碧空の下で

人生の第四コーナーをまわって

最後の酒

2007-12-30 21:52:41 | 日記風雑感
当時私は高校生でした。県の高校山岳部の合同合宿を
剣岳で行うため、馬場島に来ておりました。
三月といえば下界は春ですが、3千メーター級の北アルプス
では、冬とかわりません。当時冬山登山は高校生には禁止
されていたので、春山合宿が積雪期の本格的登山でした。
メンバーは県内の高校山岳部員と社会人山岳会の合同パーティー
約25名ぐらいでした。行動計画では、二つのパーティーが
それぞれ別のルートから剣岳本峰頂上をめざし合流して下山する
事になっておりました。社会人パーティーは剣尾根を
大窓、小窓、三の窓を経由して、頂上に行き、早月尾根を
登ってくる高校生パーティーと2600メーターふきんで合流し、
高校生パーティーの頂上へのアタックをサポートした後
下山するという計画です。どちらのパーティーにとっても
都合のよい計画で、社会人パーティーにとっては、
荷物の量が少なくてすむし、高校生パーティーにとっては、
頂上の様子が分かるので、安全性が高くなるということです。
したがって、言ってみれば高校生は運搬要員で、社会人の
ラッシュ登法のサポート隊みたいもんですが、
新米の高校生には得るものは多くありますがかなりきつい登山でした。
正直この登山で燃え尽きた部員もかなりいました。

3月の馬場島はまだ積雪が50センチぐらいあるので、
雪の上に大型テントを張って、作戦本部兼食堂とし、
高校生は、それぞれの高校といっても3校だったと思いますが、
それぞれごとにウインパー(冬用テント)を設営しておりました。
うちの高校は人数6人と多かったので、合同合宿の
主導権を握っておりまして、口には出さないけれど、
第一次頂上アッタックメンバーには必ず入るぞと密かに
闘志を燃やしていたのです。ポーラシステム(極地法)での
登山は最後に頂上に立つ者は限られてくるのです。運がよければ
全員頂上に立てるのですが、まず、無理なことは、高校生でも
知っております。誰が最後に選ばれるかは、その時にならなければ
分からないのです。したがって、誰もが納得するような、体力と
技術と度胸をアピールすべく自然と態度に現わすのです。
入山初日はみんなはりきっております。物資の荷揚げも、無理しても
多く担ぐくらい元気で、声も大きいのです。食事の準備も手早く
やらないと、すぐに暗くなるので、てきぱきと動きます。
腹が減っているのもありますが、社会人にバカにされないよう
緊張感もあるのです。そして唯一の楽しみである、食事をすますと
あとは、寝るだけですが、修学旅行気分の初日ですから、
若い高校生ですから、簡単に寝るわけがないのです。
いつも、初日の夜に寝不足になって、翌日の行動に影響が
でたりするのは、分かっていましたので、今回私は、周到な準備をした。
なぜなら本格的な積雪期の登山ははじめてだったので、
いろいろ、本を読んだりして登山についての知識を、受験勉強
よりも深く、授業よりも真剣に吸収していたのです。
特に雪山の遭難については、頭からはなれませんでした。
いざというときに生き残るためには、何をなすべきかについて
真剣に考えていました。その結果、愚かというか稚拙にも
即、寝ることができるように、催眠剤を密かに持っていくことでした。
つまり酒を持っていったのです。ウイスキーのポケット瓶に
甘いほうがよかろうと赤玉ポートワインを混ぜて、
シュラフにしのばせてきました。酒はあまり強くないというより
弱いほうなので、一口二口飲めば、即高いびきとなる算段でした。
もちろん、見つかれば、アウトです、高校生がしかも神聖なる
登山で酒を飲んだとなると、顧問の先生の責任問題にもなりかねない
のですが、そんなことまで、考えないのが、高校生なのです。
その晩、谷底に落ちる不気味な雪崩の音を聞きながら、シュラフにもぐり
口にした酒の味はわすれません。
写真はイメージです剣岳ではありません
つづく





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