goo blog サービス終了のお知らせ 

中東断章

中東問題よこにらみ

3)イスラム過激派対策

2007年05月29日 | 日本とイスラム
3)イスラム過激派対策

 イスラム過激派やそのテロ活動のことにこだわり過ぎたかもしれない。これは、もちろん、本意ではない。本意ではないが、いわゆる「中東問題」が続く限り、アフガニスタンやイラクであのような状態が続く限り、またイスラム世界が奮起してかつての栄光を取り戻す努力を始めない限り、イスラム過激派によるテロは増大こそすれなくなることはないと思われる。こだわらざるを得ないのだ。

 米国での同時多発テロ、マドリードでの対鉄道テロ、ロンドンでの対地下鉄テロ、パリでの暴動と、大規模なイスラム・テロ活動が続いている。もしこれらが日本で起きたらと考えると、戦慄をおぼえるが、他人事と見ることはできない。いつかは起ると考えて、対策をとらなければならないところに来ていると考える。

 イスラム・テロ対策は、都道府県単位のいわゆる自治体警察のよくするところではない。もちろん警察の協力は欠かせないが、国境を越えた問題であり、直接国の安全にかかわることでもあるので、やはり専従者が専門的に当るイスラム過激派テロ対策機関を新設すべきではないだろうか。具体的には、防衛省の中にひとつの部署をつくってはどうか。公表することでもないので、すでにそのような組織ができて活動しておれば幸いなのだが。

 対策には、巨大な装置は必要ないのでお金はかからないが、時間がかかる。ここで言う「対策」とは、ほとんど情報収集のことであるが、それには人材の養成がすべてであるからである。人材の養成には時間がかかる。第一歩は、若い意欲のある人を選んで関係国の学校に留学させることだ。三年、四年と現地の人に混じって生活させることだ。出先の大使館などによりつかせてはならない。また、武器を扱うことが出来なければならないのはもちろん、重火器や爆薬、生物兵器などについての実際的な知識も必須である。一カ国だけではダメで、やはり一人で二、三カ国を担当できるようにしなければならないだろう。

 次に大切なことは、諸外国の関連の情報機関とのコネづくりである。それも、機関どうしの定例会議といった低いレベルではなく、専従者どうしが顔と名前を知り合い、いざという時に互いに電話で重要な情報交換が出来るようなコネづくりである。これは、言うはやすしだが、実現するのは非常に難しいと思われる。しかしこれをやらないことには実効があがらない。留学期間中につとめてその道の人と交際を深め、その後も一年のほとんどを関係諸国をぐるぐる歩いて回るようにしなければならないだろう。目星をつけた人物を尾行して、世界中を駆け回らなければならないだろう。ミュンヘンでリオネル・デュモンを追い詰めたのも英独の混成チームであった。そのおかげで、わが国は最初の爆破テロを免れたかも知れないのである。

 このような専門家が10人、15人と育ってきて、データベースが充実してきて、はじめてイスラム過激派テロ情報機関として機能し始めるであろう。やはりスタートまでには最短でも10年のプロジェクトである。それでもテロ活動を100%抑えることは、とても、できない。現在のヨーロッパを見れば歴然である。それでも何かやらないわけには行かない。

 繰り返しになるが、予見される将来にわたって、中東問題が収束することは考えることができない。アラブ・イスラムの海に浮かぶイスラエルが、周囲のイスラム人に呑み込まれ、同化されて消滅するときが、中東問題がなくなるときなのだ。先鋭なイスラム教が、日本の仏教のように枯れて、何ごとにも鈍感に、かつ寛容になるときがくるまで、聖戦(ジハード)は続くと考えないわけには行かない。そのようなときが実際にくるかどうかは分からないが、とにかくとてつもない時間がかかる。そのときまで、わが国にとっても、イスラム・テロは潜在的な脅威として存在する。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2)「悪魔の詩」翻訳者暗殺事件

2007年05月27日 | 日本とイスラム
2)「悪魔の詩」翻訳者暗殺事件

 富山におけるパキスタン人騒擾事件の過程で、2001年5月25日、日比谷公園でデモをした在日パキスタン人と支援者からなる一隊が「1991年の助教授殺しの犯人を知っている」という趣旨のことと、だから自分たちを甘く見るなと叫んでいたという報道があった。

 報道の事実関係は分からないが、これは、英国の作家サルマン・ルシュディの小説「悪魔の詩」を日本語に翻訳した当時の筑波大学五十嵐一(ひとし)助教授が、1991年7月、学内で何ものかに刺殺された事件を指している。犯人不明のまま、事件後15年を経過した昨年、時効が成立している。

 この小説は、1988年に出版されたが、預言者マホメットを冒とくしているとして、イスラム諸国会議機構が小説の追放を決議したほか、当時のイランの最高指導者ホメイニ師が、89年2月、著者や発行者に対する死刑のファトワ(意見書、裁定)を出した。著者のサルマン・ルシュディは、インドのイスラム教徒の家庭に生まれているとかで、当時、難しい教理問答があったが、どうやら宗教上の処罰は免れないものであるらしい。しかし英国当局の保護の下に今日まで健在であるという。

 一方、91年7月になって、イタリア語への翻訳者エットーレ・カプリオロと五十嵐一の両氏が、相次いで何者かに刺されるに至った。カプリオロ氏は幸いにも一命はとりとめたが、その後もトルコやノルウェーで同様の事件が起っているところから、一連の事件の裏にはだれか命令し差配するものがあって、組織的に行われたと考えないわけにはいかない。

 異教徒に対しては「処刑」もないであろうから、この攻撃はやはり「聖戦」であろうか。われわれ日本人にとってやりきれないのは、命令者にしろ実行者にしろ、これを犯罪とはつゆ思わず、反対に、イスラム教徒としての崇高な義務の遂行であり、宗教上の得点を稼いで天国への切符を一段と確かなものにしたとほくそ笑んでいるであろうことである。だれが命令したのか。下手人は何国人のだれなのか。

 なぜ「悪魔の詩」の外国語への翻訳者が殺されなければならなかったのか。それにしても、聖戦(ジハード)とはいったい何なのか。この難問に答えられるのは、巷間妄言を弄するもののよくするところではなく、五十嵐先生ご自身である。五十嵐先生のようなイスラム学者にしてはじめて可能と思われるが、その先生が聖戦の犠牲となってしまったのはまことにいたましい。

 日本がイスラム過激派の標的になっているとは時に言われることだが、実際に起ったテロ事件としては、恐らく、この一件ではないだろうか。ところで、この事件に、在日パキスタン人が言及していることはなかなか重大である。根拠のない単なる脅しともとられるが、350人のデモ隊が一斉に叫んでいたとすれば、何かあると考えないわけにはいかない。また、いつかのフランス人テロリスト、リオネル・デュモンについても、当時「捜査の結果、当人は在日パキスタン人社会を活動の基盤にしていたらしいことが判明した」との報道もあった。デュモンの地下工作(彼は日本へ静養に来ていたのでも、単に隠れに来ていたのでもない)を重ねてみると、わが国に広がる「イスラムの闇」をかいま見る思いがする。

 イスラムの過激派テロ組織と聞くと、つい「竹やぶ」を連想するのであるが、もし間違っていたらお許しいただくとして、竹は、植物学的に樹木とは大いに異なるらしい。樹木は、一本の幹があって、それが地下に根を張り、幹から枝を出し、枝は葉っぱをつけて、それで個体が完結している。ところが、竹は、ひとつの竹やぶ全体が一本の樹木に相当するという。つまり地下に張り巡らされた地下茎のかたまりが竹の本体で、地上に伸びている一本一本の竹は、樹木の枝に相当するものという。

 ということは、一本一本の竹(テロリスト)を相手にしていてもラチがあかないということである。ひとつの竹やぶの竹は地下ですべて繋がっていて、一本の竹を切り倒しても、また同じものがどこからか生えてくる。全部の竹を切ったところで、翌年の春にはまたタケノコが新芽を出すということになる。さらに、情報を得るには、土を掘り、或いは地下にもぐって、根に聞く以外にない。一口にイスラム過激派対策といって、いかに大変なものか想像がつくというものである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1)富山のコーラン破棄にかかわるパキスタン人騒擾事件(3)

2007年05月25日 | 日本とイスラム
1)富山のコーラン破棄にかかわるパキスタン人騒擾事件(3)


 第7世紀にアラビアの地に誕生したイスラムが西に東に破竹の勢いで広がっていったことは歴史の教えるところである。その後イスラム世界は、文化史の上で大きな光芒を放った後、つい60~70年前まで、長い長い平安の眠りを眠っていた。それを揺り起こしたのは、西洋世界の後押しによるパレスチナにおけるイスラエルの建国という暴挙であった。これに反撥する中で、アラブ世界のみならず全イスラム世界は、千年前と状況は何もかも異なるが、再膨張の動きに出ているのではないだろうか。ヨーロッパへ、アメリカへ、アジアへ、豪州へと、急激な進出をはかっている。わが国に来ているイラン人や、今回の富山のパキスタン人も、こうしたグローバルな動きの中の一波と捉える必要がありそうである。

 イスラム教徒は、一人ではイスラム教徒たりえない。異教徒の中に一人でいては六信五行を実行することができないのである。生活のすみずみにまで張り巡らされ、一挙手一投足を拘束する数多い「DOS(やらねばならないこと)」と「DON'TS(やってはならないこと)」に対応することが出来ないのだ。どうしても多数のイスラム教徒が集まり、互いに教えあい支えあって暮す必要がある。イスラム教徒は、異郷へ行けば、それは同時に異教の地でもあるが、必ずイスラム・コミュニティーを作って暮す。そうしなければイスラム教徒であることができないからだ。それはまた、周囲の人間をイスラムの枠内に引き入れようとする努力となってあらわれる。宣教活動である。まず異郷へ行くのは、兵士か商人に決まっている。彼らは女性の伴侶を必要としている。そこで、宣教の標的はまず若い女性に向けられる。こうしてイスラム・コミュニティーは膨らんでいく。富山もこの例にもれないであろう。

 近年、特にイスラム教徒の流入が目立つのはヨーロッパである。そのヨーロッパ諸国が、イスラム移民の流入を許したことで、苦悩しているように見受けられる。第二次大戦後の労働者不足に直面し、主として中東やアフリカ、アジアの旧植民地から招き入れた。ほとんどすべてイスラム教徒である。労働者は必要であったし、今も必要としている。ところが、ともに暮してみて、自分達とイスラム教徒やイスラム・コミュニティーとのさまざまな面でのあまりの距離感、或いは「水と油」感、に頭を抱えているというのが現状ではないだろうか。その上に中東問題や中東での戦争が重なって、テロ活動が頻発する事態となり、強制的に帰国させるわけにもいかず、打つ手がないという状況に陥っている。中東を旅行して、そのエキゾチックな風物にうっとりしているうちはよかったのだが。

 実際に、どれくらいのイスラム教徒が居住しているのか、ドミニク・ヴィダル著「イスラムのスカーフに対するヨーロッパ諸国の姿勢」(ル・モンド・ディプロマティーク日本語版04年02月号 http://www.diplo.jp/articles04/0402.html )によって見てみよう。

イギリス    200万人(人口比3.4%)
ドイツ     320万人(同 3.8%)
フランス    650万人(同 10%強?-フランスの数字は記事にない)
ベルギー    30万人(同 2.9%)
オランダ    30万人(同 1.9%)
スウェーデン 35万人(同 4.0%)
デンマーク  17万人(同 3.2%)
スペイン    30万人(同 0.7%)
イタリア    80万人(同 1.4%)

 移民イスラム教徒の出身国ははっきり特色づけられており、イギリスにはインド、パキスタン、バングラデシュ、ドイツにはトルコ、フランスやスペインには北アフリカ諸国からの移民が圧倒的に多い。

 移民の国アメリカの状況はよく分からないが、有名なアラブ人居留地ミシガン州ディアボーンを含めて、大小多数のイスラム・コミュニティーがあり、やはり数百万人のイスラム教徒が居住しているであろう。

 ところで、欧米諸国、特に英、独、仏が、これだけのイスラム教徒を受け入れて、現状程度のトラブルで済んでいるのは、日本人の目から見ると、まさに驚異である。これは、近代の科学技術を打ち立て、産業革命を遂行した自信にあふれ、それらをもとにした圧倒的な軍事力を背景とした体格のよい傲慢な白人であるヨーロッパ人であるからできることで、しかも占領国が被占領国民に恩恵を与える形で受け入れており、言わば強権をもって押さえつけていることによって成り立っているのである。イスラムに対する知識と免疫と抵抗力のある国民があって、はじめて成り立っているのである。

 ヨーロッパのイスラム移民の比率を日本に引き直すと、人口の4%として480万人となるが、もしこれだけのイスラム教徒が国内に居住して、いまヨーロッパで起っているようなさまざまな問題を引き起こされたとすれば、恐らくわが国はお手上げである。大混乱におちいるのではあるまいか。富山におけるパキスタン人騒擾事件を見ても、日本人はなすところなく押しまくられた。しかも、押しまくられたという事実に気づいてすらいない。在日朝鮮韓国人の60-70万人という数字と比較すると考えやすい。

 日本は、ヨーロッパの轍を踏んではならない。日本のムスリム人口は、すでに7-10万人と見られ、「戸建」のモスクが30-40、マンションの中の礼拝所も100カ所以上あるという(朝日新聞07/4/2-6夕刊)。この勢いは、今後ますます増大することはあっても、衰えることはなさそうである。ヨーロッパの轍を踏まないために、国民の一人一人が今からよく考える必要がある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1)富山のコーラン破棄にかかわるパキスタン人騒擾事件(2)

2007年05月23日 | 日本とイスラム
1)富山のコーラン破棄にかかわるパキスタン人騒擾事件(2)


 新聞やテレビは、この事件を、パキスタン人の宗教心の高さ、聖典コーランに対する思い入れの深さに対する賞賛、異郷の日本で働く少数者に対する同情、宗教心を踏みにじった犯人の心のなさに対する怒り、といった観点から、一貫して在日パキスタン人寄りの論調で報道した。

 これを受けて、大多数の日本人は、何よりも、単に聖典を破られたことで集団で怒り狂うイスラム教徒の宗教感情の深さに対して驚くとともに、何かそら恐ろしい気分にとらわれたのではないだろうか。われわれの多くは、自身の聖典をもっているどころか、何が聖典かもはっきり知らない状態である。それに対して、パキスタン人イスラム教徒の何とまあ敬虔なことよと、あっけにとられたことであろう。

 これにつけて思い出されるのは、9.11以降のアメリカとアフガニスタンやイラクとの戦争を通じて、米軍に捕まったイスラム教徒捕虜の尋問過程におけるいわゆるコーラン冒とく問題である。イスラム教徒の強い宗教感情につけ込んで、目の前でコーランを破ったり、小便をかけたりかけさせたり、トイレに流したりして捕虜を動揺させ、自白を促すという手段である。効果のほどは知るよしもないが、以前から実際に行われていたであろうことは、さまざまな証言から、間違いない。イスラム世界と交渉の深いヨーロッパ人から教えられたのかも知れない。

 最近では、05年5月、キューバのグアンタナモ米軍基地で、コーランがトイレに流されたことが報じられた。多くのイスラム国で抗議行動が起きたが、中でもアフガニスタンでは多数の学生らが「アメリカに死を」などと叫んでデモを起こし、暴動に発展、警官隊の銃撃を受けて学生ら6人が死亡、100人が負傷したという。隣国のパキスタンでも暴動が起きていた。それに対して、アラブ国では比較的静かな抗議行動であったようである。

 パキスタンやアフガニスタンでは特に反米感情、反西側感情が高まっているときであるという理由もあるであろうが、これらの国の国民、即イスラム教徒は、宗教的にどうしてこうも過激、攻撃的、また敢えて言えば狂信的なのであろうか。どうしてそこまでコーランにこだわるのであろうか。

 本来はイスラムの教理やそれぞれの国民性に踏み込んで解明を試みるべきところであるが、ここでは、一つの視点として、「ことば」をもとに考えてみたい。

 一口にイスラム教徒といっても、さまざまなことばを話す人びとがいる。まず預言者ムハンマド(マホメット)が話したのと同じアラビア語を話すアラビア人である。だいたい20カ国に2億人程度とされる。これ以外はすべて非アラビア人のイスラム教徒で、大所としては、ペルシャ語のイラン人、トルコ語のトルコ人、ウルドゥ語のパキスタン人、ベンガル語のバングラデシュ人等々であり、東の果てには最大数のイスラム教徒を抱えるインドネシア語のインドネシア人がいる。インドや中国にも少なからざる数のイスラム教徒がいる。このほか、もちろん、数多くのイスラム教徒少数民族がいて、それぞれのことばを話している。五十数カ国に十数億人のイスラム教徒がいるとされる。

 これらの言語的にも歴史的にも文化的にも多様な人たちが、イスラムを同じように理解し受け入れているかと言えば、そんなことはあり得ない。あり得ないにかかわらず、イスラムは、聖典コーランの徹底理解を求めるのである。その理解の上に立って、信徒としての生活、即ち六信五行の実行を求めるのである。

 ところで、コーランは、預言者ムハンマドが啓示を受けるままに、神(アラー)のことばとして周囲の人たちに語り聞かせ、それが後に文書として集大成されたものである。ムハンマドはアラビア語を母語とする人であり、アラビア語で語りかけた。そしてコーランはアラビア語で書かれており、アラビア語は神のことばである。

 さらに言えば、アラビア語は神の語ったことばであるが故に、アラビア語を通じてしか神の意を体することはできず、逆にアラビア語を通じてしか神にせまることはできない。

 ということは、「アラビア人にあらざるものは(アラビア語を母語としないものは、或いはアラビア語を徹底的に理解しないものは)、イスラム教徒にあらず」ということではないのか。「アラビア語を知らないイスラム教徒」というフレーズは、論理学で何か術語がありそうであるが、「丸い四角」というほどにおかしなことばで、恐らく預言者も予想しなかった事態ではないだろうか。コーランはアラビア語で書かれており、アラビア語は神のことばである、という一点にひっかかるのだ。

 非アラビア人のイスラム教徒の心にそのような不安が横切っても不思議ではない。イスラム教徒の最大の関心事である最後の審判もアラビア語で行われるはずだ。そのとき不利な扱いを受けないためには、非アラビア語教徒の彼あるいは彼女はどうしたらいいのか。アラビア語の勉強に向かうか。いくら勉強してもどうせアラビア人のようになれるわけがない。アラビア人のようになれなければイスラム教徒ではないのか。解決不能のどうどう巡りに陥ってしまう。

 そこで、非アラビア語モスレムは、たとえアラビア語は分からなくても、アラビア語のコーランをしっかり朗誦し、導師の教えをよく守って六信五行にはげめば、最後の審判をクリアして、天国に行くことができるだろう、と考えるほかなくなる。実は、これが非アラビア人モスレムが過激に走る根本的な理由のひとつなのだ。

 もっと端的に言えば、コーランをじかに読むことができるアラビア人は、言わば本家のイスラム教徒である。非アラビア人モスレムは、表現が難しいが、イスラム教的には二級信徒である。非アラビア人モスレムは、このことを常に肌で感じているため、逆に、何であれ反イスラム的なものやこと、特にイスラムに対する攻撃には過敏に、過剰に、また過激に反応してしまうのだ。イスラムの外からであると内からであるとを問わず、背教や冒とくと決めたものには、ことのほか厳しい。本家のモスレムに対して、或いは直接的にイスラムの神に対して、自分達はアラビア人信徒に劣らず、いやそれ以上に敬虔な信徒なのだということを行動で示し、心の中では自分達の二級信徒であることのコンプレックスを解消し、安心を得ているのである。

 このことは、本家のアラビア人イスラム教徒が二級信徒より温和であるとか寛容であるということを意味しない。アラビア人は、アラビア人で、自らのイスラムを守る「護教」のためには体を張って戦うのである。

 このようなことをパキスタン人やアフガン人に向かって言う必要もなければ、言うべきことでもない。しかし、われわれ外国人は、特にイスラムに対して知識も免疫もない日本人は、知っておく必要があるであろう。

 この「二級信徒」ということばに侮蔑の意味は含まれていないことに注意したい。それを言うなら、日本人の仏教徒はみんな二級信徒もいいところである。キリスト教徒もおなじである。しかし、教義の理解が心配になって、サンスクリットや古代のヘブライ語やギリシャ語の勉強を始める日本の仏教徒やキリスト教徒は、まあ、いない。宗教からの要請もない。ところが、イスラム教に限っては、アラビア語でなければダメだというのだ。翻訳は解釈であって、論外である。

 ここまでくると、言語を通じての理解と表現という面から、言語とは何かに始まって、二言語話者(バイリンガル)や多言語話者(ポリグロット)の話題に踏み込まないことにはならなくなる。しかし、収拾がつかなくなるので、ここでは問題の所在の指摘だけにとどめる。

 ただ、イラン人やトルコ人となると、かなり事情が異なってくる。アラビア語が分からないという意味では二級信徒であることには変りないが、民族としての規模や文化的伝統、イスラム教徒となって長い時間が経過したことなどをもって、すでに、本家のアラビア人イスラム教徒とは「別枠」、或いは「別格」のイスラム教徒と考えられる。本来のイスラムからは絶対にあってはならないことだが、現実として変容を遂げている。イラン人やトルコ人となると、アラビア語が分からないことをもって自分達のイスラム性に不安を感じることは、恐らく、ないのではないだろうか。(ただ、いつかここで論じるつもりのいわゆる「中東問題」によって、イスラム世界全体が多分に「原理主義」に引き戻されてしまった。7世紀への逆戻りである。)

 コーランが破り捨てられたことに対して騒いだパキスタン人たちは、コーランが読めるわけでもない。一部の人は文字をたどって朗誦することはできても、所詮日本人のお経と同じである。「聖なるコーラン」を偶像視していると言えば言い過ぎであろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1)富山のコーラン破棄にかかわるパキスタン人騒擾事件(1)

2007年05月20日 | 日本とイスラム
1)富山のコーラン破棄にかかわるパキスタン人騒擾事件(1)

 今から6年ほど前、富山県で「コーラン破棄事件」なるものがあった。新聞やテレビなどマスコミが大騒ぎして、連日大きく取り上げたので、まだ多くの人の記憶に残っているであろう。しかし、当時の日本側の対応は、相手の言いなりで大甘もいいところ、報道もパキスタン人の勝手な主張を代弁するだけで、一体日本人はどこへ行ったのかと思わせるような一方的なものであった。われわれ日本人にとっての「事件」は、コーランを破り捨てたことではなく、在日パキスタン人が騒いだことの方なのだ。言うとすれば「パキスタン人騒擾事件」である。これは、とりわけ、日本人のイスラム理解の浅さを示すものと思われた。振り返って、整理してみたい。

 「事件」は、2001年5月21日の朝に起きた。富山市の西隣あたる小杉町のパキスタン人が経営する中古車販売店のひとつで、社長だか従業員だかが出社したところ、事務所の周辺にミミズ文字のコーランのような二三の書物が鋭利な刃物で切り裂かれて散乱していた、というものである。これだけなら、日常よくある些細な器物損壊事件で、ニュースになることもなければ、まして立件されることなどあり得ないものであった。

 平成の大合併により、現在は射水市に含まれるが、もとの小杉町や隣接する新湊市の国道8号線沿いには、富山新港などにやってくる主としてロシア人向けの中古車販売店が立ち並び、そのほとんどをパキスタン人が経営しているという。96年ごろから急激に増え始め、現在は260軒ほどに達するという情報もある。

 ところで、この「事件」をきっかけに、当日から一週間余にわたって、付近のパキスタン人をはじめ、東京や大阪など各地の在日パキスタン人たちが多数集まり、騒ぎ始めたのである。果ては、東京でデモ行進をする事態にまでなった。

 彼らの言い分の核心は「コーランを破棄したのはイスラムの冒とくであり許せない」というものである。コーラン自体を神聖なものとしているので、コーランとイスラムに対する二重の冒とくだということだろうか。ここで、警察やマスコミを含めた日本人は、「そんなに大切なものなら自分たちできちんと鍵をかけて管理しろ。われわれの知ったことか。われわれはコーランの番人ではない」と突っぱねるべきところであった。それをしなかったために、彼らの増長をゆるしてしまった。


 当時の報道により、彼らの行動と主張をまとめると次のようになるであろう。

○ 翌5月22日、パキスタン大使館職員や関西パキスタン協会幹部を含む約250人が小杉警察署につめかけ、大騒ぎとなった。小杉署は当初、代表3人との話し合いを求めたが、イスラム教徒は納得せず、約1時間後6人と協議することで決着した。パキスタン人の申し入れと言うか、主張は次のようであったという。
「イスラム教徒に対する侮辱だ」
「コーランの冒とくは許せない」
「捜査による真相究明」
「犯人の迅速な逮捕」
「イスラム批判勢力の街宣活動の取り締まり強化」

○ その後、一同は車に乗ってデモをしながら、県警本部や県庁に向かった。代表のパキスタン人7人が県警本部の公安課の担当と話し合った。それと並行するように一行は、午後県庁へと移動し、次々と県内入りしたイスラム教徒らと合流し、およそ2時間程、県庁周囲にいる警察の警備員らともみ合いになるシーンもあった。

○ 5月25日(金)、全国から集まった在留パキスタン人など約350人が、渋谷区内のモスクで礼拝の後、デモに移り、プラカードを掲げたり鉢巻きを締めたりして、強い調子で事件を糾弾し、早期解明などを訴えた。
 抗議グループは都心の日比谷公園でも集会を開いた。集会では、イスラム教批判の書物を翻訳した筑波大学助教授が1991年に殺害された事件をとりあげ、「パキスタン人は知っている、助教授殺しの犯人を!」という発言もあったという。次いで「聖典に対する罪を犯した者への教徒の感情の深さを甘く見てはいけない」とする外務大臣あての決議文を採択したあと、外務省までデモ行進し、代表9人が外務省を訪れ、捜査の徹底と再発防止などを求める申入書を手渡した。対応した南西アジア課長は、「宗教的感情に対する尊重は大切なこと。みなさんの感情が傷つけられたのは大変残念」と理解を示し、事件解明への協力を約束した、という。申し入れ書の内容には、伝えられるところでは、次のような文言があった。
「世界中のイスラム教徒に対する侮辱を意味し、許し難い」
「事件を見過ごそうとするのは国際化を自認する国として恥ずべき」
「神の言葉を破られる屈辱は、イスラムの歴史上、聞いたことがない」

 在日パキスタン人は、このコーラン破棄を奇貨として、それを最大限に利用し、自分達への同情を集め、自分達の商業的利益の擁護と拡大を図り、日本国民を恫喝(筑波大学助教授殺人事件-後述)しているのである。あろうことか、よその国に来て、イスラム教徒であることをあたかも特権のようにふりかざし、イスラム教徒の立場を守れと主張している。思い上がりもはなはだしい。

 イスラム教徒は、自分達の宗教的不寛容さに気がついていない。むしろそれを棚に上げて、異教徒の寛容さにつけ込んで勢力を拡大してきた。今もし、反対に、日本人がカラチで鳥居を立てたり、仏像を作ったりしたらどういうことになるか。在留日本人が寺社の建設を求めてイスラマバードでデモをしたら、いったい、どういうことになるか。

 これでは、まるで日本国民がなめられている。ロンドンでは怖くてとてもできないことを、東京では堂々とやるのである。日本人は、イスラムについての無知を露呈し、言われるままになってしまった。在日パキスタン人イスラム教徒の無作法をたしなめることもできなかった。人種差別に反対するNGOが、これは「差別の典型例」などとコメントをする始末であった。「勝手に言わせておけばいい」という大人の態度ではすまされない事態にきているのである。

 さらに、驚いたことに、半年後、「犯人」とされた28歳の女性が、富山地方裁判所から懲役1年、執行猶予3年の有罪判決を受けた。これを微罪釈放しなくて、どこに日本人の矜持があるのか。裁判長は、つけ加えて、被告に対し「自分の行動が社会にどのような影響を与えるか、立ち止まって考えるように」と諭したという。語るに落ちるとはこのことを言うのであろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする