碧空の下で

人生の第四コーナーをまわって

大きな樹の物語3部4

2023-11-01 12:00:00 | 大きな樹の物語

まだ生ぬるいシャワーの水滴を顔に浴びて、気を取り直したようにシャワールームから出てきたジェーンは素っ裸のまま寝室をよこぎって、ベッドのわきにある箪笥の引き出しからタオルを出し印度人のターバンのように頭に巻きつけてチャックの方へ向くと、午後の日差しに照らされた白い裸体の輪郭がはっきりと浮かびあがって、彼の脳裏にいやがうえにも焼き付くようなポーズでシャツの袖に腕を通してベッドの端に座った。

「私ね、子供を産んでから少し変わったと思うわ。人から見たら自分を追い詰めているように見えるかもしれないけどね、気持ちは楽になったのよ・・あなたに話したことはなかったけど、私には七つ違いの妹がいたの小さいころ、妹がまだ赤ちゃんだったころ交通事故で亡くなったんだけど、父親が飲酒運転もあって事故を起こしてね、その時抱いていた私のせいで妹が亡くなったと思い続けたわ。その後いろいろ事情があって家族がばらばらになってそれで家を出たのよ・・ヨセミテで初めてジョンに出会ったころまで私の気持ちは屈折していたのよ。それで変なこと言うようだけど初めて子供が生まれて、亡くなった妹の命が帰ってきたような気がしたわ。その時からそれまでの自分じゃなくなって、なんていうか心がピュア―になったような気分がしてるのよ。だからその気持ちを大事にしたいのよ。人になんと言われようとこの自分の気持ちのままでいたいの。」

「ああ、過去の事情はよく知らないけど、それはなんとなく分かるよ。やはり君は無敵のジェーンだ。」

「まあ、その名前はハンスが付けたなあだ名よ。あなたに言ったことがあったかしら。」

「実は一度ブルトマン牧師と会ったことがあってね。以前君を尋ねてきたときに、君が不在で店も閉まっていたので、近所の人に尋ねたら、ブルトマン牧師に訊けば分かると言われて・・その時は子供の話や詳しいことは知らなかったけどね。純粋な心を持てるジェーンは無敵だと言っていたよ。・・」

「最初は牧師さんのからかい半分に聞いていたけど、今となってはこれがハンスの遺言になったのね。・・彼が言っていたけど、人はそれぞれ自分の仮面を求めているのよその仮面に自分をはめこんで生きようとするって、喜びも悲しみも苦しみもそこから始まるのよ。・・それに気づいたの。・・これからは私は無敵のジェーンになるわよ。よろしくね。」

そう元気に言ってシャツの裾を翻して立ち上がると箪笥の中から下着を出して身に着けてからジーンズのズボンとジャケットを着て頭にはテンガロンハットを乗せると、腰に手を当てポーズを作って

「どう、無敵のジェーンに見えるかしら。」

「ガンベルトが足りないよ。ウインチェスター銃もね」

「そんなの私に似合わないわよ、もう西部劇の時代じゃないわ。このジョンの残したテンガロンハットが私には一番の武器ね。」

「『愛こそすべて』って訳だ。ジョンにはかなわないね。」

「あら、まだ亡くなったジョンに嫉妬してるの。」

そう言われてチャックは自分の気持ちを表す言葉を失ったかように、少しの間沈黙して、タバコを吸って大きく吐き出した。

「君がジョンを好きになった気持ちはよくわかるよ。俺だってジョンと付き合っていると楽しかったし、根はマジメなくせに悪ぶってみせてどっちのジョンがほんとうの彼なのか人目には分からないのが面白くって、正直魅了されたよ。・・露骨に芝居をするように見せてそれが本音だったり、自分と言う役をうまく演じようとしていた。しかもそれを人に隠さないのが好きだったよ。」

「そういえば、時々シェークスピアのセリフを口走っていたわ。それも思入れたっぷりの芝居がかった口調で。・・私は時々相手役にさせられるのよ、勝手に貴婦人にさせられたり、村のお婆さんになったり、娼婦になったりひどいのは牧場の牛にさせられたわ・・今思うとあれが手なのね、夫婦の間をうまくつないでいく潤滑油みたいな。

「へえーそれは面白いね。それでいつのまにか無敵のジェーンに仕立てられたわけだ。」

「そうさ、野郎ども今日からあたしをジェーン様とお呼び!」

声を張って、そう宣言すると、ちょうどタイミングよくラジオから流れるトランペットの音がハイトーンになって部屋に響いたが、ジェーンの耳には入らなかったし遠くを見ている眼はまだ少し潤んでいたが、言葉にして口に出すとその瞬間に何かが少し変わっていく気分にもなれたのだった。チャックはジェーンのセリフを聞きながら自身の身の振り方を考えていたが、その場で決めるにはまだ躊躇しなければならない程心の動揺が大きく残っていた。それでとりあえずお互いの気持ちがしっくりくるまで、時間をかけた方がいいのだというジェーンの考えに従ってみるよりほかにすべはなかった。彼はラスベガスへ帰ることにした。密かに期待していた彼女との生活を断念することはできなかったが、もういちど彼女との関係をじっくり考えて見る時間があってもいいと思っていた。店のカウンターに残してあったコーヒーのカップを取って新たにコーヒーを満たして、それを一気に飲み込むと二人は別れのキスをした。そしてジェーンはその日の夕方にフォルソムへと向かって車を走らせた。走り慣れた国道95号線を北上し、ウォーカー湖とグラント山の間を走ると、以前ハンス牧師とモーテェックと三人でサンフランシスコ方面へ走ったことを思い出さずにはいられないのだが、すでに二人とも亡くなってしまって、今は二つの新しい命を授けられている現実と二つの命が受け渡されているような不思議さを受け入れるだけだった。車の後の座席で黒猫がニャアと鳴いた。

「そうよね、あんたもいるよね・・無敵のジェーンよよろしくね」

荒野の道を走りながら新たな出発にそんな独り言をいってみるのだった。

 

         

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大きな樹の物語3部3 | トップ | 大きな樹の物語3部5 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

大きな樹の物語」カテゴリの最新記事