碧空の下で

人生の第四コーナーをまわって

大きな樹の物語2部12

2023-08-27 22:43:24 | 大きな樹の物語

 

「ちょっと聞きたいが、ブラウン・ファーマーの奥さんについてはなにか知ってますか」

外からカウンターに戻った管理人に尋ねた。管理人は昔の思い出を懐かしむように、写真の人物ブラウン・ファーマーを眺めながら、話しはじめた。

「あの頃は景気が良くてね、トラックの運送をはじめた頃さ。ここのトレイラ―コートもそのころ始めたのさ・・・名前はアリスだ。もっぱらブラウンが惚れたという噂だったが、結婚してから彼女がスピリチュアルか自然保護だったか、そんな団体にのめりこんだんだ。それでブラウンが怒って子供を引き取って別れたって聞いたよ。ブラウンが亡くなる前に言ってたけど、息子がコヨーテにいつか殺されるかもしれないと言っていたんだ。なんでそんなことをいうのかよく分からなかったがね・・息子さんが射殺されたのはコヨーテが関係あるのかい。」

「それは分からないね。・・ところでそのアリスの顔を覚えているかい」

「だいぶ昔のことだから、思い出しても今じゃ別人だろ。ああ、いつもインディアンがするようなヘアバンドをしていたね。それぐらいさ覚えているのは・・」

出されたトーストに辛子をたっぷり塗って、一口食べてコーヒーで流し込んだ。虚構の暗いトンネルから急に明るい現実にとびこんだような驚きの中で、今起きている現実の展開がむしろ虚構ではないかとさえ思えるほどに、睡眠不足のせいかすべてが夢の中に起きていることのように感じられた。

「後で電話を借りるけど、いいかい。」

そう管理人に言ってハンスは、自分の車に戻って行った。車から降りるときは気付かなかったが、ボンネットにはモナーク蝶のオレンジ色の翅が沢山こびりついていた。よく見ればまだ翅を震わせている蝶もいる。こんな乾いた荒地にも多くの蝶が飛んでいるのだ。ワイパーにはさまった一匹の蝶をつまんで捨てるとまだ生きていたらしく、弱弱しく翅を動かして飛んで行った。朝陽で少し温まった車内に入って座席を倒すとタバコに火をつけて一息ついたが、すぐに眠気に包まれてまた寝入ってしまった。しばらくして目覚めたのは、遠くで呼ぶような管理人の声だった。保安官からの電話が来ているというのだが、目覚めの時の混乱している記憶を食堂のカウンターヘ戻る間に立て直して、電話の受話器を受け取った。

「ああ牧師さんかい。伝えたいことがあってね、今日はあなたのおかげで忙しくなってきたよ」

食堂で話した時の保安官とは別人のように、声高い話方で保安官が話始めると、カウンターの向こう側に入った管理人も聞き耳を立てるようにハンスの方に注目した。

「今朝話していた占いの婆さんのことだがね、テンピの自宅にはいないよ。いまセドナにいるという連絡が入った。セドナで事件があって、怪我をしたそうだ。あの婆さんはこのあたりじゃ意外と有名人でね、セドナで集会中にトラブルがあって、誰かが銃で撃ったらしい。それでこれから検問に行かなきゃならないので、連絡したわけだ。」

「撃った犯人は判っているのかい」

「くわしくは判らないが、頭のいかれた白人だってことだ。サリンジャーの本を読みなら急にわめいて銃を撃ったそうだ。連絡によるとこちらに向かって逃走したらしいんだ。婆さんが入院したところは西セドナの入り口近くのヘルスケアーメディカルの救急診療所だ。州道89a沿いにある。もし行くなら向うの者に連絡しておくが・・被害者の名前はアリス・オウル60歳黒人だ。」

「ああ、行ってみるよ、彼女の容体は悪いのかい」

「それはよく分からないが、会ってみてのお楽しみさ牧師さん。向こうはまだ早いと言うかも知れないがね・・またよかったら、連絡してくれ。じゃあな」

「忙しいところ、ありがとう」

電話の話が終わると聞き耳を立てていた管理人が寄ってきてつぶやくように言った

「牧師さん。もしアリスに会えたら伝えてほしいことがあるんだ。ブラウンはいい奴だった。友人として今でもそう思っていると・・俺の名前はアンディ―だアンディー・ベイカーがそう言っていたと伝えてくれないか。それだけでいいんだよ。・・」

「アリス・オウルにそれだけ伝えればいいのかい。私は牧師だから口は堅いよ、遠慮なく・・」

「アリス・オウルは芸名さ。本名はアリス・フォークナーだ・・・あと元気にやってると付け加えてくれればいいさ・・」

「分かった・・そう言うよ。セドナへはどれだけ時間がかかるのかな。」

「そうだな2時間てぇとこかな、ガソリンは満杯にしてな。直線道路に飽きても旧道には入るなよ砂漠でエンストしたらコヨーテの餌食だからな。」

「ああ、忠告をありがとう。」

「じゃあ気を付けて。

管理人のアンディ―・ベーカーはそう言って水の入ったペットボトルをハンスに渡して車に乗った彼を見送ってくれた。「人はみな、自分自身の夢想を、できるかぎり実在に変えようとする。人間は真実に対しては氷のように冷たいが、虚構のためには火のように燃え上がる・・」そんなセリフを思い出しながらハンスは、北へ向かって車の速度を上げた。あっという間に100k/hのメーター表示と共に警告音が鳴り始めたが彼はアクセルを踏み続けていた。

 

 


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