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tokyoonsen(件の映画と日々のこと)

主に映画鑑賞の記録を書いています。

ねばならない病

2019-11-15 21:35:08 | 日記
 気がついたら、「ねばならない病」に罹っていた。

 全くそんな自覚はなかった。むしろ「お気楽ぬくぬく病」に掛かってるつもりで日々過ごしてきたのだけど、そのまじめさが祟ったのか、気がついたら、「ねばならない病」に罹っていた。

 「お気楽ぬくぬく病」は、重篤になると「ねばならない病」に進むらしい。



 ちなみに「ねばならない病」とは、「~しなくては、ならない」とか、「こうあらねば、ならない」という、少しダンディーな雰囲気の病である。(そうでもないかもしれないけど。)

 体験的には、うきうきしてたり、わくわくしていたり、気分が高揚している時にわりと罹りやすい病気だ。
 だから発見が遅れやすい。

 あぶないあぶない。

はろーまいわーるど

2019-07-04 17:00:13 | 日記
おはよう、世界。

おはよう、ワールド。


なんかずいぶん放置していた。

映画を家で見られるように、
アフィリエイトページを作成している途中だったけど、
それもそのまま。

リンク生きてるのかしら。



こんにちは。

ではまたね。


畳の上で本でも読もう。

2018-06-25 16:42:23 | 日記
 ここ何日か、ぽかっと穴があいたように時間ができた。

 この機会をつかってするべき事はたくさんあるんだけど、どうも「じゃあ」とはすぐに動けない。
 ぽつぽつと現れる野暮用と、ふと思い浮かぶ野暮用と、思いつきだけで時間が過ぎる。


 神奈川は今日は、雲ひとつない快晴。夏の最初の一日が来た!



 久しぶりに本でも読もう。

 ずっと読もう読もうと思っていて置いたままだった、『逆立ち日本論』。養老孟司先生と内田樹先生の対談集。2007年の本なので、もう11年前だ・・・。
 
 まあ仕方ない。
 それでは日本の夏らしく、畳の上で本でも読もうっと。

幸せな夕方

2018-04-04 19:24:17 | 日記
 夕方というのは、雲が夕焼けで深く綾をおりなす時か、その後、完全に日が沈み、町に薄ぼんやりとした白さが残っている時間か。


 どっちでもいいけれど、
 夕方は、時間の判断を狂わせる。


 歩いていると、並んだ家と家の間や、古ぼけた小さいビルの隙間から真っ赤な夕焼けが見える。
 立体になった坂道で、向こうの空が横に長く長く真っ赤に染まっている。

 地球がくるりと回る間の、ほんのわずかな時間に訪れる夕焼け。


 そのあまりの壮大さに恐れおののくと共に、それが明日も明後日も、その次の日も訪れることを脳が知っているので、時間のとらえ方がおかしくなってしまうのだ。

 何度も何度も何度も何度も、人生が繰り返すのではないかと思ってしまうのである。

 (個人感です。)


 そして薄ぼんやりとした白い町を見ると、
 もうこの世からいなくなってしまった沢山の知り合いが、町を歩いている薄ぼんやりとした人影に、重なって見えるような気がする。



 いや、実際には見えませんよ。霊感まったくないですから。

 ただ、
 思い出すっていうだけ。

 
 自分が5歳や、6歳の子供に戻って、そこから良いことだけのつまみ食いで、くるくると地球を回すと、その猛スピードの中で、大きな夕焼けの光だけが赤々と漏れ見えるのかも知れない。




きんぴらカレー

2018-03-05 16:46:07 | 日記
 先程の話。


 残り物のきんぴらごぼうを、残り物のカレーライスにのっけて食べてみたら、激美味しかったです。

 見かけもカレーライスらしからぬ(個人的主観)、陰影ある立体感が出ました。


 のっぺりしたカレーライスの上に、ふさふさとしたきんぴら。

 色合いのマッチングもベリーナイス。



 この為にわざわざ作ったかのような、きんぴらとカレーライス。
 ちなみにカレーの具は、豚こまとしめじだけ。タマネギの粗切りを入れてましたが、ほぼ溶けてました。きんぴらはごぼうと人参。

 カレーに人参とじゃがいもを入れていなかったのが勝因かも。



 すぐ忘れちゃうのでメモっておこう。
 カレー味のきんぴらも人気だが、きんぴらカレーも推してみたい。(のっけるだけだけど)


 

大寒の蚊

2018-01-21 21:15:56 | 日記
 明けましておめでとうございます。

 と言ってみる。もう1月21日だけど。遅くなってしまいました。


 昨日街で、クリスマスツリーのような、電飾の木を見掛けた。T字の交差点で、車が右折するまでの間、見ていた。
 多分クリスマス以前から、春になるまで、そのままなんだろう。

 クリスマスの頃の気分を思い出す。

 気分的には、一番冬だ。

 ホワイト・クリスマス。


 実際は、ここ関東地方ではホワイトになることはあまりなく、寒さも12月はまだ本番とも言えない。
 「まだまだこれからだね。」
 と言いつつ、脳みそのシワは、ホワイトである。


 頬を赤くして、短いスカートやパンツにブーツを履き、電飾や、ネオン、クリスマスの音楽が、次々と波のようにかぶさってくる中、人ごみの間をすり抜けて行く。渋谷のスペイン坂のような細い坂道を颯爽と下りて行く。大股でひょいひょいと駆け抜けて行く、そんなイメージ。

 
 明日の午後から、寒波がやって来て、ここ関東でも雪が降るらしい。

 まだ黒い空には星が見えていて、そんな風には思えないけど、天気予報はたいてい当たるから、そうなんだろうな。
 明日は白い世界になるから、あの電飾の木の周りは、ホワイト・クリスマスだ。


 今日は、台所で蚊を一匹見つけた。

 こんな時期に。どこで生まれたのか。どこから来たのか、不思議だった。

 追いかけたけどいなくなってしまった。それ以来見かけないから、どこかに隠れているんだろうか。どうしただろう。

 

衣食住揃ひて足るを知るの巻

2017-11-22 17:29:29 | 日記
 昨日、衣更えをした。

 一年前の引越しの際に、だいぶ荷物を減らしたので、これまでより楽ちんだった。夏物と冬物の入れ替え自体は、何てこともなく終了。


 去年は、引っ越しの準備なのか衣更えなのか、よく分からない感じで荷物を作り、そういえば、引っ越して来てすぐ、十二月の始めに、雪が降ったんだった。
 まだまだ着ないよね、としまいこんだ(引越し用の段ボールに)ダウンジャケットを引っ張り出し、それから数々の、お宝なのか屑なのか分からないような日用グッズを箱から出し、と同時に、目についた冬物らしき服たちを、見当の付くかぎり、収納スペースに詰め込んだ。

 
 収納。

 これですね。
 新しい住まいに慣れ、使いこなす。キーワードは「収納」ですよ。まあ、皆さんそう思っていらっしゃるかと思いますけれど。

 それもただしまうんじゃダメですね。

 用途別、そして一日の流れ、身体の動きに沿った形で、しまわにゃあ意味がありません。


 台所はもう毎日のことなので、これは真っ先にかたを付けたんですが、自分の服に関しては「ただしまう」、コレでした。当然毎日服を着てますけど、全貌を把握しなくても、何とかなる訳です。


 そうこうするうちに、年が明け、大寒が過ぎ、春が来て、夏も越し。


 木の葉が散り、柿がなる頃。


 11月27日が引っ越しの日だったので、もうすぐ一年。
 一周年まであと五日というところで、ようやく新居を制しました(笑)

 四季の移りに今追いつけり。衣食住揃ひて足るを知る。なんちゃって。






 

三番目の自由

2017-10-23 23:31:07 | 日記
 うとうととしていたら、古い友達の夢を見た。

 と言っても何か話したわけでもなく、何かしたわけでもなく、ただ夢に出て来た。


 小さい頃団地の隣同士に住んでいた幼なじみで、同い年だったこともあり、色んな事を一緒にした。

 小学校に上がった頃から、お互い引っ越しも多く、出たり入ったりした。二十歳くらいの時、電車の中で偶然に会ったのが最後だ。その時は、隣には住んでいなかった。

 十代を一緒に過ごさなかったので、もうほとんど会ったり話したりすることもなかった。お互いがどんどん変わって行く年齢だったからか、偶然会ったのが少し恥ずかしいような、眩しいような気持ちがした。
 ような気がする。

 半分起きているような、半分眠っているような状態のまま、なんだか無性に会いたくなった。
 Mちゃんは、元気にしてるだろうか。
 実家に古い写真が残っていて、何枚かはよく覚えている。その中の私たちは、とても自然な感じだ。
 

 多分、つてをたどれば連絡はつくと思う。でもそうしない。
 たとえ再会したとしても、なぜ会いたくなったのかを、うまく説明出来る気がしないから。


 どこかで、四つの自由という話を読んだことがある。

 ①時間の自由
 ②場所の自由
 ③人間関係の自由
 ④目的の自由

 私もその自由が欲しいと思う。
 ただやっぱり、人間は不自由だな、と思う。


 


 

市井の人

2017-10-10 13:54:24 | 日記
 連休中、久しぶりに色々な人に会った。
 一人は二年振り、二人は十数年振り、一人は八年振り、そして一人は、二か月振りくらい。

 人は、市井の人になるために、苦労しているんだなと思う。
 苦労というか、工夫というか。


 いかにして「市井の人」になるか、確かに生まれた時からずっとそれをやって来ている気がする。
 
 無我夢中で行き当たりばったり、やり方も分からず、五里霧中、紆余曲折の右往左往、七転八倒(それは大げさ)、とにかく、何がなにやら分からないまま、とり急ぎ、とりあえず、身体機能と共に、今ここにいるけれど。


 「市井の人」というのは、例えば電車のホームでたまたま隣に立つ人に、認められるようなことだろうか。

 こちらも認め、あちらからも認められる。

 ただそれだけと言えばそれだけだ。
 

 時代もあるのかと思う。
 生きること自体が難しくても、「市井の人」になるための道筋に限れば、比較的簡単だった時代もあったのかもしれない。
 昔の人に聞いてみないと分からないけれど。

 「市井の人」というのは、先日の会話の中で友人が言った言葉だ。

 
 自分はちゃんと「市井の人」、「巷の人」に、なれているのだろうか。
 いかんせん、人生はそこそこ過ぎているから。

 

 

 

景色について

2017-04-18 20:50:36 | 日記
 目に見える景色というのは、私にとっては、ありがたい。


 目に見えるものだけではなくて、匂いや温度なんかも同じかもしれない。とにかく、目の前の景色が美しいと思えるだけで、この一瞬を切り取っておきたい、人生のこの瞬間を切り取っておきたい、と大げさでなく、思えるからだ。

 自分の今いる、360度、この周りのすべてを、記憶に刻み込んでおきたいと願う。

 人生自体が美しかろうが美しくなかろうが、関係なく、この瞬間を美しいと思える。


 美しい景色は、人工物でも自然物でも、どちらでも良いけれど、自然の方が普遍的な気がする。自分の中で長続きする。