碧空の下で

人生の第四コーナーをまわって

『カミの人類学』岩田慶治著を読んだ

2018-10-05 11:49:52 | 詩、漢詩、その他読書感想

そもそも人類学とはなんぞやということからはじめなければならない。ここで詳しくのべることはできないのでウィキペディア参照してみると大きく分けて自然人類学と文化人類学がある『カミの人類学』は文化人類学のカテゴリーにはいると思うのだが、ここで述べているのは主に「カミ」つまり宗教的な民俗学だという風に捕らえるのですが、ワシが思っている学問としての範囲を超越している。宗教書といったほうが適切な気がする。アニミズムといわれる原始的な宗教のフィールドワークを通じて、著者がその信者として信教告白しているというふうな感想をもちました。これは学問ではない文学に近いその意味で自己表出している。人の言葉を借りて学問を語るしか能のないいわゆる学者バカが多いなか、学問を自分の生に引き寄せて自己の言葉で語っているのは間違いないのですが、なんせ相手が「カミ」だから。いえばいうほど、学問からは遠ざかるような気がします。読んでいると数々の傍証や比ゆが出るのですが、実体がつかまらない。そりゃ当たり前で、「カミ」は著者の個人幻想として在るだけであって、お前もそれを信じろといわれてもちょっとまってとなるのです。学問として客観性が担保されて、わかる言葉で、造語や、修飾語、で語るのではなく、事実の部分と幻想の部分を主観的に感性的に解釈してそれを学問とするようなことは受け入れられないのです。それは信仰です。神学とでもいうべきです。信仰が悪いというのではなく、それは個人の幻想領域での話しで、それがいつしか共同幻想になることを願っているとしたら、真っ平ごめんというしかないわけです。著者もそこのとこは十分承知の上であえて自己表出することは現代の日本社会(1985年)に危機感があったのだろうと思ったしだいです。それはさておき、この本を文学として、あるいは信仰告白として読むことで、一人の日本の民俗学者の内面が見えてくる。1922年生まれの著者は青春の真っ只中で戦争と向き合います。毎日が死神の草刈り鎌のまえにいるような日々のなかで自分の生死を見つめざるを得ないわけで、そのような体験が後の彼の民俗学に大きな影響を与えていると思います。

「まったく、当時のわれわれにとっては、死ぬことが重荷であった。衣装を一枚一枚脱ぎ捨てて、そして今度は己自身の肉体を脱ぎ捨てて、身軽になってでかける旅であるはずなのに、死ぬってことの重量が朝から晩まで肩にのしかかっているようであった。敗戦がもはや濃厚に感じられる日、海岸へ出かけた。そのときである。新しい潮のながれとともに波に千切れたわかめの一片が流れてきた。濃緑色の姿態を流れに任せて、実にゆうゆうと流れてきたわかめ。その姿を凝視していると、おのれ自身の生の束縛からまったく自由であり、しかも、おのれの住む世界に対する深く、ゆるぎない信頼が感じとられるのであった。不覚にも涙がながれてきた。そうだ、これでよし、と思った。これで安んじて死のう、そう思った。」

戦後生き残った兵隊や死を覚悟した人の話を聞くと、最後は自分の死は家族や、仲間や、自分にかかわった人のために死ぬということで気持ちが安らぎ、死を克服したということを聞きますが、天皇陛下の為にという人はまずいない。共同体とか家族など<自分以外への帰属意識>が死をも乗り越える力になるという体験が強く影響したのではないかと思います。一般的には戦後それは裏切られることが多かったのですが、幸運にも彼の場合は民俗学の道に進むことができた。日本の民俗学といえば柳田、折口が大きな影響を持っていたわけですが、彼も方法的に同じ系譜にあると思うのです。生と死、この世とあの世、聖と俗、カミとおのれ、つまり二元論的な世界観のなかでの組み立てで、もっとも彼の責任ではないのですが著者が批判的な西洋的な近代思考の枠組みと同じようなのはすこし苦笑いです。戦前なら柳田、折口民俗学でよかったのかもしれないが、戦後になってそれをもちだされても、読み方によっては面白いところも在るが、この言葉で閉めます。


「言えることははっきり言えるものだ。はっきり言えないことは、沈黙していればいい」ルートリッヒ・ウィトゲンシュタイン


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