碧空の下で

人生の第四コーナーをまわって

大きな樹の物語10

2021-11-14 23:12:00 | 大きな樹の物語

 

欲望を意志とすり替えることに無頓着になったのは、今に始まったことではないのだが、ソ連の崩壊によって力による外交を正義だとたやすくすり替えることができた。その代償として、得たものは何であったのかそれを判断する基準すら、もはやこの国では分からなくなっていく。軍人であったモーテェックは洞窟の中に長い間いたような思いを持っていたが、それは自分の内に閉じこもっていたのではなく、自分を無くしていた時間だったように感じていた。そして人生で一番重要な時を売り渡したのではないかということには気付いてはいなかった。洞窟の中から引きずってきたものは、自分自身への不信という危うい感情と社会との距離感であった。しかし5年間在籍した陸軍を除隊して、故郷へ戻ってきたときには、自分の将来に新しい希望を持って進める喜びが大きかったし自分の努力で一歩進んだことには満足していた。彼はアリゾナのテンピの町のはずれにある、サウスマウンテンに近い学生アパートにひとまず居場所を定めて、大学へ通う生活をはじめてはいたが、彼が想像していた学生生活とは違って、実際は、生活費を稼ぐための仕事と両立させなければならず、上官の命令に従っているだけの軍隊よりもむしろ、孤独な生活をおくることになった。彼にとっては真の意味で自立するための第一歩であるのだが、なぜかいつも受動的な感情にとらわれていて、それが何をするにも影響を与えていた。そんなある日、学校での授業でコンピュータープログラムの作り方を学ぶ機会があって、様々な関数の働きを使ってプログラムを作ることになった。ある学生が、乱数の働きをまねたいかさま博打のプログラムを思いついて、それをモーテェックと一緒に作らないかという誘いがあった。

「うまくいけば、ラスベガスに売りこもうぜ」

「いかさまだと言って最初から売り込むのかい」

「いかさまだと言って売り込めば、罪にはならないさ。それで客はいかさまを楽しむのさ。何がいかさまか、知りたいと思うだろ。」

「そんなものにお金を払う人はまずいないと思うけど」

「博打で金を儲けたい奴は最初から見向きもしないだろうね、でも世の中にはへそ曲がりが必ずいるんだよ。なぜ負けるのか分かっただけで満足するのさ」

「人生をなぞるゲームさ、スロットマシーンに比べれば高級さ、だってスロットマシーンはいかさまだよ。みんなそれを承知でやるわけだろ」

「いかさまマシーンのいかさまを解明したら大当たりのボーナスを出すようにすればどうだい」

「そうなると、いかさまとは何かということになるじゃないか」

「ちょっと、面白そうじゃないかい」

「それは、そうだけど、考えてみるよ。いかさまについて・・」

「それはフェイクさ、フェイクを楽しむことさ」

「人はだまされたがっているという訳だ」

「それだよ、人生ゲームさ」

「それで、幸福になれるのかな」

「それは俺たちが考えることでないさ、そんなことは大統領の仕事だろ」

そんな冗談とも本気ともつかないことを考えることができる学生たちと付き合うのは気晴らしにはなるが、心に響くものは感じられないし、経歴や年齢のギャップもありモーテェックは決して自分の期待した学生生活を始めたわけではなかった。そんな折大学の掲示板にある広告が出ていたのを見つけたのだ。それは学生の悩みについて相談するという占い師のものであった。緑色の枠に白い梟の絵が描いてあるポスターには占い師の住所と地図が載っていた。彼は占いなどというものは一切信用してはいなかったし、軽蔑さえしていたが、フェイクを楽しむという意味で一度覗いてみたくなったのと彼の命令を望む受動的な気持ちが占いの家へと足を向かわしたのだった。授業が終わってアリゾナの強烈な午後の陽が傾き始めたころに彼はその家を見つけることができた。一度は探すのをあきらめかけたが、自分のアパートへ帰ろうとして、サウスマウンテンを目印に歩いていると、白い犬が横丁へ入っていくのが見えた。それを眼で追っていると、通りの角に小さな看板があって、梟の絵が描いてあったのだ。テンピの街のほかの住宅から見れば決して大きくない平屋の家の庭には藁が撒かれて、幼いころに嗅いだ藁の匂いを思い出させた。そこはまるで牧場の小屋に来たような雰囲気を持っていたが目印の看板には梟の家とだけ書いてあった。午後の日差しが部屋の中に広がるその家の居間で彼は老婆と向かい合っていた。そして老婆の昔話に引き込まれて聞いていたが、その話を聞いているうちに、彼はそれが昔父親から聞いた伝説めいた話と同じようなことを話していることに気付いたのだ。大きな樹のことインディアンのこと精霊の話。その瞬間、思わずその話をさえぎって叫んでいた。

「母さん!母さんなんだね!」

モーテェックは興奮していた、自分でも何を言っているのか混乱していたが、それには強い確信があった。

「僕だよ、モーテェック・ファーマーだよ。覚えてないかい・・あんたの息子だよ・・父親の名前はブラウン・ファーマーだよ、見てくれ、馬車から落ちたときにできた頭の傷を・・」そう言ってお辞儀をするように頭を差し出した。するとその老婆は彼の頭を少しの間見ていたが、急に別人になったように甲高い笑い声になって、

「はっはっ・・そんな頭を見せられても、私は知らないね、お前さんおかしいんじゃないかい。私がお前さんの母親だって、冗談のつもりで言ってるのかい。・・私には子供はいないよ。まったく何を言い出すんだい。こんな人は初めてだよ ・・はっはっはっ・・」

老婆は驚きと、警戒の目に変わった。

「帰っておくれ・・ 料金はいいからね、さっさっと出て行ってちょうだい。」

モーテェックはひるまなかった。自分がこの場所にいる権利があるというふうに

「もう少し話を聞かせてくれないか、確かめたいことがある」

「いい加減にして、さあ出て行って、さもないと警察に電話するからね」

そう言って老婆は電話の受話器をつかんでいた。

「どうしてだい。なにか言えないことでもあるのかい。教えてくれよ。」

「しつこい人だね、警察に電話するよ」

そう言って古い電話機のダイアルをさっさっと回したのであった。その予期せぬ行為によってモーテェックの心の中に怒りの炎が燃え上がった。

「何で警察をよぶんだ!俺は何も悪いことはしていない!話を聞かせてくれと頼んでいるだけだろう」大きな怒鳴り声を上げていた。長い間押さえつけられていた感情のピンがはじけ飛んだ瞬間だった。軍隊にいた時から、いや子供の時から抑圧された感情がついに怒りとなって爆発したのかもしれない。なんでこんな理不尽なめにあわなければならないのか、彼は老婆の持っていた受話器を奪い取ると、床に叩きつけた。そしてまだ相手の声が聞こえる受話器を足で踏み潰してしまっていた。その行動に急に老婆はおびえて、隣の部屋へ逃げたが、すぐに戻ってきて震えながら両手で持った拳銃を前に突き出した。モーテェックは全身にアドレナリンがまわるのを感じた。そして兵士としての本能か急に怒りが収まり冷静になった。この場合二つに一つで、相手を無力にするか逃げるかの選択だが、彼はそうではなかった。何が彼をそうさせたのか分からないが、

「さあ、撃ってくれ、撃てるものなら、撃ってくれ!」

そう言って老婆の前に進み出た。その時銃弾が彼を貫いた。老婆の撃った弾がテーブルの角をえぐり白い破片を飛び散らせて彼の左腿を貫いた。彼は一二歩よろけて前に進みながら、床に膝をついたが、足を引きずりながら老婆に近づいて、大声で叫んでいた。

「さあ殺せ、俺を殺せ!それが望みなんだろ」老婆はその姿を見ておののき震えながら手に持った拳銃を床に落として隣の部屋へ逃げ込んでいった。痛む足をさすりながらモーテェックはその床に残された黒い拳銃を見つめていた。見覚えのあるそれは彼の父親が子供のころに見せてくれたコルトパイソンのリボルバーだった。その時彼はいったい何を考えていたのだろうか、手に取ってみようと懸命にじり寄って、その銃を手にしたとき、玄関のドアが開き、警官が二人、銃を構えて突入してきた。警官は銃を持ったモーテェックを見るや有無を言わさず銃の引き金を引いた。二発の銃弾が体を貫いていた。それでも彼は父親の拳銃を離さずじっと見つめながらつぶやくのだった。「父さん・・」その一言を息をはくようにかすかに言ったと同時に、床には赤い血が流れ始めていた。庭の藁にとまっていたオレンジ色の多くの蝶が銃撃の音に驚いて一斉に飛び立ち黄昏空に黒い影を描いて飛でいた。

翌日、<モーテェック・ファーマー24歳大学生アリゾナのテンピにおいて家宅侵入により射殺された>と小さな記事が新聞にのった。

      

        


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