碧空の下で

人生の第四コーナーをまわって

インド紀行3

2007-02-13 21:37:31 | インド紀行
この地には世界から人が集まってくる。
恐らく、この土地の住人の半分ぐらいの人数のよそ者
がいつもこの町にいるのではないか。
国内国外を問わず、死臭をもとめてやってくる。
人の死を見届けることによって、自分の生を確認するのだ。
仏教の修行に死体を自然のままに置きそれが
腐敗しやがて、白骨になるまで
毎日それを見届ける行があるそうで、
死から隔離された我々にとっては、想像することはできても
実際に体験できないが、それに近い経験ではないかと思う。
つまり、死の側から生を観ることを、教えられるのです。
この視点は根源的な視点で、人にとって普遍的なものだとおもいます。
仏教が世界の人々に影響をあたえるとしたら、
この視点から観る世界を説いてもらいたいものです。
ブッダはこの河のほとりで、なんと考えたのか
勉強不足で知らないのですが、手塚治の「ブッダ」によると
このあたりで、ブッダは修行したそうですが。
はじめて、弟子に説法したとされるのが、
バラナシから東へ10kほどのこの地です。
日本人には鹿野苑とよばれています。鹿が多くいたらしいのです。
そして、その鹿がブッダの説法を聞きに集まったと言われている。


サルナートには仏舎利(ソトゥーバ)の元祖というか本家があります。
ブッダの遺骨が埋葬されているそうで、軽薄な仏教徒の私でも
足をのばして行ってきました。
当時のお寺の跡が残っており、その大きさからみると、
かなりのものだったに違いないと思われるのですが、
日本なら、国宝級の遺跡であり、それこそ、厳重に管理される
こととなるのですが、ここはインドです。
ガイドに従った観光客が歩いていなければ、ここが、
仏教史上重要な場所だとは思えないのです。
大きな舎利搭はありますが、柵があるわけではなし、
あるがままにあるので、遺跡っぽさがきわだっておりました
諸行無常の言葉どうり、仏教らしいというか、見方によっては
いまだに、身をもって仏教をつたえているということです
もちろん、管理はされているのですが、それが証拠に
草がはえているわけではなく、歩く道も整備され、
最低限の管理はなされているのですが、ヒンズー教
になったインド人にとっては、この程度でよいと...
そんなわけで、私は、舎利搭(ソトゥーバ)に触りながら
小石を拾って記念のお土産にしました。
後で考えると罰当りなことをしたかもしれません。
たとえ小石でも1人が持っていけば、みんなもっていくようになり
そうなれば、舎利搭はすぐになくなって消えてしまうことになる
ことを考えてみなければなりません。
30年前の話ですがね。
いまその小石は、貧乏して仏壇とともになくなりました、
やはり罰が当ったのかもしれませんね
因果応報、盛者必滅、色即是空、南無阿彌陀佛








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