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tokyoonsen(件の映画と日々のこと)

主に映画鑑賞の記録を書いています。

想像力の欠如

2017-04-01 17:49:07 | 日記
 今日は、エイプリルフールだ。

 子供の頃は、「では、一つ人をだましてみようか。」みたいな感じで、改まった行事か何かのように、家族をだましてみたりしていた記憶がある。だまされる家族の方も心得たもので、うやうやしくだまされてみたりする。
 気の利いたものでもなく、どうでもいいような「だまし」だったと思われ、特に盛り上がった記憶もない。そしていつも通り、けだるい春の一日が、とどこおりなく過ぎて行く。
 最近の4月1日は、エイプリルフールというより年度初めという印象が強いからか、忘れている方が多いし。


 ところで映画や小説でよくある設定だけど、目の前の、現実だと思っていた世界が、突然「なんちゃってね」と崩れ去ってしまう、というのはどうだろう。
 どうだろう、って何が?ですが。

 
 ちょっと想像してみた。

 が、

 「なんちゃってね。」
 
 と言われて、世界が反転して、ばーんと現れるはずの「ついに現れた本当の世界」が、全く想像できない。


 「はっ、私は夢を見ていた。目が覚めた。今まで現実だと思っていた、あの世界は、あれは夢だったのか。」
 と言っている自分。さて、では今どこにいるのか、いや、全く想像ができない。


 夢だろうと現実だろうと、反転だろうと、大した違いはないだろうと思っているのかもしれないし、ただ単に、想像力に欠けているのかもしれない。

 いずれにせよ、「なんちゃってね。」の後には、「なんちゃってね。」以上のものは来ないだろう。というのが現在の個人予測である。

 うすら風邪っ引きのけだるい春の一日が、そしてとどこおりなく過ぎて行く。(昨日引いたこの風邪が、なんちゃってね。だったらすごく嬉しい)
 

人 or 猫

2016-12-19 16:32:05 | 日記
 自分とは意見の異なる人とも、敬意を持ってつき合う。
 というのが、社会の基本ということだけれど、自分と意見を同じくする猫、というのもなかなか悪くない。

 自分と意見を異にする人と、自分と意見を同じくする猫。

 
 人は人同士だから、意見が異なっても体のつくりが限りなく近いわけで、なんとなれば共通点もたくさん出て来るんだろう。
 猫は、一緒にごろごろしている時は良いにしても、いざとなると、体のつくりが人同士よりはだいぶ違うので、相容れない部分がたくさん出て来ると思われる。猫には簡単なことでも、私には到底無理なことがたくさんある。味覚は人間の方が敏感だ。平均寿命も全く違う。


 だからどうってことでもないけど、一緒に無人島に一年間暮らすとしたらどっちだろう?と思ったら、自分は意見の異なる人、だな。

 自宅だったら断然、自分と意見を同じくする猫。


 って、何の話だ。


 

 

高速道路とETCカード

2016-07-29 00:54:57 | 日記
 今日、アフィリエイトに登録してみた。

 「アフィリエイトでも入って、少しは稼いだら?」と言われたのもあり、まあそうだなと思ったのもあり。稼げるかは分からないけど、やってみたって何か恐ろしい目に遭う訳でもない(だろう)し。
 とりあえず、二か所に登録してみた。

 しばらくすると、メールが来た。片方のところで、「高速情報協同組合」および「ETC協同組合」というところとマッチングされたという。実は月の来訪者が約100人、と嘘をついてしまった。

 
 両協同組合の方がこれを読むとは思えないので書くけれど、運転免許は持っているけど、高速にほとんどのらないような私が、なぜ両協同組合様とマッチングされたのか分からない。

 「映画と日々のつれづれのこと。というブログの内容」は、もしかしたら私がそう思ってるだけなのかもしれない。

 もしかしたら、「映画」でもないし、「日々のつれづれ」でもないのかもしれない。超高速で情報が飛び交う、生活協同組合みたいなものかな。要するに井戸端会議みたいなものかしらん。超高速井戸端会議。余計よく分からん。
 とりあえず速報でござる。

埃ホテル

2016-06-14 19:26:45 | 日記
 最近気が付いたんだけど、掃除というのはどうやら化学らしい。

 これまでも重曹やクエン酸を買ってみたことはあったけれど、面倒になって、結局市販の薬剤を使っていた。
 それが、汚れというのは酸性かアルカリ性で、酸性の汚れにはアルカリ性を、アルカリ性の汚れには酸性を使えばよく効くという。

 と思ったら、何だか楽しくなってきて、手に取るものや目に見えるものを「これは酸性?アルカリ性?」なんて考えてみたりする。人間は、ビオレUによれば弱酸性らしい。生き物は弱酸性なんだろうか。なので人間の出す皮脂にはアルカリ性の重曹や、セキソ炭酸ソーダが効くらしい。酸性とアルカリ性が、中和して手を取り合って、なじむ様子がほほえましい。そして去って行くのだ。見方を変えて、酸性の皮脂汚れが悪、それを退治するのがアルカリ性、と思うと辟易する。

 とはいえ、やっぱりこざっぱりした所に住みたいのである。

 理想は、持ち物は過不足ない実用品のみ、あるべきものがあるべきところにあり(探したりしない)、物と言う物の上には塵一つ落ちていない。棚の上を指ですうっと撫でても、埃が寄ったりしない。
 ぴかぴかである。ぴかぴかで、余計なものは一つもない、というのが理想。

 でも自分でそうするのは難しい。たとえ一瞬出来たとしても、維持するのはまず無理だろう。物も塵も人間も、入って来ては、出て行って、そしてまた入ってくるのである。

 
 重要なのは、なぜそうあるのか、ということだ。

 それによって捉え方も違ってくる。
 
 いくらぴかぴかの清潔できっちりゴージャスにしてあっても、場合によってはそれが窮屈や嫌味に感じられたりするかもしれない。
 ホテルがぴかぴかの清潔でも嫌味に感じられないのは、「お客様に気持ち良く過ごしてもらおう」という前提を、こちらも了解しているからだ。じゃあ、自分の家をぴかぴかにする理由は。
 自分自身や家族をもてなしたい、ということになる。

 自分自身をもてなしたく、なくはないけれど。どちらかというと自分をもてなしたいところだけども。
 この場合もてなすのも、もてなされるのも、自分である(ややこしい)。だから、もてなす自分ともてなされる自分が、適当なところで手を打つというか、そこそこなところでバランスを取るのである。だから私の場合、ぴかぴかにならない。


 それでホテルだけれど、私は案外、埃が残っていたり蜘蛛の巣が張っていたりするホテルも嫌いではない。(程度によるけど)

 多分、その場合は、それがそのホテルの趣き、趣向だと私の感覚が捉えるんだろう。だからむしろ、ホテル側の気配りが行き届いているとさえ言える。
 そこの、そこに残った、埃のひとかたまりにさえ、綿密な心配りが行き届いているホテル。ありがとう、ホテル。ありがとう、コンシェルジュ。これも雰囲気ですね。

 いや、さっさと埃取れ、て感じもするけど。

 最悪なのは、心配りでない、ただのものぐさと悪意の埃ホテルに当たってしまった時だ。
 その時にはさらにその先へ飛び、その、悪意と佇まいを世の中の見聞として、楽しんでしまうしかないんだろう。もちろん、二度と泊まらない。

 


 

仮説を立てるということについて

2016-06-07 01:31:13 | 日記
 兵庫県の美方郡というところにある、安泰寺のHPに行ってみた。 → 安泰寺
 
 時々、かなり多めの時々、お坊さんの話を聞きに行ったり、坐禅の会に参加してみたり、そういうことをしてみたいなあと思うけれど、これもなかなか行かない。
 何故だろう。
 何だかわざわざ行くと、むずがゆくなってしまう気がするのだ。HPを覗くだけならむずかゆくならない。

 それで、安泰寺はすごい。
 修行といっても、一週間とかの体験修行みたいなものは無く、「最低でも3年間」と明記してある。ううむ。
 ちょっと3年くらい修行体験してこようっと。という発想は出てこないだろうな。カレンダーに予定入れておかなくちゃ。って言っても、入れる予定は当然出発の日だけで十分である。

 坐禅もすごい。

 「坐禅は龍の蟠るが如く颯爽たる姿勢と凛々たる気魄が籠っていなければならぬ。」

 「『此の身、今生に度せずんば、さらに何れの生に向かってか此の身を度せん』との熱烈な求道心に燃え、一分一秒をも惜しんで全身心を坐禅の一行に投げ込まねばならぬ。」

 HP内「坐禅の心構え」、「澤木興道老師の言葉より」からの抜粋である。
 しかもこれが、最初の一行と、次の一行である。華麗ささえ感じ、少し胸が熱くなる。
 一に坐禅、二に坐禅、三に坐禅のこのお寺では、ぼんやり気を抜いてる時などないに違いない。

 その後、九世住職であるネルケ無方さんの、先月出版された本に関するインタヴューを読んだ。→ インタヴュー記事
 「本書ではユダヤ教、キリスト教、イスラム教ほかいろいろな宗教の経典およびその伝播が紹介・解説されていますが、(略)」とインタヴュアーが仰っている。読んでみたい。いや読みたい。いや読む。地球上を大移動した(ドイツから日本にという意味で)ネルケさんが、いかにその精神を浮遊させないでいられるのかが、それで少しは分かるかもしれない。

先月出版された本はこちら。↓
  仏教の冷たさキリスト教の危うさ (ベスト新書)

 今日の日記は、自分へのメモ書きだ。すぐに忘れちゃうから。忘れちゃうというより、毎日に流されてしまう。今日ももう終わりだ。あっという間。何かをしたようで、ほぼ何もしてない。「夕飯を作った」というのが唯一何かをしたと言えることだろうか。「作った」というには、ちょと簡単だったかもしれないけど。なのに、一日があと3時間くらい長ければいいのに、とも思ったりもする。でも実際一日があと3時間長かったら、疲れちゃってしょうかないような気もする。

 最初に書いたタイトル、「仮説を立てるということについて」をすっかり忘れていた。
 今、プレビューを見てびっくり。タイトルを書いておいて、忘れるなんてことがあるんだろうか。あった。仕方ないので、「仮説を立てるということについて」はまた今度。
 もう一度プレビューをチェックして、誤字脱字を直したらおやすみなさいということで。

 

 

心の声

2016-05-27 11:43:19 | 日記
 「心の声を聴く」。

 と言うと、どうも陳腐でなげやりな励まし、のような感じがしなくもないが、実は割と、心の声に従うのは重要なんじゃないかと思う。心の声とは、言い換えれば無意識の声だ。

 なぜなら、心の声は結構正しい。
 と思う。

 ただ自分がその時に理解できていなくて、意味が分かってないのだ。そういうことが多い。後から気が付くのである。「あ、これってこういう事だったんだ。」


 疑り深い私は、ずいぶん長い間、心の声を信用してこなかった。「またそんな事を言って。訳がわからない。」と思っていた。もしくは気が付かないことが多かった。自分の判断と、それによる行動の方が確実だと思っていたのである。
 それがここ何年かの観察と検証の結果、「心の声は結構正しい」という結論にたどり着いた。「自分の判断と、それによる行動」だって、その時自分で意味が分かる、という意味では確実だが、それ以外に確実なものはない。


 心の声は、実は結構ちゃんと仕事をしている。
 それに従っていると、ああこういう事だったのね、と自然と流れるように物事が進んだりする。心の声は、アクロバティックでさえある。

 「結構」というのは、保留だ。
 100%ではないからだ。と、やっぱり疑い深い。
 間違えるとか失敗するというより、修正の必要な時はある。外の力が加わるから。
 その、外的な力と拮抗した時に初めて、心の声が自由になったと感じるのである。

 なんてね。今ここに書いたことも、心の声が言ってるのか、自分の脳が言ってるのか、まだ分からない。心の声だとしたら、今思うこととはまた別の意味があるのかもなあ、なんて思う。



 

使い切る

2016-05-15 00:54:14 | 日記
 最近思うのだけれど、人は管理するものが多すぎる。正確には管理するものというより、管理すべきと言われているもの。

 例えば日々の洗濯でさえ、それなりの管理能力を使っているわけで、そんな生活のルーティーンから始まり、衣類、本、チラシの類、爪切りや歯ブラシ、自転車や玄関の置物にいたるまで、家中にあふれる物たちは、管理されるのを待っている。

 物だけならまだいい。
 
 これが時間に広がると、記憶や思い出になり、希望だってそうだ。それから心構えのようなものでは、脳や心を管理していることになる。もちろん自分の体全般は、すでに管理対象内だ。
 少なくとも建前上は。

 だから、管理すべきものをしぼって行こうと思う。世の中の要求に従って何でもかんでも管理して行くのは、自分には難題である。
 大切なものだけを贅沢に管理する。そして使い切る。


 使い切れなさそうと思うものは、そもそも頂かないようにしよう。頂くというのは人からということではなくて、自然界からというような意味で。





 

ひさしぶりの更新、そして足が向かないことについて

2016-03-23 20:15:21 | 日記
 久しぶり過ぎて、何だろう、懐かしいとしか言えない。

 最近映画も全く観ていなくて、いや全くではなく、スターウォーズとか見ましたけれど。すっかりIMax派になっています。
 小さい映画館が何だか重くて(私個人の単なる時期的な傾向で)、ざわざわ自分に向き合うことない大映画館一辺倒になっています。でもミニシアターへの愛着を忘れたわけではありません。本当に観たい映画が沢山上映されています。実際観たわけではないので観たらどのような感想を抱くか自分でも分かりませんが、少なくともラインナップに心惹かれることは以前と同じです。ただ、足が向かない。足が向かないのを無理に向かせるわけにもいかず、そのまま「ああ観たいけれど足が向かない」の日々を過ごしております。

 ではどこに足が向くのか。

 どこにも向かないのです。

 愛した猫を失ったことで、今は家の中で過ごしております。
 それでも頭の中、脳の中では毎日がジェットコースターに乗っているような気分で、もしくは一話一話、ドラマが終わり「続きは来週」というテロップが出ているようで、この眠りから覚めなければいけないことは分かっているのです。
 眠りから覚めると、愛しい猫はもういないけれど、柔らかい人々のたましいがそこにあることが見えているのです。とても怖い。

 今は、人間の無意識の力というものを考えております。

 


 

理想形ブコウスキー

2014-09-02 13:27:05 | 日記
 チャールズ・ブコウスキーの画像をプリントアウトして、ちょきちょき切って、額におさめる。
 小さな画像を組み合わせるのに手間取った。裏からセロハンテープで固定したら、曲がって付いてしまった。まあ、いいでしょう。

 ブコウスキーの色んな画像を(表情ではない、表情にはそんなにパターンがなかった。スナップの時代じゃないから仕方ないか)じっくり見られて楽しかったけど、果たしてこれは、自分は何を作ってるんだろうか、と思ってしまった。
 そもそも空のままの額があったから、ではあるけれど、何をしてるのか。ブコウスキーに憧れているんだろうか。
 私はファンで、ブコウスキーはアイドルなのか。(顔はアイドルっぽくないけど)

 ロックバンド・ファンの若い女の子の話を聞いたばかりなので、そんなことを思ったりした。まあ、似たようなものかな。彼女だって、何もロックバンドのメンバーと結婚しようとは思ってないだろう。そこに理想形を見て、うっとりとし、元気になれる、ということだろう。

 タイプライターに向かう横向きの姿を中心にして、なかなか上手くできた。

 ブコウスキーも、まさかこんなところで額にディスプレイされるとは思わなかっただろうな。クククク(笑)

 写真が撮られたことと、保存されてたことと、ネットにアップされたことに感謝。関わったすべての人にありがとう(おおげさ)。



 私が初めて読んだ、ブコウスキーの本↓ ちなみにブコウスキーが書いた初めての長編小説。『ポスト・オフィス』、坂口緑訳。

    ポスト・オフィス

足にまかせる

2014-06-23 22:35:18 | 日記
 駅までとか、駅からとか、何かと走っている時。
 「足にまかせた!」と思うと途端に楽に走れる気がする。

 以前は、「あの電柱まで」と思って足を動かしていたけど、最近は足にまかせることにした。よろしくお願いします。