クリント・イーストウッド監督、2021年、米、104分。原題は『Cry Macho』。
見終わった瞬間、「これは奇跡だ…」と目がまん丸になり、息がとまるかと思った。
クリント・イーストウッドは品の良い魔法使いだと確信した。
一つ一つのシーンが大切な大切なタカラモノだった。
後半、全体の感触に馴染んだ頃思わず涙が滲んだけど、それはストーリーとは全く関係がない。
その涙もラストシーンに至っては、未知の、新鮮な水で全身をすっかり洗われたかのような清涼感に変化していた。
もうね、全てが詰まってるんですよ。
全てって言うのは、俳優であるクリント・イーストウッド、40歳で映画を撮り始めたイーストウッド監督、映画そのもの、遊び、感情、人生、、etc.
でも私が一番震えたのは、「時間」だった。
少年と元ロデオ・カウボーイの老人という対比、場所の移動に伴う時間、というストーリー上の直線的な時間も勿論ある。
そこに差し込まれる、スクリーンを超えた映画史的な時間。
そしてそれらを難なく包み込むもの。もう「愛」としか言いようがないのだけど。映画への愛、人生への愛。
過去も未来も全てがそこに、自然にあった。
語ることなく、ただ品良く、ふわりと、ただあった。多分「永遠」を感じて、私は涙したのだと思う。
永遠の愛、永遠の時間。そういうものがあるとすれば、クリント・イーストウッド監督はすでに時空を超えてそれらを体感し、一遍の小さな映画として差し出すことの出来る魔術師である。
何というか、これ以上ない完璧な自由だった。
ああ、そうなんだ、と思った。
全部がここにあるんだ、永遠にここにあるんだ、と思った。映画って素晴らしい。
もう何でもいいやと思った。
クリント・イーストウッドは、自由だった。
今もしクリント・イーストウッドが目の前に現れたら、私は顔をくしゃくしゃにして涙し、ありがとう、ありがとう、とひたすら繰り返すと思う。
いや、大げさじゃなくて、本当に。
もうこうなったら神である。
こちらは御年91歳のイーストウッド監督50周年(俳優生活はもっと長い)、日本公開40作目という節目の作品。
少年をメキシコからテキサスへ連れてく来るというロードムービー、西部劇。
原作はN・リチャード・ナッシュの同名小説(1975)とのこと。
今公開中の作品なので詳細は伏せるけど、映画館へ行ける人は映画館へ、行けない人はいつかどこかで、是非この作品をご覧ください。
「マッチョ」とは、強さとは何か。
そして自由を、クリント・イーストウッド監督の魔法が醸し出す、永遠の自由をお感じください!(笑)