tokyoonsen(件の映画と日々のこと)

主に映画鑑賞の記録を書いています。

『終わりゆく一日』

2013-10-29 00:12:34 | 映画-あ行
 不在の物語、閉じこもって夢を見ている駄々っ子の物語だ。

 空が、日本の空とは違うなあと思った。最初はただ雲が撮りたかったんじゃないかと思った。乾いた空にただただ流れて行く雲。早回しの雲は、リズミカルで切なくて、なんとものびやかで力強い。

 人間の一日も、色んな人の色んな一日がごたまぜのいっしょくたになって、早回しにしたら、もくもくと流れる雲のようになるかもしれない。そんなの自分は嫌だと言う人もいるかと思うけれど、私はわりとそれでいい。そういう感じは好きだ。それを見る自分は、高層アパートの一室にいる。ドアを開け、エレベータか階段で下へ降りてしまったら、一巻の終わり。宙に浮いた中間地点で、うじうじと雲を追っている。正視できないかもしれない。死んだ猫を思い出す。色んな事を思い出して、うっとりしてしまうかもしれない。そういえば関係ないけど、最近新しい夢を見るので、寝ていて楽しい。

 トーマス・イムバッハ監督、2011年、スイス。

 ドキュメンタリーとフィクションの間のような作品を撮っている監督らしいです。正にそういう映画だった。とっても面白い。ユーロスペースにて。


   

『ワンダ』

2013-10-19 22:40:31 | 映画-わ行
 監督・主演のバーバラ・ローデンは、エリア・カザン監督の二番目の妻で、1970年に初監督作品『ワンダ』を撮った後、若くして病気で亡くなったという。


 この『ワンダ』の不遇。
 
 当時のフェミニストたちから総スカンを喰らったらしい。強い女、というのは痛々しい(と今、悪口を言ってみる。もちろん強い女と言うのは当時のフェミニストたちのことだ。)
 そしてアメリカ本国では公開もされず、黙殺の憂目に。ところが当時フランスで上映されると、批評家から高い評価を受け、マルグリット・デュラスも絶賛。しかしフランスでも公開には至らない。90年代、この作品を観た女優のイザベル・ユペールが惚れ込み、個人で配給権を買う。とうとう公開にこぎつけたところ、高く評価されて、ついにDVDも発売。
 アメリカでは今もDVD化されていないって、本当だろうか。

 日本ではどうだろう。

 DVD日本語版は未発売。
 フィルム自体は、2009年、東京日仏学院で上映される。そして2011年、横浜の北仲スクールのイベントにて上映。

 今回私は、グッチ・シネマ・ヴィジョナリーズという活動の一端、グッチでの無料上映会で観ることができた(誰でも観られるし、まだやってる)。私に分かるのは以上の三回のみで、他にもあるかもしれないけれど分からない。

 正直これまでこの作品のことを全く知らなかった。「何も欲しないことは、死んでるも同然だ」。しかしワンダは、不思議なことに生きている。他人事には思えない。
 監督本人は、女優さんである。一つ言えることは、欲しない人にはこの映画は作れないだろう。バーバラ・ローデンという人はどんな人だったんだろう。興味がつきないけれど、残念ながらあまり情報も見つからない。

 一日でも早く日本でも、日本全国で、劇場公開されないものだろうか。公開されてほしいという切なる願いを込めて、書いてみる。こんなところでも。製作から43年後の日本においても、ワンダの浅い息づかいは途絶えることなくそこここに聞こえるし、ワンダは、私にとっては魅力的だからだ。



      

クリス・マルケルの「映画エッセイ」

2013-10-17 22:28:56 | 日記
 山形国際ドキュメンタリー映画祭へ、一日だけ行ってきた。

 「未来の記憶のために__クリス・マルケルの旅と闘い」という特集を、一日だけ観る。

 その日の題目は、『ベトナムから遠く離れて』、『美しき五月』、『彫像もまた死す』、『北京の日曜日』、『シベリアからの手紙』、『宇宙飛行士』、『ラ・ジュテ』、『もしラクダを四頭持っていたら』、『エクリプス』。

 全部で45作品が上映されるというのに、後の4日分はまるまる見られない。それでもまる1日、浸れたのだから嬉しかった。

 面白くて興味深くて、興奮したり涙したり、深刻な顔つきになってみたり。そういう作品はたくさんあるけど、私にとってクリス・マルケルの作品は、相性がいいみたいだ。ユーモア。着地しないけれどくっきりとした意思が、あっけらかんと写されている。
 何の力か分からないけど、深くて広くて、それで自由な透明な力がぐんぐんと広がった。何のためだか分からないけど、生きて行くのが楽しいような、無闇やたらに力が湧いてきた。




『わたしはロランス』

2013-10-06 20:16:47 | 映画-わ行
 面白い映画がたくさんあり過ぎて、興奮しっぱなし。

 怒涛のビジュアルにくらくらした。直線と原色の80年代。監督はまだ生まれていないはずだけど。
 現在24歳、撮影時に23歳の誕生日を向かえたらしいグザビエ・ドラン監督、10年間の愛の物語は、彼が産まれた年辺りでとりあえず終わる。

 ここまで人に執着することが出来るだろうか。
 自分が産まれてから、親や兄弟や周りの友達や親戚や、自分を形づくったほぼすべての人とものに愛着があるけれど、いつもそれが受け入れられるとは限らない。ゆらゆらと動いて、行ったり戻ったりを繰り返して、たまたま再会するしかないような気もする。再会しないかもしれない。それでもいいのかもしれない。でもよく分からない。やっぱり執着するのかもしれない。
 即座に共感するには、登場人物たちは私からはあまりにも遠い。それでも心の中に、美しい箱庭のようなものを置いてもらったような感じ。この物語はまだまだ続く。(たぶん)

 グザビエ・ドラン監督、2012年、カナダ・フランス。