作曲家エンニオ・モリコーネを知っていますか。
正直、私は良く知らなかった。
1950年代末頃から映画音楽の作曲、編曲を手掛け始め、生涯で500本以上の映画に携わる。1987年、『アンタッチャブル』(ブライアン・デ・パルマ監督)でグラミー賞受賞。2007年、アカデミー賞名誉賞受賞。2016年、『ヘイトフル・エイト』(クエンティン・タランティーノ監督)でアカデミー賞作曲賞受賞。
1928年11月10日、ローマで生まれ、2020年7月6日、ローマにて逝去。
1989年の『ニュー・シネマ・パラダイス』から長く、深く親交を結んだトルナトーレ監督が、生涯の仕事、そしてモリコーネという人を描き出した。
身振り手振りを交え、饒舌に語るインタヴューで、モリコーネは「絶対音楽と応用音楽(映画音楽のような)」の狭間における葛藤を語っていた。正統で伝統的な音楽を学んできた彼が、映画やテレビの仕事をするようになったきっかけは、生活の為だったかもしれない。同僚に馬鹿にもされたし、師を裏切っているのではないかと悩むこともあった、と言っていた。音楽の世界は良く分からないが、音楽はそれだけで完結する芸術である、という誇りというか、言い分は分からないでもない。
それとは別に、「映画的なウソ」というものがある。
「ウソ」というと一般的にネガティブな感じがするが、「映画的な」が付くと、途端にそれは一転する。それは、観る者の心を震わせる為の演出であり、希望であり、真実であり、美しさ、正確さ、慈しみ、喜びと恍惚の源にもなり得る。
巨匠モリコーネは、いわゆる「映画的なウソ」のようなものに巧みだったんじゃないか。
新しいものを恐れず、自身の音楽も進化し変化させ続けた気質は、脚本や登場人物の醸し出す世界観に、新しい旋律、新しい音、もう一つ音楽的な「ウソ」を付け加えるという冒険を楽しむことが出来た。
何にせよ、脚本にインスパイアされて音を作り出すということにおいて、脳内の回路が何の抵抗もなく開かれている。それが天才というなら、そうなんだと思う。
もう一つ、イタリアというのは、どんな国なんだろうか。それも気になった。
1960年代のマカロニ・ウエスタンも、もっと観たくなった。若かりし日のクリント・イーストウッドを拝みに行こう(笑)
それから、そうだ、若かりし日のロバート・デ・ニーロも拝みに行こう。
『モリコーネ 映画が恋した音楽家』、ジュゼッペ・トルナトーレ監督、2021年、伊、157分。原題は、『Ennio』。
エンニオ(左)とトルナトーレ監督。↓シーン1のテイク1。ドキュメンタリーの撮影開始。
作曲風景。↓楽器を使わない脳内スタイルです。
クリント・イーストウッド巨匠が俳優時代にブレイクした、マカロニウエスタン映画の、音楽をなされた方でしたか。自分、それしか知らずに恐縮ですが。
そのようですね。イーストウッド巨匠(同感です!)の『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』『続・夕陽のガンマン』の音楽を手掛けているとの事でした。
きれいなメロディに限らず、実験音楽的なものも作っていてとても興味深く感じました。
コメントありがとうございます!
あの映画もあの曲もモリコーネだったんだという風に映画は進んでいきました。
モリコーネを凝縮していて見ごたえがありました。
長尺の映画でしたが、仕方ないと言うか(笑)、これくらい詰まっているものを作ってくれてありがとうと思いましたね。