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tokyoonsen(件の映画と日々のこと)

主に映画鑑賞の記録を書いています。

アンディ・ウォーホールのバナナの悲哀

2014-06-16 20:55:45 | 日記
 エクアドル産のバナナが美味しいという話を熱めに語っていたら、ユニクロの「アンディ・ウォーホールのバナナの絵」Tシャツをプレゼントして頂いた。
 翌日、エクアドル産の一本もの高級バナナを持参する。と言っても一本150円(高級とは言えバナナ価格)なので、一緒にGODIVAの粒粒チョコをつけて、ついでに高級チョコバナナもお楽しみ頂けるようにしてみる。「ではこの粒粒チョコを、バナナに埋め込んで食べてみます」と先方は言っていたけれど、本当にそうしただろうか。

 八百屋などで見ていると、バナナにも結構色々な種類があるように思える。けれど、店頭で見る名前は、「バナナ」、「高原バナナ」、「台湾バナナ」、「モンキーバナナ」の4種類くらい。あと赤い「レッドバナナ」。「バナナ」はそのままだし(当たり前だけど)、「高原」と「台湾」は産地の特徴と国名をつけただけ、「モンキーバナナ」は唯一名前らしいと言えるかもしれないが、なにかその小ささを侮っているような気がして今一つ気が乗らない。ラカタンバナナ。東京マラソンで配られるというスポーツ・バナナだ。スポーツ・バナナとは何ぞやと思えば、クエン酸が多く含まれているのでエネルギー代謝がよく、スポーツマン向けということらしい。

 現在日本国内の市場で出回っているバナナの約90パーセントは、フィリピン産のジャイアント・キャベンディッシュ種ということ。大きくて、食べごたえもあるし、皮も厚い(皮が厚いのが何の役に立っているのかはよく分からないが)。とにかくきれいなレモン色なのである。キリンのようになったら食べ頃、という言い方も、このバナナの為のように思える。

 バナナについての記事を見ていたら、今をときめくジャイアント・キャベンディッシュの前には、世界の覇者、その名をグロス・ミッシェルというバナナがあったそうだ。ところが1900年代半ばにバナナの大敵パナマ病が蔓延し、グロス・ミッシェル種は壊滅。その後に改良され出てきたのが、ジャイアント・キャベンディッシュ種らしい。ウィキペディアによれば、1960年代には完全にキャベンディッシュがグロスミッシェルに取って代わったという。


 ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの1stアルバムは、1967年発売だ。
 言わずもがな、アンディ・ウォーホールのバナナの絵は、このアルバムのジャケットに使われた。

 このバナナの絵の商標権をめぐり、アンディ・ウォーホール・ヴィジュアル・アーツ基金なるものと、バンド側が争っていたらしい。2013年5月29日に示談により和解が成立したという記事があった。http://ro69.jp/news/detail/83068
 そう思うと、ユニクロのTシャツの絵にも感慨深いものがある気がする。そういやユニクロはMoMAニューヨーク近代美術館のスポンサーにもなっていて(MoMAのサイトのトップ・ページに堂々とロゴが出ている)、何故かニューヨークが好きなんですね。


 アンディ・ウォーホールのバナナの絵は、別に悲しくはない。ただのバナナだから。

 ただ気になるのは、このバナナがグロス・ミッシェル種なのか、キャベンディッシュ種なのかということだ。


  Velvet Underground & Nico

中国インディペンデント映画祭2013

2013-12-09 22:28:47 | 日記
 5作品、観ることができた。

 ポン・タオ監督 『嫁ぐ死体』、リー・ルイジン監督 『白鶴に乗って』、チュウ・ジョンジョン監督 『マダム』、ウー・ウェングアン監督 『治療』、シュー・トン監督 『唐爺さん』。後ろの三つはドキュメンタリーだった。

 上映後のトークなどで聞きかじった話だけれど、中国では検閲があるので、今回の映画祭で上映された作品のほぼすべては、映画館での一般公開という意味では中国国内では上映されないらしい。普通には観ることが出来ない。なので監督たちは、外国の映画祭(今回のような)での上映を目指すか、もしくは検閲を通るために様々なシーンをカットした、国内用のものを作ることになる。
 唯一、子供が主人公で、子供を追ったストーリーの作品だけが、上映許可が下りたらしい。そういう傾向ということだ。イランと同じである。子供の映画は楽しいことが多いし、いい映画も沢山あって好きだけれど、誰だって、いつかは大人になるのだ。ならざるを得ない。大人になってみると、何もないなんてことがあっていいのだろうか。キョンシーや、時代がかった盗賊や貴族だけが大人ではない。(キョンシ―って大人とかあるのか分からないけど。)

 それで、TⅤで見る中国と言うと、漁船とかコピーネズミとかばかりでもう見飽きたようにも思うので、こういう映画も上映したら面白いんじゃないだろうか。もちろん、敬意を込めて。見方によっては(たとえば検閲元の中国政府から見れば)、経済発展と何の関係もなく、そして強く正しいばかりじゃない中国を出すなと、お怒りの面もあるかもしれないけれど、そこにはとても美しい景色があり、また出てくる人たちは、泣きもし笑いもし、美しい人たちばかりだからだ。それは、監督たちが一つ一つ丁寧に拾い上げ、大切にしている中国のはずだ。



 

クリス・マルケルの「映画エッセイ」

2013-10-17 22:28:56 | 日記
 山形国際ドキュメンタリー映画祭へ、一日だけ行ってきた。

 「未来の記憶のために__クリス・マルケルの旅と闘い」という特集を、一日だけ観る。

 その日の題目は、『ベトナムから遠く離れて』、『美しき五月』、『彫像もまた死す』、『北京の日曜日』、『シベリアからの手紙』、『宇宙飛行士』、『ラ・ジュテ』、『もしラクダを四頭持っていたら』、『エクリプス』。

 全部で45作品が上映されるというのに、後の4日分はまるまる見られない。それでもまる1日、浸れたのだから嬉しかった。

 面白くて興味深くて、興奮したり涙したり、深刻な顔つきになってみたり。そういう作品はたくさんあるけど、私にとってクリス・マルケルの作品は、相性がいいみたいだ。ユーモア。着地しないけれどくっきりとした意思が、あっけらかんと写されている。
 何の力か分からないけど、深くて広くて、それで自由な透明な力がぐんぐんと広がった。何のためだか分からないけど、生きて行くのが楽しいような、無闇やたらに力が湧いてきた。




愛は寄生に似ている、とか

2013-04-19 23:18:57 | 日記
 今日の夜は、想田和弘監督の観察映画、『演劇1』『演劇2』で観察のターゲットになっていた、平田オリザさんのお芝居を観に行った。

 『この生は受け入れがたし』。
 東北のとある大学の、寄生虫研究室が舞台だった。お芝居に出てきた学者の奥さんは寄生虫を相当嫌がっていた。そこまで嫌かなあ。私はそんな嫌でもないけど。怖いもの見たさかもしれないけど。
 愛は寄生に似ている。
 平田オリザさんがそう言いたかったのかは分からないけど、観ているうちに、寄生の形は複雑すぎて愛おしいという気がしてきた。比べたら、共生という概念はわりとシンプルかもしれない。寄生は愛おしい、でも間違った宿主に寄生すると暴力になってしまう。とか。寄生虫はそういうことらしいです。

 映画を観ていたからか、こまばアゴラ劇場は初めてな気がしなかった。今日は昼間も人混みの中にいて、アゴラ劇場もぎゅうぎゅう詰め。帰りの電車も満員電車だったけど、あんまり疲れた気がしない。
 

始めました。

2013-03-20 21:27:30 | 日記
 主に映画の感想をと思ったけど、そうじゃないことになりそうな気が。
 はたして初投稿から。

 ブログをするのは三回目。2,3年やってはやめてを繰り返し、また始めました。あ、ちがうわ、ブログの会社が三つめだ。(どうでもよいですが。)
 ブログって、起承転結がないように思う。
 一つ一つの記事にはあるのかもしれないが、ブログをずっと続けて行くうちに、このブログはいつ終わるんだろう?と思い始める。春が来て、夏になり、秋が来て、冬になる。
 そう思い始めると、やめどきなのかな、と思う。
 数々の放置されているブログは、そういうことなんだと思っている。(削除されてしまったブログも)

 あらま、始めたばかりで、終わりのことを書くなんて。