの人には関係ない話なのですが、生地に鉄分があるせいか釉薬の色がグレーがかっているのはいいとしても、釉薬の表面がつや消しになっているのはどうも腑に落ちない、わざと古く見せるためのテクニックだとしたら、かえって、墓穴を掘っている。つや消しの割には一点の汚れも無いのだ。明らかに現代物だ。値段をきくと7500バーツだという。抹茶碗としてみたてた場合でもこの値段は安くない。私の見立てより10倍以上の値段だ。なにか記念になるような品物があればいいなと思って眺めてみたが、どうもほしくなるものが無いので、失礼して次の店へ入った。次の店は前の店とくらべて、高級感が全然無い、ガラクタをならべて、まるで売る気がないような店だ。奥ではこの店の主人かその奥さんか知らないが、粘土で花瓶らしきものを作っているところを見ると、工房なのでしょうか。陳列されている物がお粗末なので、声もかけずに外へ出た。なかなか気に入ったものが見つからないので買い物は次の機会にして、ふたたび遺跡のほうへ自転車をこいだ。目印の交叉点に差し掛かかったので、角のバイク修理の店のおじさんに遺跡への道を尋ねると親切に教えてくれた。右に曲がって直進すると遺跡の入口に行くというのでその通りに進むと確かに、遺跡の入口を示す看板があった。やれやれ、やっと戻ることが出来た。ここが正面の入り口らしい。遺跡は数箇所に分散しているので、一つ一つ廻るとけっこう時間がかかる。二つ目のワット(寺院)に行くと、バスに同乗していた外国人のペアにまた会うことになった。黒人の女性と白人の男性のペアなので、よく覚えていいる。また会いましたねと挨拶すると笑顔でうなずいて挨拶を返した。今日は暑い日中に遺跡を廻っているのは、我々ぐらいだ。男性のほうは盛んに写真を撮っているのだが、女性のほうは、彼が写真を撮るのを日陰で眺めているだけで、「もうこの遺跡はうんざりよ」とでも言いたげに石段に腰掛けている。そんな彼女に自分の写真を撮ってくれないかと頼むと、OKしてくれてカメラをわたすとすぐに一枚写真を撮ってくれた。一人旅では自分の写真が撮れないので、貴重な写真になった。
人のいない静かな遺跡を廻っていると、ふと、何でここにいるのかを考えてしまう。一年前はもちろん一週間前も、想像すらしていなかった場所に立っていると、不思議な気持ちになる。誰かが呼んでいるのではないかという気になってくるのだ。それが誰だか分からないのですが、忘れてしまった何かを思い出さねばならないような気持ちと忘れてしまった安堵の気持ちと二つがせめぎあうような感覚を覚えるのは、死者を前にして、生命の感覚が高まるように遺跡に残る死への残滓が興奮を誘うのかもしれません。いくつかの遺跡をみているうちにペットボトルの水もなくなり、のども渇いてきたので、引き上げることにした。自転車を借りたところへ戻るつもりで、走っていると、またお土産の店があった。何か良いものがあるかもしれないと思い店に近ずくと、前に見た、蟹の染付け碗があるではないか、それもそのはずこの店は前に入った店だった。逆方向から来たので、前の店とは気が付かなかったのだ。ということはいつの間にか、またもとの道へ戻ってきたわけで、これにはほんとに、狐に化かされたと思ってしまった。染付けの碗を見なければ、またどこかへ迷い込むところだった。お土産屋から遠ざかっているはずなのに、なんでここに来たのか、ほんとうにあせってしまった。方向感覚が完全に狂った。同じところをぐるぐる廻っているのです。輪廻は廻る糸車ならぬ無間地獄かシジフォスの神話でも見ているような錯覚に陥ってしまった。このリングワンデリングから脱出しなければと地図をにらみ、目印の交叉点に戻り、そこから、自転車を借りた場所へめざすのだが、また分からなくなる。そんなに多くの道があるわけではなく、田舎の一本道なのですが、遠くにガソリンスタンドが見えるので、あそこで聞けば何とかなると思い、藁にもすがる気持ちで、尋ねると英語が通じない。しかし言っていることは、理解してくれたが、今度はまた戻れというではないか。本当に信じていいのか判らず、疑問に思いながらも、しぶしぶ自転車をこいでいると、後ろから、車に乗ったガソリンスタンドの人が声をかけてきた。もう少し先を左折しろと言っている、わざわざ車で追いかけてきてくれたのだ。指示通りに左折すると車は手を振って遠ざかって行った。左折して少し行くと遺跡の中に出た。そして最初に見たお寺が見えた。やれやれやっとこれで振り出しに戻ることが出来た。お寺の前の売店で冷たいジュースを飲んで、ほっと一息ついた。つり橋を渡ってレンタル自転車屋で自転車を返却して、主人にバスはいつ来るのか尋ねると、2時間後だという。仕方が無いので、バス停の小屋で、一休みしてあたりを見ているとなんと、さっきのガソリンスタンドが道路の反対側のすぐそこにあった。
地図を片手に遺跡の中を廻っていると、やがて、道がわからなくなってくる。適当に走ってみると、段々と遺跡から離れていくような雰囲気で、しまいには、まったく検討が付かない場所まで来てしまった。目印にしていた川が左手にあるのでそれを手がかりにしていたのですが地図の川とは別の川らしい。いつしかタイの田舎をさまよい始めた。たまに車が走るような細い道路を、自転車をこいでさまよっているうちに、人家も見えなくなり、とうとう、孤立無援の林の中にまぎれてしまった。さすがにこれは、やばいと思い今来た道を10分くらい戻ってみると、ようやく道端に人家が見えてきたので、そこに居た年寄りのおじいさんに道を尋ねた。と言っても、タイ語がわからないから、地図を見せながら、ここへ戻るにはどちらへ行けばよいかと、身振り手振りで尋ねたわけですが、このおじいさん、なかなか、理解してくれない。まるで地図をはじめてみるように、しばらく眺めながら、ウーンとうなったっきりで先に進まないのだ。昼寝をしているところを起したもんだから、まだ状況が飲み込めないのか、どうも埒が明かない。突然起されて腹を立てているのではない様子だが、知らない者と分からない者が相談しても始まらないので、失礼させてもらい、また自転車にのって、しばらく道を戻った。すると今度は中年のおじさんがバイクでやってきたので、手を振って停まってもらい、道を尋ねると、今来た道を反対方向へ戻ると、目印の交叉点へ出るからそこで誰かにまた訊けば良いという風なニュアンスで教えてくれた。やはり、遺跡の方向とは逆に向かっていたことになる。どうも最近は方向感覚があやしくなってきた。チェンマイでも同じように反対方向へ向かって歩いていたことがあった。歳をとると思い込みがはげしくなるか、信じて疑わない傾向がある。判断が間違っていても何とかなるだろうという図図しさもある。おかげで暑いタイの日中を自転車で駆けずり廻る羽目になってしまった。しばらく行くと道の両側にお土産屋さんが並んでいるところに出た。おもに古い陶器が陳列してある、宋胡録焼きの本場ですから、本物の古い焼き物に会えることを期待して、よさそうな何軒かの店を覗いてみた。最初の店は焼き物はあまり多くない、タイ青磁と染付けと古いと見せかけた鉄絵のものが何点か置いてあった。店の主人が外から帰ってきたので、ここにあるのはアンティークなのかと訊くと、「そうですね、大体はね」という。店の中を物色して気に入った物があれば、手にとってみたいと思って眺めてみるとあまり触手が伸びるようなものはない。どうも古いとは思えないので、礼をいってすぐに次の店に入った。次の店は、ちょっと高級感のある店で、「これは高級品でっせ」というような陳列をしてある。期待して入ると、70がらみの主人が出てきた。早速、陳列してある、青磁の6寸皿をケースから出してもらって手に取った。落として割らすことがないように、床に座って両手で持ちながら、じっくりと舐めるように隅々まで拝見したが、どうも古いものではない気がする。美過ぎるのです高台のあたりが、ちなみに値段を聞くと70000バーツだという。これが古いものであればこの値段は高くない。というより安いくらいだ。しかし新しいものであれば、高い。べらぼうに高いせいぜいで500バーツが御の字だ。主人にゆっくり訊いてみた。「これはいつごろのものなんですか」主人は「・・・・」と答えない。どうも英語は通じないようだ。値段の話しかしない。皿のふちをコンコンとたたくと音が鈍い、見たとこ割れてはいないが、この音は器胎にひびがある音だ。あたしゃプロでっせ、これだけみれば、後は大体想像がつくので、青磁の皿はあきらめて、別の品物を見せてもらうことにした。染付けで網に蟹が描いてある抹茶碗にちょうどいい形の碗があった。もう少し浅ければ夏茶碗に打ってつけの形なのだが、それは茶道のないタイの人には関係ない話なのですが、生地に鉄分があるせいか釉薬の色がグレーがかっているのはいいとしても、釉薬の表面がつや消しになっているのはどうも腑に落ちない、わざと古く見せるためのテクニックだとしたら、かえって、墓穴を掘っている。つや消しの割には一点の汚れも無いのだ。明らかに現代物だ。値段をきくと7500バーツだという。抹茶碗としてみたてた場合でもこの値段は安くない。私の見立てより10倍以上の値段だ。なにか記念になるような品物があればいいなと思って眺めてみたが、どうもほしくなるものが無いので、失礼して次の店へ入った。次の店は前の店とくらべて、高級感が全然無い、ガラクタをならべて、まるで売る気がないような店だ。奥ではこの店の主人かその奥さんか知らないが、粘土で花瓶らしきものを作っているところを見ると、工房なのでしょうか。陳列されている物がお粗末なので、声もかけずに外へ出た。なかなか気に入ったものが見つからないので買い物は次の機会にして、ふたたび遺跡のほうへ自転車をこいだ。目印の交叉点に差し掛かかったので、角のバイク修理の店のおじさんに遺跡への道を尋ねると親切に教えてくれた。右に曲がって直進すると遺跡の入口に行くというのでその通りに進むと確かに、遺跡の入口を示す看板があった。やれやれ、やっと戻ることが出来た。ここが正面の入り口らしい。遺跡は数箇所に分散しているので、一つ一つ廻るとけっこう時間がかかる。二つ目のワット(寺院)に行くと、バスに同乗していた外国人のペアにまた会うことになった。黒人の女性と白人の男性のペアなので、よく覚えていいる。また会いましたねと挨拶すると笑顔でうなずいて挨拶を返した。今日は暑い日中に遺跡を廻っているのは、我々ぐらいだ。男性のほうは盛んに写真を撮っているのだが、女性のほうは、彼が写真を撮るのを日陰で眺めているだけで、「もうこの遺跡はうんざりよ」とでも言いたげに石段に腰掛けている。そんな彼女に自分の写真を撮ってくれないかと頼むと、OKしてくれてカメラをわたすとすぐに一枚写真を撮ってくれた。一人旅では自分の写真が撮れないので、貴重な写真になった。
人のいない静かな遺跡を廻っていると、ふと、何でここにいるのかを考えてしまう。一年前はもちろん一週間前も、想像すらしていなかった場所に立っていると、不思議な気持ちになる。誰かが呼んでいるのではないかという気になってくるのだ。それが誰だか分からないのですが、忘れてしまった何かを思い出さねばならないような気持ちと忘れてしまった安堵の気持ちと二つがせめぎあうような感覚を覚えるのは、死者を前にして、生命の感覚が高まるように遺跡に残る死への残滓が興奮を誘うのかもしれません。いくつかの遺跡をみているうちにペットボトルの水もなくなり、のども渇いてきたので、引き上げることにした。自転車を借りたところへ戻るつもりで、走っていると、またお土産の店があった。何か良いものがあるかもしれないと思い店に近ずくと、前に見た、蟹の染付け碗があるではないか、それもそのはずこの店は前に入った店だった。逆方向から来たので、前の店とは気が付かなかったのだ。ということはいつの間にか、またもとの道へ戻ってきたわけで、これにはほんとに、狐に化かされたと思ってしまった。染付けの碗を見なければ、またどこかへ迷い込むところだった。お土産屋から遠ざかっているはずなのに、なんでここに来たのか、ほんとうにあせってしまった。方向感覚が完全に狂った。同じところをぐるぐる廻っているのです。輪廻は廻る糸車ならぬ無間地獄かシジフォスの神話でも見ているような錯覚に陥ってしまった。このリングワンデリングから脱出しなければと地図をにらみ、目印の交叉点に戻り、そこから、自転車を借りた場所へめざすのだが、また分からなくなる。そんなに多くの道があるわけではなく、田舎の一本道なのですが、遠くにガソリンスタンドが見えるので、あそこで聞けば何とかなると思い、藁にもすがる気持ちで、尋ねると英語が通じない。しかし言っていることは、理解してくれたが、今度はまた戻れというではないか。本当に信じていいのか判らず、疑問に思いながらも、しぶしぶ自転車をこいでいると、後ろから、車に乗ったガソリンスタンドの人が声をかけてきた。もう少し先を左折しろと言っている、わざわざ車で追いかけてきてくれたのだ。指示通りに左折すると車は手を振って遠ざかって行った。左折して少し行くと遺跡の中に出た。そして最初に見たお寺が見えた。やれやれやっとこれで振り出しに戻ることが出来た。お寺の前の売店で冷たいジュースを飲んで、ほっと一息ついた。つり橋を渡ってレンタル自転車屋で自転車を返却して、主人にバスはいつ来るのか尋ねると、2時間後だという。仕方が無いので、バス停の小屋で、一休みしてあたりを見ているとなんと、さっきのガソリンスタンドが道路の反対側のすぐそこにあった。
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