tokyoonsen(件の映画と日々のこと)

主に映画鑑賞の記録を書いています。

にわかにも響く「監督のスーパープレイ」

2022-12-17 20:17:18 | 頭の中

 FIFAワールドカップ2022も、残すところ2試合。

 今晩24時に、3位決定戦のクロアチア対モロッコ。そして明日の24時には、決勝戦。アルゼンチン対フランス。

 

 ワールドカップの時だけサッカーファンになるという、「にわか中のにわか」歴も早24年。

 1998年フランス・W杯からの「にわか」で、言ってみれば根強く、筋金入りのにわかファンである。(何それ)

 

 今回は、「もう選手の名前も分からないし、見ない。」と決めていたけど、そんな決意も、崩れ落ちた。元サッカー部の旦那と、世の広告機関からの波状攻撃に、ディフェンス失敗したのである。

 

 で一回見ちゃうと、見ちゃうんですね。

 

 選手もサポーターも、監督も、ボールを追いかけ声を張り上げ、全身全霊で走り、喜び、悲しんでいるのを見るのは、本当に楽しい。そして、飛び出すスーパープレイに目を見開く。必ずどちらかのサポーターが喜び、どちらかのサポーターは悲しんではいるのだけど。

 

 スーパープレイを見ると、その時に感じる胸が躍るような感覚は、アクション映画のスーパーアクションを見ている時と似ているな、と思う。

 もちろん映画では、様々な演出やCGが使われている訳だけど、その瞬間、観客の心の機微を意図する映画監督の采配に、役者さんの身体性に、カタルシスを感じる。

 

 

 日本代表が敗退した後も、変わらずW杯を見てしまうのは、奇跡を見たいのかな。

 スーパープレイも凄いけど、選手も監督もサポーターも、全員が熱狂してその瞬間に没頭している。それだけでもう奇跡みたいなもんだ。

 

 

2年間で2841万回再生の監督スーパープレイ集。↓W杯関係なく、時々無性に見たくなります(笑) 

 

 


夜の海の音

2022-03-16 21:27:17 | 頭の中

 よく自己啓発系の本などで、「自分のこれまでの人生を振り返る」というエクササイズがあるけど、自分は結構苦手だ。
 なので、やってみたことがない。

 なぜ苦手なのかと言うと、思い出したくないことまで思い出してしまうから。イヤ~な気持ちになってしまう。
 「自分の人生に向き合わない、そういう姿勢がダメなのだ!」と言われたら、まあそれまでで、仕方ないのですとしか言いようがない。

 ただそれを見越してそういうセミナーなどに出席したことがないので、誰かに迷惑を掛けているとは思わない。勝手にエクササイズをさぼっているだけである。(謎に偉そう)

 しかしそんな自己啓発落ちこぼれ系の私に、先日転機が訪れた。
 今日お伝えしたいのはこちらである。



 オリエンタルラジオの中田敦彦さんがしている「YouTube大学」(最近はまって立て続けに見た)の、自己啓発系の回である。というか、自己啓発系が多い。

 取り上げられてた本のタイトルを忘れてしまったけど(..;)、確か「自分の本当にしたいことをする」みたいな感じだったと思う。
 毎回一冊の本や旬の話題、時には名作アニメなんかを取り上げて、中田さんがエンタメ交えて要約解説してくれるんですね。(知らない方の為に)

 その本の中でもやはり、「自分のこれまでの人生を振り返る」項目があった。


 やっぱり来たか、と脊髄反射で苦笑いを浮かべたところ、これまでとちょっと違ったのだ。
 私の自己啓発系知識は苦手意識もあってかなり薄いので、常識だったらすみません。
 とにかく、その本、とういか解説してくれてる中田さんは、こう言った。

 その時、何を感じたか。
 何が聞こえて、どんな匂いがしたか、どんな感触がして、どんな温かさだったか。もしくは冷たさだったか。

 そう。

 体の感覚を思い出しましょうとおっしゃったのである。


 その瞬間、私の中で何かがぱっと明るく光ったように感じた。
 そうか、感じたものだったら沢山思い出せる。何の抵抗もなく思い出せる。何だかとても幸せな気分になった。

 思えば多分、私はジャッジしていた。


 過去の自分のあれこれを「あれはダメ」「これはダメ」とジャッジしていて、だから振り返るのは苦しくて苦手だった。
 幸せで楽しかった事も沢山あったけど、その裏にぺたりと「イヤなもの」が張り付いていた。出会いの裏に別れがあるように。総じて振り返るのが苦手になった。

 過去を振り返る時、良いか悪いか、正しかったか正しくなかったかなんて、今裁いても意味がないのだと、初めて腑に落ちた。

 考えてみれば正しさなんて、自分の中だけでもどんどん変わる。幻みたいなものだ。
 それをその時の気分で持ち出すのは意味がない行為だと気がついた。

 感覚はジャッジしようがない。
 そう思った時、なぜ「自分の人生を振り返る」項目が苦手だったのかに気がついた。
 


 その晩私は夢を見た。

 21歳の時、一夏、伊豆の海の家で住み込みのアルバイトをしたことがあった。

 同じ位の歳の男女が6人、アルバイトとして働いていた。たった一夏の仲間で、もう連絡を取り合うこともない。倍以上生きて来て、最近は思い出すこともほとんどなかったけれど、夢の中で一人一人の顔をはっきりと思い出した。

 宿もしていたので、全員が休みの日というのはなかった。だけど一晩だけ、皆の仕事が終わった後に全員で隣の浜まで歩いたことがあった。

 隣の大きな浜には、私達の浜よりもっと沢山海の家が立ち並び、もう十分夜も更けていたけど人も沢山いた。
 そこでしばらく遊んでから、また夜の国道を皆で歩いて帰った。

 国道から見下ろす海は真っ暗で、規則正しい波の音が聞こえていて、夢の中で私はただその波の音を楽しんだ。
 目が覚めて、21歳の夏をうまく思い出すことが出来たと思った。
 大した事件があったわけではなく、ただ若さがあっただけの夏だった。あの時の6人がとても愛おしく感じた。
 あの一夏を共有したことを、皆が時々思い出してくれたらいいな、と思った。私は時間が掛かってしまったけれど。


 「自分の人生を振り返る」。

 振り返るなら、感覚を。
 
 何があったとしても、どんな事をしていたとしても、その時感じていた体の感覚は恵みだと思った。そして私は過去の自分に対するジャッジを少し手放すことが出来た。
 素敵な感覚にあふれている人生、悪くないんじゃないかな。
 
 
◇該当の動画はこちらです↓
 
中田敦彦のYouTube大学
OGPイメージ

【ずっとやりたかったことをやりなさい①】忘れていた夢を叶えた人続出の全米ベストセラー(It's Never Too Late to Begin Again)

この動画の前編・後編はこちら https://youtu.be/wrtj6URZkMs https://youtu.be/r-CuKZjl4...

youtube#video

 

◇Amazonリンク

上が今回の本です。

ベストセラーになった以下の本の続編(大人編)になります。

ご興味あれば、元々の本から読んでも良いかもしれません。ご参考までに↓

 

 

 


専業自分

2021-04-25 11:28:37 | 頭の中
 中学生の頃、「感情を無くそう」と思ったことがあった。

 要するに中二病というか、自意識過剰の状態に突入して、悲しかったり苦しかったり怒ったり妬んだりめまぐるしくなってしまい、笑うことでさえ嫌になってしまったのだ。
 
「笑うと嫌な事がある」と思い込み、「今日から一切笑わないことにしよう」と決意した日を覚えている。
 それからしばらくは、ふと気が緩んで笑ってしまうと、「あ、今笑っちゃった。いけない、いけない。」と気持ちを正して(?)いた。

 しかしいつのまにかそんな訓練もどこかへ行ってしまい、決死の「決意」がどう終わりを迎えたのかは良く覚えていない。



 それから随分時は経ち、世間の波間に浮かぶようになった頃、また思ったことがある。
 今度は、「気持ちというのは大切なもの」だった。

 たとえその気持ちが意味もなく、受け入れがたく、論理的には自然に成仏してもらうしかないようなものであっても、その気持ちがそこにあったという事実はとても大切な事だ、とある日感じたのである。
 その気持ちがどう成仏するかは分からないけど、それを無かったことにしてはいけない、それはそれで確実にそこにあって、誰かがそれを認めて感じたその気持ちは、宝石のようにきれいだと思ったのである。

 但しそれは、人の気持ちについてだった。当時とある人がいて、その人は割とストレートに感情を出す人だった。その感情を、とてもきれいに感じたんだと思う。打算のない人だった。少なくとも他人に対して打算が感じられなかった。

 その人が泣いていても何もしてあげられない私は、ただその人を見つめたり、下を向いたり、意味のないことを言ったりしていた。でもしばらくするとその人は泣き止んで笑顔になった。すると私も、先に進もうと思えるのだった。
 一分前と状況は何も変わっていないのに、気分はすがすがしかった。そして、この人が感じた感情が今ここにあったということを、大切にしようとなぜか心に感じた。

 度々訪れたそういう瞬間は、打算に閉じこもりがちな私にとって、貴重で有り難いものだった。当時明確に認識していたわけではないけど、今思えば代えがたく、素敵な体験をさせてもらったと思う。



 それからまた時は経ち、自分の気持ちについて考えるようになった。

 最近腑に落ちた。「自分が一番分からない」。
 自分で自分の事を分かってないと認めることは、結構怖いことだけど、それでもまあまあ生きてきたと思えばそう怖くない。大丈夫。

 裏には、「他人が何を考えているかなんて到底分からない」という事が、薄々分かった事もあるかもしれない。この件については、旦那に感謝したい。頭だけでなく実感を伴う体験をさせてくれたという意味では、旦那の功績が大きいからだ。


 それで、専業主婦(主夫)ならぬ、専業自分をしてみようと思った。

 人の気持ちがきれいならば、自分の気持ちだってきれいなはずだ。


 予測のつかないことや答えの出ないことを真面目なフリしてどうこうしているより、自分の気持ちに取り組んだ方が健全だ。自分の感情ほど明晰な体験はない。一つの大きな流れのように、確実に今ここにある。

 「専業自分」という唯一無二の職に就こう。最初の仕事は、自分の気持ちを認め、きれいだなと観察してあげること。