横須賀のメインステーション京急「横須賀中央駅」のすぐ脇にある平坂。
上町方面から平坂を。交通量は一日中多いです。
以下市のガイドより
明治の初期まで、横須賀村と深田・中里・公郷の各村を結ぶ道路は、
汐入から平坂上を経由して聖徳寺に至る浦賀道が利用されていた。
横須賀製鉄所(後の海軍工廠)の開所により、横須賀村の戸数は増大し、
住宅地が上町方面に求められ、人々の往来も激しくなった。
それらの不便を解消するため、明治10年に平坂が開通した。
「横須賀中央駅(坂下)」からの写真です。
なぜこんな急な坂なのに「平坂」と言うのでしょう?
その答えは↓こちら。クリックで読める大きな画像になります。
以下2枚の画像は昔の平坂の様子です。横須賀市より転載許可をいただきました。
「昭和初期の平坂風景で、右側の屋根の上に望楼のある建物は横須賀警察署である。
警察署はその後程なく現在の小川町に移転し、二度の建て替えで今日のようになった。」
「平坂上から湘南電鉄(現在の京浜急行)が、黄金町(横浜)-浦賀間に開通して間もない
昭和8年ごろの風景、電車は1~2輌編成の初期のものの様であるが、
ガードは今もそのままである。」
電車が今のバスのようですね。“近道”という表現も新鮮です。
今も昔も、人の往来が多く重要な道である「平坂」。
さらに昔はすぐ近くまで海だったそうです!
急な坂なのに“平坂”。昔の写真などを見ると、普段見慣れた坂も
横須賀の街の遷り変わりを感じられ、違って見えてきます。
関連サイト
オールディズinよこすか→往来の情景(平坂)
ふるさと横須賀→平坂貝塚 『縄文の人骨も発見』
三浦半島ヒストリー→縄文人 「平坂人」の頃
当ブログ横須賀風物百選特集は→こちら
ストリートビューで現在の平坂を通ってみましょう。横須賀中央駅から。
米軍基地のある街、横須賀。英会話始めるならこちらがおすすめ。まずは無料体験
この「平坂」を上り下りしてました。
慣れるまでは、かなりきつく感じましたが、慣れてしまうと結構平気でスイスイ登れるようになるものです。
きっと、今の私の足では昔のようにはいかないと思いますが・・。
「平坂」ってこんな歴史があったんですね。
改めて勉強になりました。
私にとって「平坂」は想い出深い坂なんです。
昔ここには平坂書房があって、創業の地でもあったんですよね。
坂の多い横須賀でも、特別な坂ではないでしょうか。
以前は毎日、この「平坂」を利用されていたんですね。
毎日となると、自然と足腰が強くなりそうですね。体にもよさそうです。
考えてみると、私はこの坂を歩いて通ったことが少ないように感じます。
今回初めて平坂の歴史などを知ったのですが、昔の様子などを想像しながら、今度ゆっくり歩いてみようと思います。
コメントありがとうございます!
“坂”が横須賀風物百選に選ばれているのは、ここだけですね。それだけ横須賀では重要な坂であったし、今現在でも歴史的にも、交通の要所としても重要な坂だということですよね。
「平坂書房」のホームページに創業当時の写真がありました!(FLASHですが)
http://www.hirasaka.com/
横須賀では本屋と言ったら「平坂書房」。今では広く展開していますが、始めはこのお店からだったんですね。
コメントありがとうございます!
一時期、横浜に住んでましたが、また戻ってきてさらに坂を上る暮らしになりました(^_^;)
子どもの頃はこの坂を下ると「緑屋」(現在の100均が入ってるビル)がありまして、Yデッキも無かったですし、メインはやはり「さいか屋」「三笠商店街」でした。
その当時はモアーズも無く、ボーリング場とかあったはずです。
お婆ちゃんちも安浦にありまして、平成町のあたりが海だった写真もありますよ。
そのうちに、懐かしい写真として、ブログに乗せてみまーす(^^♪
れもんさんにとっては、本当に馴染み深い坂なんですね。
横須賀の街の遷り変わりも目の当たりにされてきたんですね!
私はYデッキがない横須賀は想像できないです
もちろん平成町が海だったことも!
最近、昔の横須賀の写真を見るのがとても楽しく、見てはあれこれと当時の様子を想像したりします
れもんさんの懐かしい写真のUPも楽しみにしています♪
コメントありがとうございます!