ある事を知ってからとても気になっていました。近くに行った際に探してみることにしました。
地蔵堂があると聞いていましたので、周辺を歩きながら探すも、なかなか見つかりません。
あまりにも見つからないので、地元の方に聞いてみますと、
なんと目の前でうろうろしていたようです!
その地蔵堂がこちらです↑。普通のお宅かと見紛うお堂で、これでは見つからないわけです。
普段は扉は閉められているそうですが、歩き回って汗だくの私を見かねたのか
中を見せていただけました。
扉を開けますと、畳の敷かれた小さな集会所のような所で、正面に「キリシタン灯篭」が
安置されていました。この灯篭は明治時代の中期に地元の方が海で発見したといわれています。
日本の伝統的な照明器具である“灯篭”。本来はこういった形をしていて、
上部が欠損したものです。左右にぽこっと張り出した形はそれ自体十字架を表しています。
そしてその上部には“卍(まんじ)”とその下には“マリア像”が彫られています。
このキリシタン灯篭に関する資料などは一切ないそうで、それ故に想像は膨らみます。
キリスト教の禁止令が出たのが江戸時代1612年。迫害を受けながらも“隠れキリシタン”
となり、信仰は続けられていたそうです。このキリシタン灯篭にもそういった歴史が
刻まれているように思えてなりません。
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関連サイト
Wikipedia→日本のキリスト教史
残すということは命を奪われることでしょうから。
私の実家周辺は隠れキリシタンもいればそれ以前の時代キリシタン大名高山右近が城を築いた場所でもあります。
三浦のほうはたしか関西(和歌山)方面から船で渡ってきた人たちもいたんじゃなかったかと思います。
もしかしたらそういうのも関係あるのかもしれませんね。
本当ですね、資料が残っていない、残すことができなかったという事が
何よりも“隠れキリシタン”の当時の状況を語っているといえますね。
同時になぜこの場所に、それも海から。といったいろんな疑問も出てきます。
今後も機会があれば、ブログでとりあげていきたいと思います。
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